わたくし事で恐縮ですが 、
(ブログは、わたくし事ばかりでした)
わたしの、僧名もシリーズになっています。
わたしも、坊さんとしての名前は、
いくつか持っていますが、
ポイントのものだけを、書いてみます。
心蓮社 信誉 楽阿 です。
見おぼえが、ありますね。
そう[楽]阿です。
[楽をして生きよう]
というワケではありません。
(少しは、ありますか?)
お判りのように、
(ねがう)という意味に使っています。
そうしますと、
(ぎょう)という発音になりますね。
わたしが、往生した後に、
何人の人が、
(らくあ)と読む事やら・・・
あらかじめボヤクのは、止めにして、
わたしの名前も心・信・楽と並んでいます。
わたしの、父・師匠の名前は賢至でしたから、
賢至の[至]を、言外に貰いました。
その[至]を、入れますと、
[至心信楽]となります。
偶然、大昌寺も発想が同じですが、
この言葉を用いて、名付けたものは、
多いでしょうね。
(ブログは、わたくし事ばかりでした)
わたしの、僧名もシリーズになっています。
わたしも、坊さんとしての名前は、
いくつか持っていますが、
ポイントのものだけを、書いてみます。
心蓮社 信誉 楽阿 です。
見おぼえが、ありますね。
そう[楽]阿です。
[楽をして生きよう]
というワケではありません。
(少しは、ありますか?)
お判りのように、
(ねがう)という意味に使っています。
そうしますと、
(ぎょう)という発音になりますね。
わたしが、往生した後に、
何人の人が、
(らくあ)と読む事やら・・・
あらかじめボヤクのは、止めにして、
わたしの名前も心・信・楽と並んでいます。
わたしの、父・師匠の名前は賢至でしたから、
賢至の[至]を、言外に貰いました。
その[至]を、入れますと、
[至心信楽]となります。
偶然、大昌寺も発想が同じですが、
この言葉を用いて、名付けたものは、
多いでしょうね。