525日に富山を日帰り訪問してきました.仕事ではなく,友人との会食です.中・高時代の友人のH君は永年,奥さまの実家がある富山に住んでおり,彼が近々手術を受ける予定だというので,それを励ますために行ったのです.じつは彼の息子さんが医学部での僕の教え子で,東大全学自転車部の後輩でもあるのです.僕は自転車部では教養学部の2年間しか活動しておらず,大した実績もないのですが,H君の息子さんは医学部でも活動を続けて,ツール・ド・北海道という学生のごく一部しか出場できないレースにも出場しています.

 

富山には学生時代に立山・剱岳に登って以来,行くチャンスがなかったのですが,昨年から何度か高山に行く機会があり,高山に行くには名古屋経由よりも富山経由が近い事を発見して,富山にも何度か行くことができましたが,乗換で立ち寄っただけでした.そして今回は日帰りの計画を立てたというわけです.学生時代には夜行列車で富山に行ったことを考えると,隔世の感があります.東京駅からかがやきに乗ると,本を読んでいる内にあっという間に富山に到着しました.改札口にはH君ご夫妻がで迎えてくれました.何しろ久しぶり,とくに奥さまは初対面でお二人ともマスク姿だったのですが,お互いに認識することができ,さっそく駅前のホテルの最上階のイタリアンに向かいました.快晴ではなく,立山連峰に少し雲がかかっていましたが,剱岳の荒々しい稜線もくっきりと眺めることができる素晴らしいシチュエーションです.富山の食材を使ったイタリア料理を楽しみながら,昔話や同級生の消息になりましたが,この歳になると亡くなった同級生も多く,話がいささか湿りがちになるのはやむを得ません.でも奥さまのまったくご存じないHくんの中高時代のエピソードも披露することができたのは良かったです.彼は当時書道が学年で一番上手で,いつも書道の先生に褒められていたのです.奥さまはびっくりしていましたが,それを現在やっていないのはもったいないよと忠告しておきました.

 

食事の後,帰りの新幹線まで少し時間がありましたので,少し観光をする事にしました.H君に聞くと,富山は終戦直前の空襲で壊滅的な被害を受けており,中心部には見るべきものはないという事です.そこで観光案内所でのアドバイスに従い,富山港近くの岩瀬という焼け残った街並みを訪ねる事にしました.岩瀬に行くにはかつての国鉄が新しいトラムで再生した富山港線で30分ほどです.終点の岩瀬浜から少し歩くと,古い街並みが見えてきました.ここはかつて北前船で栄え,当時の廻船問屋が何軒も残っているのです.古い料亭や酒屋もあります.とくに廻船問屋の森家,馬場家は一般公開されており,その豪壮な作りは一見の価値があります.馬場家には昭和になって増築された新座敷という部分があり,台所や縁側の造り,井戸など僕が子どもの頃に住んでいた家を思わせる部分があり,何かとても懐かしい気持ちがしました.もっとも僕が住んでいた家は,較べようもないほど小さな家でしたが.廻船問屋を見学した後には,水縁に立つ富山港展望塔に登ってみました.北側には富山港と富山湾が,南側には富山の街並みとその向こうの立山連山が拡がっています.富山湾沿いには東から魚津,滑川,富山,射水,氷見と多くの街が連なっており,昔から住みやすい地域で人が集まっていたことを知ることができます.富山駅に戻り,駅ビルで前回食べ損ねたお寿司を食べ,東京へと戻りました.H君の体調が回復したら,次回は東京で会食したいものです.