森部豊著「唐−東ユーラシアの大帝国」中公新書を読みました.このところ中国の歴史に関する本を集中的に読んでいます.大義名分で言えば,これから対米国はもちろんのこと,対中国が日本にとってきわめて重要になるという事があるわけですが,もっと端的にいうと,中国の歴史を知らなすぎたなという認識があるからです.これまでの常識(少なくとも僕の)では,中国とは漢人の支配する農業国であり,そこに外から遊牧民が侵入して争いが起こり,時には遊牧民による征服王朝が成立するというものでした.しかしそれ程単純にまとめることはできないようです.唐の歴史だけを見てみても,本当に漢人による王朝だったのか,ソグド人の安禄山がなぜ西域でない場所であれほどの力を蓄えることができたのか,そもそも安史の乱は単なる反乱だったのか,などなどさまざまな疑問が湧いてきます.

 

そこでこの本です.著者も述べているように,中国歴代の王朝の中でも日本人にとって唐は比較的親近感のある王朝ですが,唐だけを取り上げた本は意外に少ないのです.隋と一緒に取り上げられるか,あるいは唐末から五代・宋の誕生までを合わせて概説されるのが習わしでした.もちろんそれには理由があるのですが,著者はあえて唐という王朝の歴史に限定して著述しており,僕にとっては分かりやすく勉強になりました.この本を読んでまず感じたのは,中国人は唐の290年の歴史だけでも,日本の歴史からは考えられないような激動を体験しているのだなという事です.賢帝がいて,愚帝がいて,皇帝を廃して自らが新しい王朝を建ててしまった皇后・則天武后がいて,安禄山がいて,宦官がいて,西域人たちがいて,陰謀があり,暗殺があり,その流れを追って行くだけでも大変です.これは内政だけですが,周辺の国々・部族との軋轢,征服,婚姻による懐柔などなど,外政でも数え切れないほどの問題を抱えていました.中国人が日本人とは異なる歴史観,政治観を持つようになるのは当然と思われます.

 

僕は以前から,中国は皇帝が存在することで初めて国が治まると考えています.秦の始皇帝以来の各王朝はもちろんのこと,共産党支配下の中華人民共和国においても,「党中央の核心」と位置づけられた毛沢東,鄧小平,江沢民,習近平は名称はともかくとして,どう見ても皇帝です.これだけ広大で人口が多く,多数の民族を抱えた国ですから,皇帝という存在がなければ政治の中心がどこにあるのかが分からなくなり,分裂を来してしまうのだと思います.多くの国が分立するという事態も考えられますが,それでは安定がもたらされず,必ず争いが起こることを中国人は歴史から嫌というほど学んできています.そうして成立している体制ですから,西側諸国が専制だ,民主主義ではないといくら主張したところで,現在の体制を捨てて西欧に倣うことは考えられないと思います.皇帝の地位はかつては天から与えられるものと考えられていました.その為に歴代の皇帝はその就任に当たって,天に報告し天から下される命を受け取る儀式を行ってきました.現在はその天が党に変わったと言えるのではないでしょうか.

 

話がそれてしまいましたが,この本を読んで印象的だったのは,皇帝は頂点には立っているものの絶対的な存在ではなく,時には都合で暗殺されてしまう事です.しかし必ずその代わりの皇帝が擁立され,皇帝が空位になる事が避けられています.国を治めるための皇帝の重要性が共通の認識として存在していたことが伺えます.それにしても朝廷における宦官たちの暗躍,半独立国家とも言える藩鎮の動き,黄巣をはじめとする流賊や民衆たちの反乱など,290年の唐の歴史の中で本当に安定していたのはわずかな時期にすぎません.21世紀の中国が動乱の時代を迎えないことを祈りたいと思います.