いろいろ思い出したこと書いてみます。
宝塚に引っ越したのが1994年の4月。
雪組の風と共に去りぬの前でした。
手塚治虫記念館のそばのマンション。
当時美容院に勤めていたので
成人式で慌ただしく仕事していて
「今年は暖かいですね〜、あんまり暖かいと
地震が来るって言いますよね」
「そうなの?そんなの初めて聞きましたわ」
なんて会話をしてた2日後
まさか本当に来るなんて。
当日は月組の並びの日でした。
今と違ってひと公演分のチケットを
窓口でまとめて売るので
買う順番を決めるくじ引きの為
6:30頃から劇場前に並ぶんですね。
うちには2人ファン仲間が泊まっていました。
グラグラっと来た時私はまだ寝ていて
あ、地震だ、おっきいな〜と夢半分。
食器棚が倒れる音で目が覚めました。
1人はトースト焼いてて、
食器棚支えようとしましたが
危ないと判断して避けて無傷。
30分前まで寝ていた所には
29インチのブラウン管テレビが
転げていました。
もう1人はお風呂入っていて
さあ出よう、と片足出たところで揺れたそうです。
裸だし、眼鏡はどっか飛んでったし
彼女が一番パニック起こしてました。
まずガス栓止めて
お風呂に水ためて。
少しドアも開けて。
(この辺はずっと地震くると
言われて育った名古屋っ子ならでは?)
私はとうとう東海地震が来た、
宝塚でこんなに揺れたなら
名古屋は粉じゃないかと慌てて実家に電話。
たいして揺れてないよと言われ、
テレビでは京都で大きな地震と出ていると。
京都が実家の友人が慌てて電話すると
こちらも対して揺れてないよと。
どこが震源地なの?
とりあえず並びあるのか見に行こうと
外へ出たら、真っ暗。
灯りが何もない。
ガス臭い。
なんか壁やガラスの破片がいっぱい落ちてる。
交差点まで出たら
阪急電車が高架で傾いたまま停まってる。
辺りが明るくなってくると
惨状が見えてきた。
花のみちの店が軒並み一階がなくなって
二階が乗っかってる。
動物園の鳥かご状の建物が大きく傾いてる。
バウホールの渡り廊下が崩れてる。
劇場には入れず、
並びは中止と、人づてにご贔屓は無事との
情報が入ってくる。
木造旅館は崩れて材木屋さんみたいになってた。
マンホールから水が噴水みたいに溢れてる。
お地蔵様が倒れてるのを直して
手を合わせる。
家に帰ると食器が割れて床に破片がいっぱい。
靴のままリビングへ。
水は止まってしまった。
2時頃ぱっと電気がつく。
テレビも映った。
飛び込んできたのは燃え盛る街。
潰れてひしゃげた街並。
長田。西宮。三宮。
お風呂の彼女の住む辺り。
「お父ちゃん!お母ちゃん!」
泣き叫ぶ彼女を前に茫然とする私たち。
(家は全壊でしたがご家族は無事でした)
そして聞こえるヘリコプターの音。
今でも忘れません。
私たちはまだ建物が無事だったので
被災したと言っても軽い方でした。
それでも約1〜3ヶ月、水なしガスなしは
きつかったです。
冬でよかった。
いつくるかわからない地震。
備えあれば憂いなしと言うけれど
やはり来ないように祈るしかないですね。
平和に宝塚を観られる日々が
いつまでも続きますように🙏🏻

