こんにちは。
こはる凪 ふくろうです。
きょう伝えたいこと
人は自分や家族が不治の病になったり、事故にあったりとさまざまな場面に出くわします。
知らないもの・理解できないものに対して恐怖や不快さを感じることがあると思います。
自然と拒否反応や警戒心を抱くこともありますよね。
そして望んでいない状況になった時、dramaticに捉えていませんか?それは劇を見ているかのように緊張感を覚えるように悲観したり悩んだり。
何が言いたいかというと、
「塞翁が馬(さいおうがうま)」ということわざで
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。
私はこの言葉で随分と気楽に生きています
もう一つ、偏見や差別は無知ゆえに生まれるものだと思っています。
ソクラテスの名言ですが、
知るということは、あなたが何も知らないということを知ることである。それが本当の知識だ。
知っていると知らないとでは、そのものに対する捉え方もかなり変わってきますよね
以下、マゼンタリボン運動HPから引用です
かつて、日本でも「がん」は深刻な不治の病としてドラマティックにとらえられたり、「認知症」は隠しておくべき家の恥だと考えられていたり、「発達障害」はそれそのもの自体が未知の存在だとして、「異質なもの」とレッテルを貼られてきました。しかし、それらは現在、多くの人々が知り、理解することで「あたりまえに受け入れられるもの」に変わりました。
例えば、職場の同僚や隣人、友達、趣味の仲間がそうであったとしても、偏見なく受け入れることができる世の中に変わってきているのではないでしょうか。そしてまた、仮に自分がその立場になったとしても、そのことを隠しとおしたり、強く引け目を感じたりしなくてもよい社会になっているのではないでしょうか。
摂食障害もそのように、「あたりまえ」の存在として受け入れられる社会になれば、というのが私たちの願いです。
このことは、どれだけ医療システムや福祉制度が充実し、また進歩したとしても、必要なことだと考えています。
私たちは、全員、社会の中で生きている。
だからこそ、摂食障害へのとらえかたが社会全体で向上することが不可欠なのです。
みんな自分自身の役割と価値を信じ、懸命に生きている