こんにちは ヽ(゚◇゚ )ノ
埼玉の城も、9城目となりました。
今回は県北深谷市国済寺にあります、
「庁鼻和城」を訪れました。
難しい名称と思いますが、これで
「こばなわ」と読みます。
例のごとく、手持ちの書籍から概略抜粋
します。
「庁鼻和城跡は、(中略)現国済寺を中心とした
「内輪」と「外曲輪」と称される推定面積28㌶の
広大な構えであった。現在は国済寺および境内
が残されているが、あたりはほとんど民家と
なっている。境内裏手の内郭の北辺にあたる
一部には高さ1.5~2㍍、長さ約100㍍、
西側には約40㍍の土塁が残っている。」
(幹書房 「埼玉の城址めぐり」より抜粋)
一方歴史としては、
「庁鼻和城は庁鼻和上杉氏の初代上杉憲英
(のりふみ)によって延文・康安年間の一三六〇年
ごろ築城されたと考えられている。深谷の利根川
対岸は上野国の新田荘で、室町幕府に敵対する
新田氏残党の根拠地であり、新田氏らの動向を
監視し不穏な動きがあれば鎮圧する目的であった
と思われる。」(同上)
とありますように、関東管領上杉氏の流れをくんだ
いかにも関東・武州らしい史跡といえます。
それでは国済寺の門から、順を追って進んで
ゆきましょう。
まずは、「黒門」が出迎えてくれます。
よく「黒門」と称する門はあちこちで見られますが、
こちらは文字通り まっくろ
そこに朱色の模様が映え、絶妙なコントラスト
市の重要文化財に指定されておりますが、
のっけから、妙に気になる門ですね。
続いて、「三門」です。こちらも市の重要文化財です。
火灯窓がいいですね
光をうまく捉えたかな?
裏はこんな感じです。
お寺の案内板がありました。
二つの門を通過すると、本堂です。
この裏手に土塁があるはずです。
向かって、左側の通路を通り、本堂を抜けます。
すると、お寺らしくお地蔵さん(合掌)
巨大な瓦があり、
さらに行きますと
上杉憲英公の立派なお墓が
構えておりました。
このお墓の右側に、「現存土塁」が確認できます。
大切に保存されているのを象徴するように
少し遠くから見ますと、小高い丘の様です。
さらに北側には長い土塁が走っています。
内郭を形成する土塁です。
この周辺には、寺社を中心とした
城跡、館跡が結構多く見受けられます。
お寺や神社の場合、今回の例のように
僅かですが土塁を崩さずに残している所
があるので、嬉しい限りです
もっとも、その土塁を城跡と意識する人は
あまりいないようで、そうゆう話をすると大体
の場合驚かれますね。
私が常々思うこと。
それは、「残った史跡を大切に保存したい」
ということ。
このつたないブログが少しでもお役にたてれば、
この上なく幸いです。
最後はエラそうなことをぬかしましたが
今回はこの辺で。
では、また