『日本国紀』読書ノート(179) | こはにわ歴史堂のブログ

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179】「日本は沖縄を捨て石にした」は一概に誤りともいえない。

 

「日本軍は沖縄を守るために、沖縄本島を中心とした南西諸島に十八万の兵士を配置した。陸軍と海軍合わせて約二千機の特攻機が出撃した。」(P401)

 

沖縄戦で戦った日本の兵力配置は、「足し算」ではなく「引き算」でした。

なんのことかと申しますと…

沖縄戦開始時には180000も兵は配置されていません。

実は、沖縄本島には第32軍の主力が配置されていたのですが、レイテ戦との関係で1945年1月に精鋭の第9師団が台湾に転出してしまっていたのです。

ですから、牛島軍司令官配下の兵は77000で、沖縄本島に上陸したアメリカ第10軍の183000と戦うことになりました。

圧倒的兵力差をみて牛島中将は、二つの飛行場の確保を諦め、本島南部での持久戦を展開する方針に変更したのです。(ちょっとややこしいのですが、沖縄本島の南部に北飛行場と中飛行場の二つがありました。)

ですからあっさりと米軍は飛行場を占拠できました。

大本営は驚きました。沖縄の飛行場をアメリカと日本、どちらがおさえるかがこの戦いのポイントであると考えていたのに、牛島中将は飛行場を放棄してしまったのですから…

昭和天皇も「現地軍は何故攻勢に出ぬか」(『戦史叢書』防衛庁防衛研修所・朝雲新聞社)と疑問を呈されました。大本営はただちに第32軍に攻勢の要望を出しますが、結局大損害を被ってしまいました。

昭和天皇は常に沖縄戦の動向に気をつかわれており、「航空機だけの総攻撃か」と御下問され(『戦史叢書』防衛庁防衛研修所・朝雲新聞社)、豊田聯合艦隊司令長官は戦艦大和と第二水雷戦隊とからなる海上特攻隊に沖縄突入を命じました。

昭和天皇が「疑問」や「御下問」をなされなければ、海軍は沖縄戦に航空戦力しか投入しなかったかもしれません。

結局、戦艦大和・巡洋艦矢矧・4隻の駆逐艦は海底に沈み、聯合艦隊の海上戦力は事実上消滅することになります。

しかし、聯合艦隊は「指揮下一切ノ航空戦力を投入シ総追撃」(『戦史叢書』防衛庁防衛研修所・朝雲新聞社)を続けました。特攻をおこない、ロケット推進の「桜花」も投入されます。

しかし、陸軍は、すでに本土を最終決戦の場と定め、沖縄戦を本土決戦のための「出血持久的前哨戦」とみなし、航空戦力のすべてを投入しようとしませんでした。このため、沖縄決戦を主張する海軍と激しく対立しているのです。

 

「戦後の今日、『日本は沖縄を捨て石にした』と言う人がいるが、これは誤りだ。日本は、沖縄を守るために最後の力をふり絞って戦ったのだ。もし捨て石にするつもりだったなら、飛行機も大和もガソリンも重油も本土防空および本土決戦のために温存したであろう。」(P401)

 

と説明されていますが誤りです。陸軍は本土防空および本土決戦のために兵力を温存していますから「捨て石にするつもり」であった、と指摘されても、とても誤りとは断言できません。

特攻機は2393機が投入され、大本営は「空母2225隻、戦艦4隻、巡洋艦24隻を撃沈破した」と発表しましたが、そもそもこんなにたくさんの空母も巡洋艦もアメリカには投入していませんし、実際は、艦艇沈没は36隻でしたが、空母・戦艦・巡洋艦の撃沈は1隻もありませんでした。

(『十五年戦争小史』「戦線の崩壊」江口圭一・青木書店)