政治と外交とお坊さん(序) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

貴族・武士・僧…

平安後期から近世までの日本史で、彼らが日本史の潮流の三つであったといっても過言ではありません。
とくに歴史の中での僧の果たした役割、というと、あんがいと教科書では語られないところ…
こんな事件があった、こんなできごとの裏でこういう人がいた…
重要な役割を演じている「僧」というものにスポットを当ててみたいと思います。

そもそも、「僧」というのは、本来は俗世から離れて仏道を修行している存在です。
政治や外交と関わりがあってはならぬはず…

政治と密接なつながりをもった奈良の国家仏教…
新しい平安時代は、まさに「政教分離」から始まりました。

桓武天皇が都を京都にうつしたことの理由の一つに、「仏教勢力の強い奈良を離れて…」という説明は高校の教科書などでも述べられているところです。
小学生でも、塾などで「政治に僧が口出しするようになったので、寺院勢力の強い平城京から都を変えた」ということを習う場合もあります。

そこで、注目されたのが「密教」です。

山などを修行の場(俗世から離れた場)として選び、現世の利益を祈禱などを通じて「祈る」(政治的手法ではなく)、という「平安新仏教」は、政治と宗教を切り離して政治の刷新を図ろうとした桓武天皇、嵯峨天皇らにとって、実に好都合なものでした。

わざわざ平城京の寺院が移転することを禁じた上で、長岡京、そして平安京へと都をうつすことになります。

ただ、政治と宗教が切り離された、と、考えるのは日本史の場合はちょっと違うような気がするのです。
奈良仏教の僧は「貴族」として他の貴族と同様「外に」並ぶ存在ですが、平安新仏教の僧は、あたかも天皇の側近、つまり「内に」とりこまれた存在のような気がするのです。

天皇の政治に対抗しようとするものではなく、天皇の政治を補佐するというような、そういう存在になったような気がします。

その意味では奈良仏教の僧が「貴族化」したことに対して、平安新仏教の僧は「官僚化」したといえるような気がします。

僧は言うまでもなく、仏道を説きます。
俗世から離れた立場で、人を導き迷いを解消する…
相談役としてはある意味適任であり、しかも当時の「僧」は、さまざまな「知識」を持っている存在です。

どうしようかと考えている政治家が、心を鎮めて考える場を寺院に求めたとすると、そこの「僧」は世俗から離れているかゆえに「相談」をしやすい存在ともなります。

密教や禅の僧…

支配者の近くにあって、いろいろな影響をあたえたことは間違いありません。
どう言えばよいでしょう、ある分野において大学教授を政治の顧問としたりすることがあるように、特定の僧たちは、そういう形で政治と関わりを持っていくようになりました。

大学教授から転じて政治家になった人もいるように、僧でありながら大名家に仕えて政治を補佐する、というような例がたくさんあらわれていきます。

そういう歴史を動かす、結果として動かしてしまった僧たち…

政治と外交とお坊さんについて、これから何回かお話ししていこうかと考えています。
さてさて第一回は、

「文覚上人」

です。はぁ?? 誰それ? となる方も多いと思いますが… (次回に続く)