1225日の新聞に,来年度の国家予算が一般会計で107兆円,補正予算を加えると143兆円という報道がありました.こういう額になると,普通人の金銭感覚はついて行けません.1億円であれば,ああ高級マンションの値段か,と具体的事物で見当を付けることができますが,前澤友作さんの宇宙旅行費用が100億円というと,皆さんもついて行く事ができないのではないかと思います.さらに国家予算はその1万倍以上ですから想像の範囲を超えていますが,逆に国家予算であっても,個人が使うお金の1万倍程度かという気もします.しかし国家の運営というのは恐ろしくお金がかかるものですね.国民一人あたりで計算すると100万円以上が必要なわけですので.

 

僕くらい長く生きていると,若い頃に国家予算が初めて1兆円を越えたという新聞記事を読んだ覚えがあります.それがいつであったかを調べてみると,昭和29年から31年にかけて,国家予算に1兆円という箍をはめるべきかという議論があり,昭和31年に1兆円を超えることが容認されたようです.僕は昭和21年生まれですから,昭和31年の新聞記事であれば,当時10歳の僕の記憶に残っている可能性があります.それから60年あまりの年を経て,それが100倍になったという事になります.当時の人口は9000万人で現在とそれ程違いませんが,高度成長期の前で国民皆保険制度もなく,公共事業もほとんど行われていなかったのですから,現在とは予算規模が異なるのは当然でしょう.この後に日本経済は急成長して行き,国家予算も急速に増大して行きます.

 

当時の物価水準は現在の20分の1くらいかと思いますので,国民一人あたり国が使う予算が約5倍になったという事になります.新幹線,高速道路が整備され生活は便利になりましたし,誰もが高度な医療を受けることができるようになりましたので,有り難いとは思いますが,幸福度が増したかどうかに関しては議論があるところでしょう.まあ個人でも,1000万円の年収が5000万円になっても,幸福度が増すとは限らないと言われていますので,国家予算を幸福度と関連づけようという議論はこれに止めておきたいと思います.それよりも考えなければならないのは,それだけのお金がかかっているという事は,何らかの人間の活動が増加しているわけですので,直接にあるいは間接的に,二酸化炭素の排出増加や環境変化に結びついているはずだという点にあるのだと思います.

 

短期的には,国家予算の膨張に財政が耐えられるのかというのが問題点ですが,長期的には,人間の経済活動の拡大がどこまで許されるのかという点に集約して行く事でしょう.人間の活動を貨幣価値で評価することができるのかという問題はありますが,少なくとも現在のシステムでは,貨幣に置き換えて考えるのが,もっとも客観性がありそうです.もちろん他のシステムを考える事は可能で,実際に江戸時代にはもっとも客観的な指標は,米の生産高「石」だったわけです.ですから将来は,たとえば生産・消費される熱量によって,その国の経済規模が測られる時代が来るかもしれません.現在の日本の年間総エネルギー消費量は10,000から15,000ペタジュールだそうです.うーん,100兆円どころではなく,ぴんと来ませんね.