気が付けば結構な日があいてました。BLOGの存在忘れてました。



最近良く思うのは
なんで僕はこんなに災難に巻き込まれるのだろうと言うこと。
別に被害妄想がひどいわけでもないし普通になんで?っていう感じ。

その中の1つ5月30日~6月1までの引っ越し劇をお届けしましょう。
さすがにこの時の僕の精神状態は崩壊寸前で出来る事なら日本に帰りたい。
そんな事ばかり考えてました。


僕が引き継ぐ予定だった部屋。
その部屋のオーナーさんが6月1日にカナダを離れると言うことで引き継ぎ手続き。
27?か、28日に1度行った時に書類を書いてデポジット払った。
その日は土曜日でヘッドオフィスの人と連絡が取れないので月曜日にまた来てくれと言われた。
月曜日に行くと今度は違うマネージャーが居て
俺はそんな話聞いていないと言われる。まずここで意味が分からん。
また明日来てくれと言われるも結局話が通っておらず
31日の朝に

「引き継ぎは出来ない。もう他の人が入るのが決まっている。明日の朝10時までに家具とか全部出して綺麗にして出て行け!」と言われる。

意味が分からん。

一緒に住んでるロシア人の女の子たちもろとも出て行かないといけない。
でも、当然次の家も無い。時間もない。

とりあえず、みんなでそこらへんを歩き回りVACANCYの所に片っ端から電話かけて
部屋を見せてもらう。値段も聞いてみる。
いくつか良い所はあったけど、如何せん明日入るとなると厳しい。


一番の問題だった事は僕達がみんな学生だと言うこと。
親のギャランティー(保証書みたいなの)が無いと入れない。
しかしながらカナダと日本の時差を考えると日本は寝てる時間。


とりあえず、1箇所で書類だけ書き明日までにギャランティーはどうにかすると約束して一時帰宅。
夜、親と連絡が取れて姉に英語の書類を書いてもらってスキャンしてもらって
メールで送り返してもらい一安心したのもつかの間。

夜10時から荷物を運び出す。
ロシア人の彼氏がバンを借りてきてみんなでせっせと運び出す。
しかしながら、どうやってこの部屋に入れたのかソファがどうやっても出ない。
仕方ないのでベランダから下に落とす。
もうソファと共に自分の体も持って行かれるかと思った。
部屋が2階だったから出来た荒業。ロシア人たちはキャッキャッ言って楽しんでた。

こんな時でも悠長に構えてるロシア人のハートは凄いなとこちらジャパニーズ2人は感心しました。こっちはご飯も食べれん(食べたくない)位困ってたのに。。。



引っ越しは夜中3時にロシア人の彼氏の家に置かせてもらい終了。


6月1日の朝も少し寝て早朝から契約の為に歩き回り何とか契約出来た。
ちなみにロシア人は自分たちで書類書いてた。反則。
親に免許証のコピーだけ送ってもらってた。さすが。


そして、その日のまた夜10時から第2回夜逃げ開始。
また3時位までかかって最後らへんもう泣きたかった。


一応終了してやっと寝れると思い就寝。
昼位に起きて色々やってホームステイ先に帰ると今度は警察来てて
意味が分からんでとりあえず話してたらカナダ人の子の事情聴取に来たらしい。
僕は彼とクラブに行く予定にしてたけどホストマザーから

「行くな!もし行ったらトラブルに巻き込まれる。
彼は彼の友達に殺すと脅されてる。」


とか言われもう訳分からん。
今ただでさえ家の事で頭がいっぱいなのに余計な心配ごとを増やさないで欲しい。

まだ家のギャランティーを30日までに探さんと出て行かんといかん。



そのことが頭で駆け巡り、日本だったら絶対こんな事起きないだろうなと
勝手に比較しては落ち込み比較しては落ち込みの負のスパイラルに。。。



なんか、やっぱりこれは文では説明出来ない。
しっかり書いたら2、3時間かかりそうなのでだいぶはしょりました。



でも、こっちに来て日本に居る友達に自分のヘタレ具合に気付かされ
以後、これも良い経験だなって思えるようになったのは凄い成長かなと思う。
こんなことを繰り返してるとハート強くなって帰るだろうな。笑



最後に昨日同じエージェントのBBQ開催にあたり場所を視察。
帰りにみんなでバスに乗ろうとしたら
小銭が無くてお札が使得ない事を知らなかった僕は、一人だけバスに乗れずに結構歩いて帰るハメになりました。
これも良い失敗。良い経験だと受け止めてます。笑



おー。。。ギャランティーとかこっちで見つかるわけないやん。


I hate it!!!!!!!!



そいえばバリスタ体験しました。
コーヘイの海外渡航記


新しい部屋!!
コーヘイの海外渡航記