619日の日本経済新聞夕刊にママチャリの歴史の記事が載っていました.「なるほど!ルーツ探検隊」というシリーズの一篇ですが,自転車好きの僕も知らない事実の記載も多くて勉強になりました.ママチャリとは何かの定義にもよるのですが,女性がスカートでも乗りやすいようにトップチューブを下方に弯曲させた自転車が登場したのは,意外と新しく1956年だそうです.僕たちの世代にとって自転車に乗る女性が重要なプロットとなる映画というと,高峰秀子主演の「二十四の瞳」なのですが,この映画が制作されたのは1954年ですので,この時にはまだママチャリは無かったという事になります.それに壺井栄の原作では昭和3年から昭和21年までの物語ですから,もちろんママチャリはありませんでした.主人公の大石先生は男性用の重い大きな自転車で通勤していた事になります.当時の自転車は非常に高価でしたので,今の感覚でいえば,ポルシェとは言わないまでも,レクサスで通勤していたという感じでしょうか.ユーチューブで確認すれば分かると思いますが,高峰秀子は撮影時には重い自転車に苦労したことでしょう.その後の田中裕子が大石先生を演じた1987年版の映画では,現在のママチャリタイプの自転車が使われたようです.

 

さて1956年登場後のママチャリの進歩は目覚ましく,軽量化,電動化,子ども対応と進んで現在に至っています.低価格化も進行して一家に何台かあるのも普通になってきました.電動アシスト自転車(電チャリ)を利用したことがない方には分からないと思いますが,電チャリの踏み出しの軽さは感動的です.重い荷物を載せていても,子どもが乗っていても,登り坂でも,スーとこぎ出すことができます.値段,重さ,価格,充電の手間の問題はあっても,とくに坂の多い東京で電チャリが普及するのは当然だと思います.電チャリが発売されたのは1993年だそうですが,日本で最初に普及したのは東京の小石川周辺だと僕は確信しています.1994年頃だったと思いますが,小石川のイタリアンのお店にランチに行った所,お店の前が電チャリだらけ,お店の中がそれに乗ってきたママ友のグループだらけで,世の中にこんなに電チャリがあるんだとびっくりした覚えがあります.小石川周辺は坂が多く,比較的裕福な世帯が多い事から普及したのだと思いますが,積極的に販売するお店が近くにあったのかも知れません.

 

しかしスピードが出るだけではなく,自重が重く,積載重量も重くなりがちな電チャリが歩道を疾走してくるのは本当に怖いです.さすがに乗せている子どもさんにはヘルメットを着用させている親が多いようですが,親の着用率はまだまだです.それに本人たちもさることながら,高齢化が進む世の中で,高齢者に接触して思わぬ骨折事故や死亡事故を起こす可能性が増えていると思いますので,歩道での走行はくれぐれも慎重にお願いしたいものです.自転車は本来は車道を走行するタテマエなのですが,日本では車社会へと急速に移行してしまったため,自転車を守るためにやむを得ず歩道の走行を認めているのが現状です.早く自転車専用レーンを整備して,自転車も歩行者も安全に通行できるようになってほしいと思っています.僕自身は英国ブランドのブロンプトンという折りたたみ自転車に荷台を付けて,ママチャリとして使っていますが,買い物など実に重宝しています.体力がなくなってロードレーサーには乗らなくなっても,その後しばらくはブロンプトンは手放せないと思います.