「ミケーネ文明とは何か?」と質問されて、分かりやすく答えられる人は数少ないのではないでしょうか。僕自身もこの周藤芳幸著「ミケーネ文明」を読むまではミケーネ文明の明確なイメージを持っていませんでしたし、読んだ後でもそれがすっきりと解決できたわけではありません。しかし全体的な歴史の流れは、ずいぶんと把握できたような気がします。
そもそもミケーネ文明が分かりにくい、もしくは馴染みを持てないのは、いわゆる古典ギリシャ時代との歴史的な、あるいは文化的な連続性を認識しにくいからではないかと考えられます。これはアジア人である僕たちにとってだけではなく、自分たちの文化の源流が古典ギリシャにあると考える西欧人にとっても同じです。古典ギリシャに関しては膨大な文字資料が残されており、現在でもそれを読むことのできる人も大勢いますし、当時の彫刻や建築も地中海沿岸地方に行けば、いくらでも見ることができます。しかしミケーネ文明に関しては、その発掘調査が進んできたとは言っても、古典ギリシャに比べれば、はるかに遅れているし、その建築や美術も僕たちの美的センスを強く刺激するものとは言えません。何よりも古典ギリシャとは比較できないほど文字資料が乏しく、ミケーネ文明に特徴的な線文字Bが解読されたとはいっても、残念ながら残された記録の多くは歴史記述ではなく、宮廷における物資の貯蔵や分配に関するものが中心なのです。しかしこの時代の言語そのものはギリシャ語であり、古典ギリシャが突然に出現したわけではなく、ミケーネ文明に多くを負っていることは間違いがありません。
かつてパゾリーニの映画「王女メディア」を観たときに、自分がイメージするギリシャとのあまりの違いにいささか呆然としてしまった事を思い出します。その原作はエウリピデスで古典ギリシャ時代ですが、その時代設定は、まさにミケーネ文明の時代ですから、古典ギリシャとはまったく異なる土俗性や残虐性を持っていて当然なのです。エウリピデスはそれに惹かれて戯曲化をし、パゾリーニもまたそれを意識して作品化することで、世界に衝撃を与えたという事ができます。では実際にこの時代はどのような時代であったのか。ギリシャ本土は多くの小国に分かれていたようですが、その小国家はそれぞれ強固な城壁で守られており、とてものんびりした時代であったとは言えないようです。しかしお互いに血を血で洗う戦いを繰り返していたわけではなさそうで、戦いによる死者が沢山発掘されているわけではありません。むしろ緩い共同体を作っていたと考えられます。ミケーネ文明の社会体制については分からない事が多いのですが、遺跡には立派な墳墓が必ずあるので、王もしくはそれに近い有力者がいた事は確かなようです。ただ僕たちが想像するような専制君主ではなく、食物やその他の資材を集めて分配するのが大きな役割であったと考えられています。線文字Bは主にそれを記録するために使用されています。また宮殿内には必ず炉を備えた大広間があり、大勢が集まる宴会を伴う集会が大きな役割を果たしていたようですが、詳細は不明です。ミケーネ文明と古典ギリシャの間には、俗に暗黒時代と呼ばれる歴史の空白期があり、その時代に何が起こったのか、異民族の侵入か、疫病の蔓延か、単なる経済の衰退化が大きな議論となっています。これからの発掘調査や研究によって、それが明らかになる事を期待したいと思います。
古典ギリシャに比べて馴染みがなく、謎の多いミケーネ文明について、概要を知るのに適した入門書だと思います。
- 前ページ
- 次ページ