2023年 訪れた城趾・館跡 (1) | KOHのブログ

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滝へ行こう カメラを持って

こんにちは。ニコニコ

 

早いもので、今年もあと僅かとなりました。

 

タイトルのとおり、今年訪れた城趾や館跡をまとめてみたいと思います。

 

以前にブログの中で掲載したのも含まれますが、ご容赦ください。ほっこり

なお、日常的に訪れている近隣の城は除いております。

 

では、ご覧ください。ニコ

 

 

  金ヶ崎城  

(福井県敦賀市金ケ崎町  訪問日:2023年4月)

金ヶ崎城(かながさきじょう・かねがさきじょう)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にあった日本の城。別名敦賀城(つるがじょう)。城跡は国の史跡に指定されている。(ウィキペディアより)

 

■主郭(本丸)に建つ城趾碑

 

■月見御殿から見た敦賀湾

 

■堀切跡

 

■金崎宮

 

【感想など】南北朝時代の抗争や戦国期の織田軍の撤退戦など、歴史的エピソードが詰まった城です。見晴らし良い景色を眺めながら、歴史の息吹を感じることができます。

 

 

  福井城   

(福井県福井市大手  訪問日:2023年4月)

福井城(ふくいじょう)は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井にあった城。本丸の石垣と堀が残るが、二の丸、三の丸はほぼ消滅して市街地化している。形式は平城。(ウィキペディアより)

 

■御廊下橋付近の水堀

 

【感想など】夜のぶらり散歩中に撮影。壮大な堀と石垣は見所が多い城です。一方で、城趾内に県庁が鎮座するその姿に、「福井県の司政は、堀と石垣が必要か」と揶揄されている記事を読んだことがあり、妙に納得したのを思い出しました。

 

 

  勝山城  

(福井県能美市辰口町  訪問日:2023年4月)

勝山城(かつやまじょう)は、福井県勝山市にあった日本の城。戦国時代に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築かれた。江戸時代には勝山藩の藩庁が置かれた。現在の勝山市役所付近が城跡中心部で、市役所と公民館があるあたりが本丸跡であり、市役所前の道路付近に堀が設けられていた。(ウィキペディアより)

 

■勝山城跡の碑

 

■本丸跡

 

■城趾碑の案内板

 

【感想など】天守台や石垣が昭和40年まで残っていたそうですが、市民会館建設に伴い撤去されてしまったのは実に残念です。追い討ちをかけるように、歴史上の勝山城とは位置・形式ともに関係はない場所に、日本一の高さの模擬天守(勝山城博物館)が建っています。(今回、時間の都合上訪問しませんでした。)

 

 

  大野城  

(福井県大野市城町  訪問日:2023年5月)

大野城(おおのじょう)は、福井県大野市(旧越前国)にあった日本の城。旧国名から越前大野城の別名を持つ。明治までは大野藩の藩庁が置かれた。現在の天守は昭和に建てられたものである。(ウィキペディアより)

 

■模擬天守

 

■本丸東側から見た大天守と小天守

 

■模擬天守内からの眺め

 

■本丸入り口の黒門と武具蔵の石垣

 

■南から見た小天守

 

【感想など】城としての見所は沢山あります。案内板を充実させるなど、工夫次第で更に良い城址公園に生まれ変わる気がします。

 

 

  丸岡城  

(福井県能美市辰口町  訪問日:2023年5月)

丸岡城(まるおかじょう)は、福井県坂井市丸岡町霞にあった日本の城。別名霞ヶ城。江戸時代には丸岡藩の藩庁であった。現存12天守の一つ。(ウィキペディアより)

 

■東から見た天守(入口正面側)

 

 

■北から見た天守(入口右側)

 

■南から見た天守(入口左側)

 

■西から見た天守(入口反対側)

 

■天守内部

 

■最上階、高欄越しの眺め

 

【感想など】北陸地方唯一現存天守で、今回再訪となります。最初訪れた時、割と市街地の中にあってイメージと違った事を覚えています。丸岡城といえば、かつてのヒット映画「戦国自衛隊」のロケ地として有名です。夏八木勲さん扮する長尾景虎が城主を惨殺後、天守最上階からヘリで脱出するシーンがありました。CGもなかった時代にこの市街地が映り込まないようにするためには、かなり難しかったのでは? 見学中そのシーンの詳細を思い出せず、疑問が残りました。帰宅後、訪問時の記憶が消えない内に自宅で映画DVDを見直してみましたが、”なるほど” と納得しました。

 

 

  一乗朝倉氏遺跡   

(福井県福井市城戸ノ内町  訪問日:2023年5月)

一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだに あさくらし いせき)は、(中略)戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡。一乗谷城(山城)と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる。遺跡全体(面積278ヘクタール)が国の特別史跡で、そのうち4つの日本庭園は一乗谷朝倉氏庭園の名称で国の特別名勝の指定を受けている。(ウィキペディアより)

 

■庭園入口の唐門

 

■唐門(松雲院の山門で江戸時代中期に建てられた)

 

■高台から見た庭園

 

■一乗谷朝倉氏遺跡博物館内 朝倉館の原寸復元展示

 

■一乗谷朝倉氏遺跡博物館内 遺構展示室

 

【感想など】こちらも、今回再訪となります。前回訪問時には無かった「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」が思った以上に良かったです。建物の中に石敷遺構があるのがとても珍しく、こんな保存法や見せ方があるんだな~と感心しました。

 

今回は以上です。無数に撮った写真の中から、今回掲載用にチョイスするのに苦労しました。

今年訪れた城趾、一回で紹介しきれなかったので、次回パート2に続きます。

 

では、またパー