加藤博二著「森林官が見た山の彼方の棲息者たち」は1937年に初版が出版されたのを2018年に再刊した本です。何しろ80年前の本の出版ですから、著者の家族には連絡が取れていないようで、最後のページにどなたか心当たりのある方は連絡を、という記載があります。著者が森林官であったのは事実のようで、一つの章が営林談話として育苗、植林や伐採、木材搬出など仕事に関係する話に当てられています。これも面白いのですが、何といっても読んで面白いのは、題名通りに当時の山で暮らす人々の生活の様子です。現在ではとても考えられないような生き方をしていた人がいる事にびっくりさせられます。森林官とは営林署などに勤める専門職で、山林学校、農林学校、大学の林学を卒業した者から中学を卒業して臨時雇用の後に試験と実地体験を経て任官される者まであったようです。各地にある国有林や御料林を転々としなければならず、調査の際にはテント生活や仮小屋生活も強いられるなかなか大変な仕事のようです。森林だけではなく高山のお花畑の監視・管理も仕事に含まれ、それに関するエピソードも載っています。林野庁のホームページを見ると、現在でも全国に840名の森林官がいるそうです。

山に棲む人で多いのは、炭焼き、猟師、箕のような生活雑貨作りですが、中にはどうやって暮らしているのか分からない人もいます。著者が山中の沼のほとりで会ったのは、まだ若い女性で麓の村の出ですが、サンカの若者に恋をして出奔し、山の中で一緒に暮らしていましたが夫は病死、その墓の上に粗末な小屋を作って生活しています。一体どうやって食糧を得ているのか、山中でも意外に食べる物には困らないのか、あるいは麓の村に彼女を密かに助ける者がいるのか、記載はありませんが不思議なまた哀れなとも言える生き方です。同じように山中で一人で暮らしながら、藤蔓や篠竹で箕を作って小銭を稼いでいる老婆は、小屋に立ち寄った男に性行為を強要するそうで、迫られた著者は小屋から這々の体で逃げ出します。それが一般的であったのかどうかわかりませんが、著者が訪れた山村の性は意外と自由です。嫁入り前の娘は多くの男性と関係を持っても許されます。特に盆踊りはそのチャンスとみなされており、踊りの途中でカップルが成立してどこかに消えて行き、逢瀬を楽しむことは普通に行われていたようです。しかし不倫は厳しく戒められており、既婚の女性は眉を剃り、お歯黒をしてすぐ分かるようにしています。もし不倫がばれた場合には、裸で木に縛り付けて晒しものにするなど、厳しい制裁に会ったようです。それが村落共同体の存続に重要だったのでしょう。

また様子の良い旅人には娘を提供することも行われていたようで、著者は飛騨の村である家に泊めてもらった時に、母親が承知で17歳の娘と結ばれます。その後に東京から彼女に洋服を送ったところ、村で初めての洋服であったと繰り返しお礼の手紙が届きました。その後に懐かしくなり、またその家を訪ねた所、母親があの娘は嫁に行きましたが、近くに姪がおりますので、代わりをさせますと言ったというのです。別の章では、若い女性が処女である事を偽装するために、蛭を使うという驚くべき方法が紹介されています。貧しい山村では、処女はもちろんのこと若い女性には商品価値があるので、女の子が生まれると両親が喜ぶのだそうです。娘が14、5歳になると売り飛ばすのですが、売り飛ばすと言っても遊郭ではなく、紡績などの工場の女工としてわずかな手つき金で手放します。しかしこちらもしたたかで、隙を狙ってその娘を攫ってきて、また別の業者に売り飛ばすのだそうです。そのために若い女性がほとんど居ない村もあり、そうした村の若者達は常に鬱屈していると書かれています。これが80年前とは言いながら昭和の出来事です。最近は昭和レトロなどと昭和がもてはやされる傾向がありますが、その昭和は高度成長時代の豊かになった後の昭和であり、昭和初期の農村、山村の貧しさが二・二六事件の引き金になったことを忘れてはなりません。また当時、都会の病気と考えられていた結核が山村にも広がり、結核になると村外れの結核小屋という掘建小屋に押し込められ、ただ死を待つという悲惨な話も載っています。これを読むと、日本人の生活も変わってきているのだ、少なくともより人間らしい生活が出来るようになってきているのだと思わざるを得ません。