中公新書「唐」の後は,松下憲一著「中華を生んだ遊牧民:鮮卑拓跋の歴史」講談社選書メチエです,この書名を見て「中華を生んだ遊牧民?」「鮮卑?」「拓跋?」「いったいいつの時代の話?」と疑問だらけになった方がほとんどだと思います.僕も鮮卑って高校時代の世界史に出てきたような気がする,という程度の知識しか持っていませんでした.時代的には唐から遡り,いわゆる南北朝時代に華北を統一して北魏を建国したのが鮮卑という民族の拓跋氏という部族で,北魏は4世紀から6世紀にかけて繁栄しました.その後に全国統一を成し遂げたのが隋で,さらに唐へと続くわけです.

 

この本は拓跋氏がその始祖の土地からいかに力を貯めて華北を統一するに至ったかをかなり詳しく描いています.ここでそれを追って行く事はできませんので,思いっきり単純化して述べてみましょう.まず中国の歴史と文化にとって拓跋氏が帝国を築いたことがどのような意味を持っているのか.まずは北魏が遊牧民(胡人)と農耕民(漢人)の融合に成功した最初の帝国であるという事が挙げられます.それには帝国を支配するためには漢人の力を利用する必要があったという胡人側の事情が大きかったと思います.鮮卑には文字文化はなく,その歴代の事績は口伝の詠唱によって伝えられていました.遊牧生活では文字がなくても大きな問題はなかったと考えられますが,帝国を支配するとなれば,戸籍,税の徴収が必要となり,その為には文字による記録がどうしても必要になります.そこで文字による記録と北魏以前から存在していた漢人官僚の力を利用する必要がありました.北魏の都は最初,現在の大同市,平城に造られましたが,後に中華の中心ともいうべき洛陽に遷都しました.その時代の有力家系の一覧が残されていますが,そこには胡人の家名と漢人の家名の両方が記載され,共同で統治を行っていたことが分かります.しかし洛陽遷都に不満を持つ胡人も多く,そのまま平城に残ったり,季節ごとに洛陽と平城を行ったり来たりする胡人もいたという事です.そして平城に残った胡人たちは辺境の警護に当たらされるようになり,洛陽在住の胡人との格差が生じて,それが反乱,北魏の滅亡へと繋がったと考えられています.

 

次には,中国文化に遊牧民の習俗や服装が取り入れられたことが挙げられます.一番分かりやすいのは,椅子の利用とズボンの着用です.これらはいずれも馬に跨がりゲルに暮らす遊牧民の習慣で,それ以前の中国文化にはなかったものでした.さらに小麦粉を用いたさまざまな食品,現代風にいえば饅頭,餃子,麺,餅(ぺい),そして琵琶などの楽器,リズミカルで動きの激しい舞曲なども挙げられます.もうひとつ歴史に大きな影響を与えた制度としてレビレートを挙げておきたいと思います.これは父親が亡くなった時にその妻を息子が娶るという制度で,遊牧民の間では一般的でした.おそらく寡婦となると生活が困難になるという理由と,結婚が他の部族との同盟に大きな意味を持っていたので,世代交代してもそれを維持するという理由があったと思われます.唐代の事例になりますが,自らが皇帝になり新しい王朝を建てた則天武后は,元はといえば先帝の后であったのを,高宗が自らの后として迎えたのです.このように僕たちが中国的と思っているものの中にも,多くの遊牧民由来の文化が入り込んでいます.中華とは固定したものではなく,流動的で変幻自在である事がよく分かると思います.