「ウクライナ・ノート」という本があります.元のイタリア語版は2010年に出版されていますので,ウクライナ戦争よりもかなり前という事になります.日本語版は昨年出版されました.翻訳者が僕の友人の栗原俊秀さんで,同じく友人であるディエゴ・マルティーナさんが協力しています.著者のイゴルトはサルデーニャ生まれのロシア系イタリア人で,奥さんはウクライナ人だそうです.イタリアでもっとも活躍するコミック作家で,日本で週刊誌の連載を担当していた事もあり,谷口ジローさんの友人でした.この「ウクライナ・ノート」も絵が中心のグラフィックノーベルというべき作品です.

 

さてロシアがウクライナに侵入して1年半が過ぎようとしていますが,戦線は膠着しています.ロシアが先に攻め入ったので当然ですが,世の中では「ロシア=悪,ウクライナ=善」という価値判断が定着し,ロシア文学の専門家たちまでが肩身の狭い思いをしています.しかしウクライナが真に民主主義国家と呼べる国家であるかどうかには,疑問が残りますし,専制国家vs民主主義国家の争いのように単純化するのは問題だと思います.そもそもこのウクライナ戦争が始まるまでは,多くの日本人はロシアとウクライナが別の国である事は知っていても,なぜ対立しているのか,言語が異なるのか,民族が異なるのか,という事も知らなかったと思います.それは当然で,かつてはロシア人もウクライナ人も旧ソ連国民として一緒にオリンピックに出場し,ワールドカップを戦っていました.旧ソ連の棒高跳びの伝説的名選手のセルゲイ・ブブカはウクライナ人です.

 

ロシア・ウクライナ問題を理解するためには歴史を知らなければなりません.中世以来の歴史ももちろん重要ですが,より近いしかも僕たちからは隠されていた旧ソ連時代の歴史を知る事がきわめて重要です.クリミアの所属問題もここに端を発していますが,この本の1つのテーマとなっているのが,1932年から1933年にかけての「ホロドモール」です.これはウクライナを襲った大飢饉で,その犠牲者は400万人とも1000万人を越えるともいわれています.多くの餓死者が路上に放置され,一部ではカニバリズムが行われたと報告されています.ソ連の公式記録では,全国的な飢饉の1つの現れとされていますが,当時の共産党書記長であったスターリンは富農が多く農業の集団化が遅れていたウクライナを標的として,穀物の強制調達と富農の追放を行い,それが飢饉を極限にまで悪化させることになったと考えられています.これを人道に対する罪と考えるかどうかで,ロシアとウクライナは鋭く対立しており,つい最近まで,実際にこの飢饉を経験したウクライナ人が存命していたわけですから,ウクライナ人が旧ソ連やロシアに対して,どのような感情を持っているかをある程度理解できるのではないかと思います.

 

イゴルトは2008年から2009年の約2年間,ウクライナに滞在して多くのウクライナ人にインタビューを行いました.膨大な量の文字記録とスケッチが残されましたが,それを抜粋してまとめたのがこの「ウクライナ・ノート」です.ホロドモールと関連した物語も,まったく関連しない物語もあります.僕が読んで感じたのはまさにチェーホフの世界だ,という事でした.チェーホフは僕が大好きな作家で,19世紀から20世紀初頭の帝政ロシア末期の庶民やインテリの生活と人生を活写しましたが,この本に登場する現代のウクライナ人たちの人生も100年前と変わらないのだなと,ある意味で感動しました.この本を読んで,ウクライナ戦争の本質が分かるわけではありませんが,両国の対立の一端を知る一助になると思います.