聖徳太子は、

外来の宗教[佛教]を、

公然と取り上げました。

 

その表れこそが、

法隆寺ですね。

 

この法隆寺の名は、

[法(ほう)の隆(さかん)なる寺]と、

受け止めるのでしょうね。

 

[法]は、

いうまでもなく[佛法]ですね。

 

この迷いのない姿に、

圧倒されますね。

 

・・・

 

この時代、

蘇我・物部・大伴の三家系が、

しのぎを削ります。

 

外来の宗教[佛教]を、

受け入れるかどうかも含め、

混乱した世相です。

 

そして、

小野妹子が2度も、

遣隋使として大陸に行きます。

 

日本だけではなく、

世界にも目を向けていました。

 

新しい価値観が、

求められていた時代でしょうね。

 

聖徳太子は、

さすがに、

世界がよく見えていた、

のでしょうね。