今日は母の日ということでブログを残しておこうと思います。
僕にはもう母の日というものがありません。
というのも今年2025年3月12日、実母が亡くなりました。
2023年12月頃、血糖値が異常に上がり、医師の診断を受けた結果、膵臓癌を言い渡されていました。
そして、癌の場所が悪い事から摘出手術ができず、余命8ヶ月を言い渡されていました。
それからというもの、母が生きている間に母が望む物はそれなりに果たしたと思います。
富士山旅行、鎌倉&江ノ島旅行、初めて僕の東京の家に呼んだり、孫と何度も会わせたり。
その間も母は抗がん剤治療を受け続け、癌が小さくなれば手術もできる可能性があるという事もあり、
懸命に入退院を繰り返して頑張っていました。
ただ、やはり膵臓癌というものは手強く、日に日に痩せ細っていく母を見て、できる限り兵庫の実家に帰省して、
仕事の話をしたり、家族の話をしたり、昔話をしたりしていました。
今年に入り、父から容態が悪くなってきたと連絡がありました。
そこで僕は休みを取り、実家に帰省しました。
その時はまだ母は話せる状態で、父と3人でお寿司を食べに行きました。
母は辛い状態であるにも関わらず、食事中も僕の健康のことや、将来のことなど、しきりに心配していました。
一方で僕が今やっている仕事のことなどを話すと、父と共に、頑張ってるね。と涙を流して喜んでいました。
翌日は弟夫婦と一緒にイタリアンを食べました。
その時もまだ会話はできて、ギリギリ歩ける状態だったのでいつも通り、和気あいあいと楽しい1日を過ごせました。
そして、翌日僕は仕事もあるので東京に戻りましたが、帰る前に「頑張ってな」と母と握手をしたのを覚えています。
それから2日後、父から電話があり、母が倒れて救急車で運ばれたと連絡がありました。
その後すぐ、父に電話し、その後母にLINEして、大丈夫かと聞きました。
その時、母からは「いつも通りの康平でいる事が一番大好きだ」と、「健康でいてくれ」とLINEがきました。
僕は少し照れ臭いのもあり、そっけない感じでまだ「諦めたらあかんで」とLINEを返しました。
その1週間後ぐらいに父から連絡があり、母は寝たきりとなり、話す事も厳しくなったと言われました。
母へのLINEも既読にすらならず、焦りました。
僕は急遽実家へ帰りました。
実家に帰ると母はこれまで見たことのない状態で、
目は虚ろ、布団に寝ながら、話しかけてもなんて返答しているか殆ど聞き取れない状態となっていました。
僕は泣くのを必死でこらえてましたが、つい母の前で少し泣いてしまいました。
孫の動画などを見せたり、色々と元気づけようとしましたが、中々「今までありがとう」とは言えませんでした。
今までありがとうと言ってしまうと、もう母が死んでしまう事を認めてしまうような気持ちになり、
本当に最後まで言えませんでした。
そこからは懸命に父と僕と弟で自宅介護しました。
トイレに連れていったり、歩かせたり、オムツを変えたり、アイスを食べさせたり、飲み物を飲ませたり。
夜中になると、足が痛い、頭が痛い、とずっと言っており、足を温めたり冷たくしたり、頭を撫でたり、できる限りの事をしました。
そして、3月12日昼頃リモートで会議をした後、
母親の状態を確認しにいくと、母はうつ伏せで固まっており亡くなっていました。
前日の夜、いつものように足を痛がる母親に、父と共に座薬を入れた翌日でした。
その後はお葬式から火葬まで行いました。
納骨の時にはさすがに涙が止まりませんでした。
母親の最後の言葉は、夜な夜な僕に言いたいことは何かあるか?と聞いたところ、康平がかわいいと言ってくれていました。
僕は本当に馬鹿息子で小さい時から迷惑ばかりかけていたので、刺激たっぷりで結果的にそういう思いにさせていたんだろうと思いますが、大人になり仕事もして結婚もして孫もできて、少しは親孝行ができたのかなと思っています。
母から教わった事は計り知れません。
今の僕があるのは母のおかげだと思っています。
そして、亡くなってから今日に至るまで1日足りとも母のことを思い出さない日は無いです。
今まで本当にありがとう。
ゆっくり休んで天国から見守っていてください。
僕の康平という名前は母親が付けてくれました。
いつまでも健康で平和に過ごしてほしいという由来のようです。
これからも健康で平和に過ごしていきますね。
ほんまにありがとう!




