僕は京都で生まれ育った。

 

小さい頃から神社やお寺が近くにあるのも、お祭りがあるのも、当たり前のことだった。

正直、特別だと思ったことはあまりなかった。

 

その感覚が変わったのは、ホテルのフロントで働くようになってからだった。

京都は外国から来る方がとても多くて、仕事柄、いろんな国の方と話す機会があった。

そこで何度も聞いたのが、「日本ってこんなに素晴らしい国なんですね」という言葉だった。

 

最初は、社交辞令なのかなと思っていた。でも、話していくうちに、それだけじゃないんだと気づいた。

 

例えば、八百万の神という考え方。山にも、木にも、水にも、台所にも、神様がいるという感覚。

これは、唯一の神を信じる文化の方からすると、かなり不思議に映るらしい。「なんでも神様がいるって、どういうこと?」と聞かれたことがある。

僕は、うまく答えられなかった。でも、答えられなかったこと自体が、逆に面白いなと思った。

言葉にしなくても、なんとなく分かっている感覚。それが、日本人の中にはあるんだと思う。

 

「いただきます」「ごちそうさまでした」もそうだ。これは、ただの挨拶ではなくて、食材になった生き物や、それを作ってくれた人、運んでくれた人への感謝の気持ちが込められている、と教わったことがある。

外国の方に説明すると、「そんな意味があったんですね」と驚かれることが多かった。

僕自身、正直、子どもの頃はそこまで深く考えて言っていなかった。ただの習慣として、口にしていただけだったと思う。

でも、外から見ている人に教えてもらって、初めて「ああ、これは特別な文化なんだ」と気づいた。

 

京都を歩いていると、100年、200年と続いているお店に出会うことがある。これも、僕にとってはずっと当たり前の風景だった。

 

でも、外国の方からすると、「そんなに長く一つの場所で商売を続けているなんて信じられない」と言われることがある。

考えてみれば、確かにすごいことなのかもしれない。一つの技術や味を、何世代にもわたって守り続けている。

その裏には、きっと簡単には言葉にできない苦労や、諦めなかった人たちがいるんだと思う。

 

神社やお寺、お祭りも同じだ。京都だけじゃなく、日本のいろんな場所に、何百年も続いているものがある。それを「当たり前」として育ってきた自分がいて、その価値を、外から来た人に教えてもらう自分もいる。

 

なんでだろう、と思う。本当は、自分の中にずっとあったはずのものなのに、自分では気づけないことが、こんなにもあるんだなと思う。

 

もしかしたら、これは京都や日本に限った話じゃないのかもしれない。自分が生まれ育った場所の当たり前は、自分では特別だと気づきにくい。外から見てくれる誰かがいて、初めて「特別だったんだ」と分かる。

 

そう考えると、これからも色んな方と話しながら、自分の中の「当たり前」を、もう一度見直していきたいなと思う。

 

読者の皆さんにとって、当たり前すぎて気づいていない「特別」は、何かあるだろうか。