細井康平ブログ -3ページ目

細井康平ブログ

日々思う事をかきます。
あくまで個人的な内容です。

久しぶりのブログです。

私にとって11月1日というのは大きな記念日であり、書き記したくなったので。

12年前の2005年11月1日、今はグループ会社の株式会社オプトに入社しました。25歳の時です。

それまでは某総合商社に勤めていた超異業界の私を当時盛り上がっていたインターネットの業界へ快く迎えてくれたオプトには本当に感謝しています。

オプトグループでの生活は思い起こせば、5年タームで目まぐるしく変化が起きています。
オプト(5年)→ソウルドアウト(5年)→グロウスギア(2年半〜)という感じです。

入社当時は右も左も分からず、業界用語てんこ盛りのワードに本当に苦労しました。
ただ、周囲に聞けば教えて貰えるし、チャレンジし放題、失敗してもそれでどうこうない、という環境で私はとてもやりがいある日々を過ごす事ができました。
そんな中、オプトはこんな私にリーダー、副部長、部長と経験させてくれるばかりか、2010年からソウルドアウトの立ち上げメンバーとしてスタートアップへ参画し、2015年までインターネットを駆使して地方含めた中小ベンチャー企業の皆様へのマーケティング支援に全力を注ぐ経験を積ませてくれました。

超異業界から来た私がこんな事をできるようになったのは本当にオプトのおかげ。
そして2015年以降は、これまで支援していた先、つまり事業会社の経営者として数々の困難がありつつも色々な事をやっています。

なぜ人材か?と問われれば人手不足の会社があまりに多いから。
めっちゃいい社長や社員、サービスがあるのに人がいないから事業がスケールしない。こういう会社があまりに多く感じたので、なんとかしたいという気持ちから今のグロウスギアの設立に至っています。
また、私も過去異業界から転職したという経験や、大学時代にはとんでもない詐欺に合い多額の借金を背負ったり、昔なりたかった警察官にはあっけなく不合格となったり、アルバイト時代にはとある理由から解雇になった経験もあったりと、一筋縄ではいかないキャリアを歩んで来た事から、このような人達を一人でも多く支援できたらいいなと思っています。

しかしながらやってみると本当に色々あり、困っている人や会社にピンポイントでお繋ぎできるかと言えばそんな容易い話でもなかったりします。
両者には多くの感情があるからです。
ただ、振り返るとオプト、ソウルドアウトでの経験が要所要所で生きている実感があります。
何が生かされているかは、もしもお話する機会があればお話できればと思います。
今後色々仕掛けて行きますので、これからの「細井康平」にご注目ください。

グロウスギアも立ち上げから早2年半。
当初定性的に思い描いていた、
「世の中からグロウスギアが無くなったら困る!」と言われる状態を作るまでは、まだまだ道半ばです。
そして、今はまさにこれまでの集大成としてオプトに恩返しするタイミングでもあると思っています。いわば卒業論文に近いような感覚です。
11月1日はそんな感じで初心に帰れる日だったりします。

今日から13年目に突入。
長いようで短かった12年ですが師走に向けて更にギアを入れて今年を締めくくりたいと思います。

最後までお読み頂いて有難うございました。
これから宜しくお願い致します!

{06DA75AF-0CB0-4DA0-A3E3-5C4B97759CEC}









誰しも1人や2人、新卒時に社会人として育ててくれた先輩はいると思うし、今でも連絡を取れる関係の方がいたりするだろう。

しかし私には現在、新卒入社した会社で先輩と呼べる存在は殆どいない。
なぜなら殆どの人が厳しい労働により会社を辞め音信不通になっているからだ。
SNSなどにも現れず完全に表からは消えている方が多い。
中には自己破産して亡くなった方もいるという。

その中で唯一、私が営業として全く何もできないところから、めちゃくちゃシゴかれ、めちゃくちゃ怒られ、時に温かくしてくれた、そんな尊敬できる先輩がいた。
正直その方がいたからこそ、社会人としての基盤が最低限できた気がする。

その方は凄まじい営業マンだった。
私の横でガンガン出世していた。
時に私がテレアポでアポった時には同行して俺が決めてやると、100発100中で私の横で受注していた。

また、13年前の新卒一年目のある日、その方は、私にカバンをくれた。
OA機器を販売している中、大量のパンフレットを持ち歩く営業だったので、普段からカバンはパンパンだった。
それもあってとても嬉しかった。

今からじゃ考えられないが、当時の営業マンはデカイカバンを持ってる人が多かった気がする。

デカイからなんでも入る。営業マンはデカイカバンを持った方が何かといい。そう言われて貰った。
私はそのカバンを次の会社に行っても使っていたし、今でも宝物として取ってある。

その方からは営業マンは勝負時は必ず赤のネクタイをしろ、ペンは胸ポケットじゃなく裏ポケットにしまえ、など基礎的な事を多く教えてもらった。

まーとにかくめちゃくちゃ怒られたな、と。

そして、どこかで恩返しがしたいと今に至るまでずっと思っていた。


時は過ぎ、それから13年後の今の私は人材事業を行なっている。
特に今は企業と人をマッチングする人材紹介事業をメインに事業を行なっている。

先週、私の携帯に電話がかかってきた。
なんとその先輩からだった。
会社を辞めるから転職先を斡旋してほしい、と。
実にその先輩は15年間その会社に在籍したが、今回とある事情から辞めるらしい。

他にもエージェントはいくらでもいるのになんで私なのか?
正直私がやっていいものなのか複雑な想いがあったが、運命めいたものを感じた。

ようやく恩返しができる、そう思った。
13年越しの感謝のお返しがようやくできる。

2人で話した。
昔話から始まり、どういうところへ行きたいか、条件、将来のキャリア、まーとにかく議論した。
昔のことが色々思い出されて楽しかった。

そして今、仕事の次元を越えた何か熱いものが込み上げている。
必ずその方のキャリアを成功へと導きたい。

新卒の頃の先輩と呼べる貴重な存在。
ようやく恩返しができる。
あの頃より少しでも成長した状態でその方の人生に恩返しができる。
こんな幸せなことはないな、と。

成功した暁には一緒に勝利の美酒を味わおうと思う。

そして聞こうと思う。


なぜ私を担当に選んだのでしょうか?と。






子供の沐浴の練習をしに行きました。


思ったより人形が重くて驚いた!


あとは生後の座学を色々と。
1日に大を6~7回するのには驚いた。
そんなすんのかい!と。


産まれてくるのは娘と確定!
(しつこいぐらい院長さんに聞いたので間違いないかと)


名前はまだない夏目漱石。


途中他の夫婦方もいたので自己紹介コーナーがあり、


「日本で一番優しい夫になります!」


と意味不明な自己紹介を行なった。


産まれてくるまであと2ヶ月。


日本で一番優しい夫になるために修業中なり。


{0EC7645A-AB27-4D85-99C5-8B970797594B:01}