先日、僕がかつて所属していた自転車クラブ「WESTY」の同窓会がありました。このクラブは巣鴨にあった同名のショップのお客さん達が練習のために集まったクラブで、メンバーは主にトライアスリートでした。1980年代当時は日本のトライアスロンが黎明期で熱気に溢れており、トライアスロンを目指す人が多かったのです。ショップの店長の羽山さんは自分自身がトライアスリートで、自転車もロードレーサーよりもトライアスロン用に力を入れていました。ショップの奥に工房があり、当時ですからスチールパイプを溶接して自転車のフレームを手作りしていたのです。自転車のフレームがカーボン主流となるのはだいぶ先の話です。WESTYのフレームは形も塗装もセンスが良く、日本を代表とするトライアスリート山本光宏選手が使用していたことから、トライアスリートの憧れの的だったのです。

僕はこのブログにも書いたように、つい最近ようやく泳げるようになったくらいで、トライアスロンをやるつもりはなかったのですが、家が近かったのでWESTYで自転車を作り、チームでやる日曜日の自転車の練習にも参加していました。朝8時に巣鴨のお店に集合して大井埠頭まで行き、そこで何周か集団走行をしてショップに戻るのですが、僕以外のメンバーはそこで着替えて、さらにランの練習に行っていました。僕はしばらくメンバーや店長と喋ってから家に帰って昼食というのが毎週日曜日の日課だったのです。クラブには様々なキャリア、職業の人が集まっており、運動経験もさまざまでした。水泳から入った人、陸上競技、アメフト、テニス、バレーボール経験者等々、皆さん個性にあふれており、僕にとっては版画仲間同様に医療関係者以外と付き合うことのできる貴重な場所だったのです。このクラブがあったおかげで、僕は自転車をずっと続けることができたのではないかと思います。ところが自転車のフレームがスチールからカーボンの時代になり、専業メーカーがトライアスロン用の極端に流線型のフレームを自由に作るようになると、かつてのタイプの自転車は時代遅れとみなされるようになってゆきます。WESTYも店を閉じることになり、お店は羽山さんのお嬢さんが営業する動物病院に変わりました。現在でも少数のメンバーが週末練習をやっているようですが、かつてのようにショップで集まって談笑する事はありません。

さて当時のメンバーは現在でもSNSで繋がっており、その中で中華薬膳研究家のAさんを中心に羊のしゃぶしゃぶが食べたいよね、という話が出たのをきっかけに、かつてのWESTYのメンバーに声をかけて集まることになったのです。羊のしゃぶしゃぶだったら、小川町の「龍水楼」でしょうと話がまとまり、10名ほどが11月22日に集まりました。僕もこのお店は20年ぶり位だったのですが、店長は相変わらず元気で、かつてと同じように料理とデザートの説明をしてくれました。テーブル上には炭火でグラグラとお湯が煮えたつ火鍋が置かれています。ネギ、生姜、ニンニク、香菜、ニラはもちろんの事、豆板醤、腐乳、紹興酒、胡麻油、などの薬味で食べるラム肉は実に美味で、あっという間に一人4皿が各人の胃袋の中に。さらに野菜、水餃子、麺と続き、紹興酒のボトルも次々と空きます。かつての思い出や現在の健康状態にも話の花が咲き、あっという間の2時間でした。最後はおそらく日本では、この店でしか食べられない三不粘というデザートです。ねっとりしたカスタードとでも言えば良いのでしょうか、不思議な食感の食べ物です。

集まった全員大満足で、またやりましょうという話になりました。中高の部活と同じで、一緒に走った仲間は貴重です。とくに一緒にトライアスロンのレースを経験した人たちには特別な連帯感があるようです。僕も楽しい一夕を体験することができました。