こんにちは (^O^)
群馬の城4回目にして、
箕輪城を取り上げます。
「箕輪城を語らずして群馬の城は語れない」
と思っていましたが、中々再来の機会
に恵まれず、今となってしましました。
前回訪れたのがいつだったか、
調べてみましたら、
なんと2006年。
実に6年ぶりです。
この城の歴史的特徴としては、まず歴代城主が
すごいですね。
長野氏(長野業政)、武田氏(内藤昌豊)、
織田氏(滝川一益)、北条氏(北条氏邦)、
そして徳川氏(井伊直政)と、期間は短いながらも、
どんだけ~って感じです。
まさに西上野の拠点中の拠点であった城です。
城の遺構も中々なものです。
特に堀の規模はすごいものがあります。
では、順を追って紹介します。
交通機関は殆どありませんので
マイカーで目指します。近場まで行くと
案内板がしっかり導いてくれますので
比較的判りやすいと思います。
搦め手口が見えてきます。
道が狭くなりますが、左側の道を車で昇ってゆきます。
二の丸広場に車が止められます。
ここで、ボランティアの方がいらっしゃいました。
非常に親切で丁寧なおじさんとおばさんでした。
城の案内チラシもいただけます。
またこの城は至る所に案内説明版があって
訪問者にはとても優しい城と言えます。
さて、二の丸からスタートです。
ここは城の中心となっており、各曲輪へと
行き来しやすい構造となっています。
次に、本丸へと向かいまいます。
ここで、箕輪城第一の見せ場が待っています。
これが、その大空堀です。
写真では大きさが掴みにくいと思いますが
幅30m、深さ10mもあり、圧倒されます。
これが、人の手によって掘られたとは、
恐るべき普請ですね。
この堀と道を挟んで反対側にあるのが、
本丸門馬出しです。
草深く、遺構は判りにくいです。
さらに本丸へと向かいます。
ここで、長野業政公の旗さし
ここ地元では、
「箕輪城といえば長野氏」
の思い入れが強いようですね。
本丸脇には、立派な城跡碑。
これは昔から変わりませんね。
やっと、本丸です。
二の丸から距離的には僅かですが
説明に長引きました。
ここ本丸は、とにかく広いです。
ボランティアのおじさんの説明によれば、
時代と共に拡張されたとの事です。
城跡案内板です。
こちらも古いですが、昔からこの図が
基本となっています。
本丸東側は土塁が続きます。
この裏側は、やはり深い堀となっています。
本丸と北側の御前曲輪を分かつ堀切です。
奥に進むにつれスロープとなっており、
城の西側へ出撃できる配置です。
始まったばかりですが、
本日はここまでとします。
まだ先は長いかも・・・
では、また