地中海は古来より多くの人が行き来する海であり,技術や文化がその上を運ばれ,それによって現在のヨーロッパやアフリカが形成されてきました.その連綿と続く人の流れの中で,最近大きな部分となっているのが,南から北への不法移民・難民の群れです.北アフリカとヨーロッパの距離はひじょうに近く,もっとも近いジブラルタル海峡は狭い所では14km,比較的遠いと考えられるチュニジア・イタリアのランペドゥーサ島の間でも113kmに過ぎません.この距離であれば,ある程度の危険を冒しても何とかなるだろうと,粗末な船に人をぎゅうぎゅうに詰めこんで出航するわけです.ですから一たび事故が起これば,多数の人が犠牲になり,地中海は今や移民・難民の集団墓地だと言う人もいます.

 犠牲になった難民たちはどうなるのか.通常海の底に沈んだままであれば捜索はされず,海の藻屑となります.運良く(?)たまたま海岸に漂着すれば,身元が特定されないまま集団墓地に埋葬されます.それで充分に人道的だという考えもあるでしょう.しかし残された家族や身内はどうなるのか.彼あるいは彼女が亡くなっている可能性が高いとしても,もしかすると生きているのかも知れないという「あいまいな喪失」の立場に置かれてしまいます.そしてそれははっきりと死が宣告されるまで続き,関係者の心を蝕み続けることになります.それに対して立ち上がったのがこの本の著者でミラノの法医学者クリスティーナ・カッターネオです.法医学とは医学の1分野で,扱うのは一般の医学とは異なり生きている患者ではなく亡くなった人たちです.死体を検案して,死因が何かを解明し,身元不明の死者については死体から得られたデータ(PM)と,可能性のある人物の生前のデータ(AM)とを付き合わせ一致しているかどうかを検討しなければなりません.

 

しかし遭難者については,PMAMも手に入れるのは容易ではありません.遺体の損傷が少なければ,PMの収集にそれ程困難はありません.顔の写真,衣服,皮膚・毛髪の色や特徴,歯の治療跡などに加えて,ときには遺伝子検査も動員されます.しかし遺体の損傷が激しく,他の個体と骨が混じり合った状態では,それは困難を極めます.AMの収集はさらに困難です.そもそもどこの誰か分からないことも多いわけですから,いったい誰に対して生前の写真や,生体情報を得るための使用済みの歯ブラシや櫛を送ってくれるように依頼すれば良いのか.まして例えばエリトリアのような強権国家においては,不法な国外脱出は国家に対する犯罪と見なされ,その家族にも危害が及ぶ可能性があるのです.著者はさまざまなNGOと協力しながら,遭難者たちの情報を何とか得ようと努力を続けます.その結果,最初はこの事業に懐疑的だった地方自治体や一部の法医学者も全面的に協力してくれるようになりました.

 

著者が関わった2つの大きな海難事故は,201310月のランペドゥーサ島におけるエリトリアからの乗客を乗せた船の遭難と,20154月の後に「Barcone(あの船)」と固有名詞で呼ばれることになるシチリア沖で船倉に数百人の難民を満載したまま海底に沈んだエジプト発の貨物船の事故でした.このバルコーネは遺体を満載したまま引き揚げられ,イタリアの海軍基地に運搬され,そこで著者たちが遺体の回収と解剖を行うという一大プロジェクトとなりました.もちろんそれだけの努力を払っても,すべての遭難者のアイデンティティが明らかになるわけではありません.しかし著者はこうした行為が,遭難者たちを同じ人間として扱う証しになるのだと強調しています.日本語的な表現で言えば,死体を遺体にする仕事ともいう事ができます.重い主題の本ですが,イタリアあるいはヨーロッパだけに留まる問題ではないことを,強く認識させられました.