資本主義とは何か,というのはきわめて難しい質問で,どんなに優秀な経済学者であっても,明確に答えることは困難でしょう.しかしその定義は難しくても,資本主義が現在の世界を覆いつくしているシステムであることは,誰もが認識しています.システムであるという事は,それが自然発生的なものなのか,個人か集団かが意図的に作ったものなのかという事になります.歴史をみてみれば,個人や集団が意図的に資本主義を作ったとは考えられず,このシステムは自然発生的だということになります.そしてそれがこれほどまでに世界を席巻しているとなると,その理由を知りたくなりますが,人間の本性に親和性がある事は確かでしょう.僕は資本主義の発生・発展を原理的に考える事ができるのは,経済学者ではなく,文化人類学者もしくは進化論の研究者ではないかと秘かに思っていたのですが,僕の知人でもある人類学者大川内直子さんが「アイデア資本主義」という本で,その議論を展開してくれました.

 

著者はまずこの資本主義とはシステムであるという一般的な考えに異議を唱えます.そして資本主義を「将来のより多い冨のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義します.そしてそれが成立するための必要条件として「計算可能性」と「直線的な時間感覚」とを挙げています.ではこの意味での資本主義はどこで発生したのでしょうか.それは一般に考えられているように産業革命が起こったヨーロッパではなく,中国の宋王朝時代(9601279年),そしてほぼ同じ時期のアラブ世界であったとしています.これにはもちろん異論もあると思いますが,この本のテーマそのものとは関係がありませんので,ここでは議論はしないでおきます.資本主義の定義をシステムではなく人間の心的傾向に置くのは,僕には納得できます.それによって資本主義の驚くべきしぶとさ,世界を覆いつくす拡がりを説明できると考えるからです.ではこの心的傾向が歴史的なものなのか,人間の心に遺伝的に組み込まれたものなのかという疑問が起こりますが,著者は各地の前資本主義社会での調査の結果から,どちらかというと歴史的と見ているようです.

 

さて,より多い富を求める資本主義は,その特性としてフロンティアを求めます.中世以降に発展したヴェネツィアやジェノバなどイタリアの港湾都市はそのフロンティアとして中東から中国にまで交易を拡大し,その後にスペインとポルトガルがインドへそして大西洋を越えて南北アメリカ大陸へと進出しました.北米では東海岸から原住民を蹴散らかしながら,瞬く間に太平洋に面する西海岸へとフロンティアが到達したことは誰でもが知っています.そして地域としては最後に残されたフロンティアであったアフリカもフロンティアとしての役割を終えようとしています.著者は地域のフロンティアの他に時間のフロンティアと生産=消費のフロンティアについても論じていますが,ここでは割愛します.

 

著者がこれから重要になると考えているのが,地域,時間,生産=消費のフロンティアではなく,インボリューションすなわち内に向かう発展です.実際にはこうした伝統的なフロンティアの進展にもインボリューションの要素が含まれているのですが,これからの時代にはインボリューションそのものともいえるアイデアが資本主義のフロンティアとなるというのが著者の主張です.それは投資が向かう先がどこであるかを見れば分かるというのです.かつてはアラブ世界に向かうキャラバンや船団に投資が行われました.そしてヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスの遠征に投資が行われ,植民地での農園経営に投資が行われ,大陸横断鉄道や巨大工場の建設に投資が行われました.しかし現代はそうした土地や物ではなく,アイデアに投資が行われるようになっていると著者は主張して,これをアイデア資本主義と呼んでいるのです.「いや,これからは宇宙こそがフロンティアだと」と考える方も多いかと思います.しかし外にフロンティアを求めるという点ではこれまでの資本主義と変わりません.著者はこれからはフロンティアを外ではなく.心の中に求める時代が来ると主張しているのです.

 

資本主義を歴史上のシステムと考えれば,それは他のシステムと入れ替えが可能です.しかし人間の本質的な心のありように基づいていると考えれば,入れ替えは難しく,あくまでバージョンアップということになります.この著書には多くの反論も出てくると思いますが,こうした議論が行われることは歓迎されるべき方向ではないかと思います.