2024年 城趾・館跡訪問 広島県の城(2) | KOHのブログ

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滝へ行こう カメラを持って

こんにちは。ニコニコ

 

今回も「広島県の城」の続きです。

 

 

では、早速ですがご覧ください。ニコ

 

 

  新高山城  

(広島県三原市本郷町  訪問日:2024年1月)

 

新高山城(にいたかやまじょう)は、(中略)標高197.6mの山頂部を中心に築かれた山城で、その規模は東西400mに及ぶ。北と東は沼田川で守られ、瀬戸内海にも近く、城下には水軍の基地も建設された。本丸、中の丸、西の丸、北の丸、釣井の段、鐘の段などの曲輪が残存し、シンゾウス郭やライゲンガ丸等、独特の曲輪名が残っている。本丸には枡形の土塁遺構や建物の礎石が残っている。城跡は国の史跡に指定されている。(ウィキペディアより)

 

■城遠望 左が新高山城 右が高山城

 

■登城口付近から見上げた新高山城

 

■本丸跡

 

■詰ノ丸

 

■本丸下の石積

 

■釣井の段(井戸郭)の井戸跡

 

【感想など】JR山陽本線・本郷駅からタクシーで向かう予定でしたが、朝早い時間だっだためかタクシーはなく、やむなく徒歩で向かいました。駅から登城口までは結構な距離があり、遠回りしたこともあって30分くらいかかりました。山城ゆえ、そこそこの脚力は必要で、虫もいない冬の訪問でよかったと感じます。城趾は想像以上に広く、井戸跡が6箇所もあり、見所十分です。特に詰めの丸は、石仏や石碑が続いていて、一風変わった雰囲気を持っています。

 

 

  三原城  

(広島県三原市城町  訪問日:2024年1月)

 

三原城(みはらじょう)は、(中略)天主台を北(陸側)に頂いた本丸、その東・西・南側に二の丸、そしてそれらの東側に三の丸と東築出、西側に西築出を設けた梯郭式の城であった。さらには海に向かって船入りを開いており、郭を隔てる縦横の堀の重なりも加わると、満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれている。(ウィキペディアより)

 

■天守台(西)

 

■天守(南西)

 

■天守台(北東)

 

■天守台の上

 

■天守台の上から見た三原駅

 

■船入櫓の石垣

 

■中門跡の石垣

 

【感想など】三原駅のコンコースから天守台に連結している珍しい城趾です。良く言えば天守台を全壊せず残してくれた、悪く言えばなぜここに駅を作らなければいけなないのか、意見が分れそうです。天守再建が各地で行われている中、もし三原城天守台の上に天守が再建されたら、「城が建つ駅舎」として更に有名になりそうです。尤も、当時から三原城に天守は築かれていませんので無理筋な話ではありますが。

 

 

  福山城  

(広島県福山市丸之内  訪問日:2024年1月)

 

福山城(ふくやまじょう)は、1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した城である。大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。形式は輪郭式の平山城だが、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持つために海城としても知られる。五重の天守と7基の三重櫓を有していた。(ウィキペディアより)

 

■天守(南)

 

 

■天守(西)

 

■天守(北)

 

■天守(東)

 

■伏見櫓 (現存 国重要文化財)

 

■伏見櫓 (西)

 

■伏見櫓(左)と筋鉄御門(右)

 

■筋鉄御門越しに見た伏見櫓

 

■筋鉄御門(現存 国重要文化財)

 

■筋鉄御門の大扉

 

■鐘櫓 (現存 市重要文化財)

 

【感想など】天守の北側が黒いのは総鉄板張りのためで、この天守の最大の特徴です。古写真にも写っています。なぜ鉄板張りにしたかといえば、北側の守りが弱いためで、十万石しかない福山の格式で五十万~百万石レベルの五重天守を築いてしまったため、北側を普請するだけの予算が足りなくなってしまったとのことです。この福山城の最大の見所は伏見櫓ではないでしょうか。秀吉の京都伏見城の櫓を移築といわれている、実に貴重な遺構です。普段は内部公開されていませんが、年に一度公開されてるそうで、近隣の方が羨ましいですね。なお鉄板は地元の鉄鋼メーカーの製造と、案内の方に伺いました。

 

 

  郡山城  

(広島県安芸高田市吉田町 訪問日:2024年3月)

 

郡山城(こおりやまじょう)は、(中略)安芸国の戦国大名毛利氏の居城であった。城跡は「毛利氏城跡 多治比猿掛城跡 郡山城跡」として多治比猿掛城と共に国の史跡に指定されている。(中略)築城初期は砦のような小規模な城だったが、毛利氏の勢力拡大とともに拡張され、山全体を要塞とする巨大な城郭となった。後に毛利輝元が広島城へ移るまでのあいだ居城としていた。(ウィキペディアより) 日本各地にある郡山城と区別するため、吉田郡山城や安芸郡山城とも呼ばれています。

 

■百名城の碑

 

■毛利元就公像

 

■三矢の訓跡碑

 

■百万一心碑

 

■毛利一族墓所

 

■三の丸

 

■二の丸

 

■本丸

 

■本丸の櫓台

 

■展望台に掲げられた毛利氏家紋(一文字に三つ星)

 

■安芸高田市歴史博物館

 

■博物館内の甲冑

 

【感想など】歴史本や大河ドラマ他で戦国時代に大きな影響を受けた身としては、かの毛利氏発祥の地にようやくたどり着け

た喜びと感慨深いものがありました。雨が降る悪天候の中、ハードな訪問でしたが、逆に良い思い出となった気がします。安芸高田市は例の元市長で有名になりましたが、地域の人々の毛利氏崇拝は足下にも及ばないなと思います。

 

先の広島城に続いて、広島県の主要な城をご紹介しました。毛利元就、小早川隆景など、東国では中々お目にかかれないビッグネームに触れることができて、とても新鮮でした。

 

では、またパー