最初に、教科書の「近代」のとらえ方が20年以上前と変わっている、という話をいたしました。
開国から近代が始まっている…
歴史のとらえ方は、おおざっぱに言えば「連続論」か「断絶論」なんですよね。
邪馬台国が北九州にあったならば、ヤマト政権と邪馬台国に連続性は少ない。
邪馬台国が近畿にあったならば、ヤマト政権と邪馬台国に連続性がある。
ちなみに、近現代史で言うならば、満州事変・日中戦争・太平洋戦争は一貫した日本のアジア進出であると考える「十五年戦争」という考え方は連続論になります。
かつては、江戸時代の幕末と明治維新は「断絶」論的な立場で説明されてきました。
鎖国が暗黒、維新が夜明け…
この考え方は現在では否定されており、教科書にもそれが反映されていて、入試でもこの立場での作題が増えてきました。
とくに「文明開化」の説明において顕著です。
従来は、江戸時代が未開、明治時代が開化、という枠組みでとらえられていました。
しかし、文明開化は幕末から始まっていたのです。
ペリー来航以後、いやそれどころか、来航前からすでに幕府・諸藩は欧米の文化・技術の取り入れを始めていて、それぞれ近代化を開始していました。
・砲台の建設
・反射炉の建設
・洋式大砲の製造
・洋式帆船の建造
などがそれに該当します。
伊豆国韮山の代官に
江川太郎左衛門
という人物がいました。
というか江川家は、みな「太郎左衛門」を称していましたからいつの太郎左衛門やねんっ となりますので、いちおう詳細に説明させていただきますと、36代目の
江川英龍
のことです(号は坦庵)。19世紀ですでに36代目、といいますから古い武家で、10世紀くらい興り、頼朝の挙兵を助け、執権北条氏に仕え、足利尊氏にも協力し、さらには後北条氏にも従い、豊臣秀吉の小田原攻めのときには豊臣方に寝返り、さらには徳川家康に従って伊豆の代官の世襲を認められる、という実に「世渡り」の巧みな家がらです。
この江川英龍によって幕府の「文明開化」が始められました。
伊豆の韮山代官としてすぐれた民治をおこなっただけでなく、まずは実用的な蘭学の導入を積極的に始め、
海の守りこそ肝要!
と幕府の海防策の基本的なプランを作成します。
ちなみに、日本で初めてパンを焼いたのもこの人物です。パン、というとそれこそ明治になってから、と思っている人が多いのですがすでに19世紀前半に江戸時代では国産されていたのです。
反射炉も製作し(完成は息子の英敏のとき)、長州の奇兵隊より先に、農民など庶民による軍隊を構想していました(農兵隊の組織は息子の英敏のとき)。
ようやく教科書にもこの人物が掲載されるようになりました。
ペリー来航後では、幕府は「文明開化」を進めていきます。
・外交文書翻訳、洋学教授のための蕃書調所を設置する。
・洋式砲術の調練のために講武所を設置する。
・長崎でオランダ人による海軍伝習を開始する。
・長崎に工作機械を導入した造船所を建設する。
このあたりは入試でも重要なポイントなのですが、
・ペリー以前は西洋の産業革命以前の技術導入
・ペリー以後は西洋の産業革命以後の技術導入
となります。まぁ、ざっくり言うと「機械」を使ってモノを作る技術があるかないか、というところです。
1860年、通商条約の批准では、海軍伝習を受けた勝海舟らが咸臨丸で太平洋を横断しています。
この時期、幕府はもちろん薩摩や長州も「海外留学」を積極的に進めています。
西周、津田真澄はオランダへ、福沢諭吉はアメリカに渡っています。
長州藩では伊藤博文、井上馨が、薩摩藩では森有礼らがイギリスに留学しました。
さらに幕府はフランスと接近し、近代的な技術を導入していきます。
横須賀に造船所を建設、さらには西洋式の陸軍を編成、フランスの軍人から訓練を受けています。
意外に思われるかもしれませんが、幕末、京都に組織された新撰組って、洋式の軍事訓練もしている組織だったんですよ。時代劇や小説では、なんか前時代的な「武士道精神」の集団のように描かれていますが実際は違うんです。
開港地には当然、外国人がやってきて居留しました。
キリスト教の宣教師はもちろん、新聞記者たちもやってきて日本に積極的に欧米文化を紹介してくれました。
ヘボンやフルベッキなどはこのことを積極的に進めてくれた宣教師です。
尊王攘夷のうち、尊王はともかく、「攘夷」の考え方は、実はこうした人々の文化紹介でしだいに人々の心の中から消えていくことになりました。
欧米をみならって(日本には「お手本」にするという文化があります)、近代化を進めていこう、という「空気」が庶民から広がっていきました。
とくに交易に携わる商人たちは、資本提供を背景に武士たちに近代化を説いていきます。
あんさんたち、そんな古い考え方しとったら、お金、出しませんでぇ~
ついつい「上からの近代化」ということに視点が置かれがちですが、「下からの文明開化」がそれを支えていた、ということ、そしてそれはすでに幕末から始まっていた、ということを忘れてはいけないと思います。
(幕末史 完)