思い出旅行というのは,かつて訪れた土地に行きその時のことを思い出すものだと思います.先日僕が行ったのは,初めての旅行先で古い友人たちと昔を思い出すというものですから,思い出呼び出し旅行とでも言うべきでしょう.きっかけは広島在住の友人T君からメールの連絡があった事です.これから一緒に山に行くチャンスはそうそうないので,元生物部仲間で八方尾根に行かないかというのです.

 

僕は1958年に当時の教育大学附属駒場中学校に入学しました.そしてさっそく入部したのが生物部だったのです.僕は化学部,物象部にも関心があったのですが,塾友だちのM君の強力な勧誘もあり生物部に入部しました.小学校の時から昆虫にも関心があり,昆虫採集もやっていましたが,系統的な採集をしていたわけではありません.しかし僕を誘ったM君を初めとして,同学年のU君,T君は小学校の時から採集旅行に出かけるほどの本格的な蝶マニアだったのです.そこに僕と同じ程度のレベルだったT君,O君が加わって生物部昆虫班蝶部門が発足したというわけです.その他にカミキリムシ専門のK君,植物のN君,魚のKa君など,生物部はわが学年で一大勢力でした.入部後には蝶の採集に夢中になり,部の合宿の他に同級生と各地の採集に出かけ,そのお陰で小学生時代にはひ弱で運動が苦手だった僕も,それなりに運動にも自信が持てるようになったのです.

 

高校卒業後にはそれぞれ別の分野に進みましたが,生物部のつき合いは続き現在まで続いているというわけです.コロナ以降,山に行くチャンスがほとんど無かった僕はすぐにT君の企画に乗ることにしました.同学年の生物部の中でU君,K君,Ka君はすでに亡くなっています.残る6名の内体調に不安があるというT君を除く5名が参加することになりました.スケジュールはともかく無理をしないことをモットーに,八方池山荘に2泊して行ける範囲で山を楽しむという事になりました.それ以外は自由なので,僕は長野まで新幹線,そこから白馬にバスで行く事にしました.他のメンバーは中央線から大糸線の白馬を目指します.初日は夕食までに八方池小屋に入れば良いので,バスで八方を通過して岩岳に行き頂上で昼食を摂ることにしました.岩岳は冬には何度も来ていますが,夏は初めてです.頂上のベーカリーカフェで景色を眺めながらゆっくり昼食を摂り,バスで白馬に戻りました.ここから八方池山荘に向かいますが,ゴンドラとリフト2本で小屋に着きますので楽なものです.小屋は純粋の山小屋ではなく,5人で一部屋が割り当てられています.食事中も就眠までも昔話が尽きませんでした.

 

さて翌日は八方池まで行く事にしました.小屋からコースタイムで1時間半,晴れて無風であれば水面に白馬三山が映り込む絶景の地です.僕はここで珈琲を淹れて飲むというのを一つの目標にしていましたので,コンロや珈琲,ドリップなどを運び上げることにしました.比較的体力のある僕とT君は稜線コースを進み,脊椎の手術を受けて間もないM君とO君,N君は傾斜の緩い谷筋の木道を行く事にしました.途中で仲間を見失うというトラブルもありましたが,全員が無事に八方池に到着しました.僕はさっそく珈琲を淹れて全員に振る舞いました.山で飲む珈琲は本当に美味しいので,皆さんの美味しいという言葉はお世辞だけではなかったと思います.八方池はそれ程大きな池ではありませんが,水が涸れることがなく,なんと山椒魚が住んでいます.残念ながら山には雲がかかっており,池に映り込む白馬三山を見ることはできませんでしたが,山の空気と高山植物を楽しみながらお弁当を食べました.帰りは木道でのんびりと戻り,この日で帰京するN君を皆で見送りました.夜は昨年奥さんを亡くしたT君から,子どもに迷惑をかけないように断捨離と自分の死んだ時の事をきちんと決めておかないと駄目だと忠告がありました.とくに現在でも昆虫採集を続けているO君,M君には自分にとっては宝物でも,死んだ後は家族には標本は粗大ゴミだぞときついお達しが.たしかしマニアの死後,家の玄関前に昆虫の標本箱が雨ざらしで積まれている例があるのだとか.最近では博物館も標本を引き取ってはくれず,むつかしい問題です.

 

翌日はゆったりとした日程で,長野駅で昼食を摂って帰宅しましたが,T君の発案のお陰で65年来(!)の友情を確認することができました.それぞれが社会人として活躍しましたが,65年前とあまり変わっていないなというのが正直な感想です.おそらく友人たちも僕に同じ感想を抱いたことでしょう.またチャンスがあればどこかで集まりたいものです.