後醍醐天皇の肖像 | こはにわ歴史堂のブログ

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後醍醐天皇の肖像画ほど“情報量”の多い肖像画はありません。

 「後醍醐天皇の肖像画」

というと、清浄光寺に所蔵されているものが有名で、ほとんどの教科書の教科書でとりあげられているものです。
あんがいと全体像を見たことがない人もいるかもしれないので、ちょっと説明いたしますと…

まず、背後には大きな文字が書かれた紙が三枚、垂れ幕のように貼り付けられています。

向かって右から

 「八幡大菩薩」
 「天照皇大神」
 「春日大明神」

三社託宣思想、というのがあります。

「八幡大菩薩」が「清浄」
「天照皇大神」が「正直」
「春日大明神」が「慈悲」

を示している、というのです。

わたしの伯母などは、「後醍醐天皇のお人柄を表しているんやで。」と申しておりましたが…

単純に、わたしなどは、

「八幡大菩薩」=武士
「春日大明神」=貴族(藤原氏)
「天照皇大神」=天皇・皇族

をそれぞれ象徴していて、この三つを天皇が統べるのが「建武の新政」なのだ、ということを示している、と考えておりました。

ただ、この「張り紙」は、この肖像画にはもともとなかったようで、後に貼付されたものと考えられています。

さて、後醍醐天皇の御姿なのですが…

当時の天皇の御衣裳とは、ずいぶんと違います。


になんだか、ぶらさがっているものがたくさん付いている冠は、

 冕冠(べんかん)

と、呼ばれるもので、中国の皇帝がかぶるものです。

あたかも、奈良時代の天皇のような感じ。
そして、そのてっぺんには、真っ赤な日輪が描かれている。

中世において“真っ赤な”日輪とともに描かれている天皇、というのは美術史的にも珍しいものです。
というのも、これは、奈良時代どころか、飛鳥時代の聖徳太子の時代によく使用されたもので、天武天皇以後、天皇とともに描かれる「日月」は、

 金と銀

で描かれるようになったからです。

南北朝時代は、“第三次聖徳太子ブーム”のときなので、日輪を「赤」に描く、という“復古的”なことがおこなわれたのかもしれません。

御召し物をチェックいたしますと…

 黄櫨染御袍

ん??? なんだこりゃ?? となりそうですが、「こうろぜんのごほう」と読み、天皇しか着ることが許されないものです。

で、その上から

 袈裟

をかけられていて、左右の御手には、杵(しょ)と鈴(りん)という密教の仏具を持たれておられます。

座する畳のふちには「獅子」が描かれ、敷物は「蓮」。
蓮の上に坐する、というのは、天皇御自身が、あたかも曼荼羅の中心の大日如来であるかのよう…

 神なの?仏なの?皇帝なの?

という、ものすごい御姿で後醍醐天皇が鎮座されているわけです。

そもそも、この御姿、仇敵調伏、の祈禱をなさっているもの、とはよく言われるところです。
密教の呪法と祈禱によって、鎌倉幕府を倒す! という意志をしめしているとよく説明されるときがあるのですが…

じっとこの肖像画をみつめていると、そんな猛々しい印象は伝わってこないような気がします。
穏やかで、上品で、何やら御満悦、という感じの御表情です。

やはり、武士・皇族・貴族を束ねた新しい政治をおこなう、そしてそれを実現できたのだ、というような、「建武の新政」の“そのもの”を示している絵画のような気がします。