第41回は、「歴史に残る名言スペシャル!」でした。が…
たいていの方は、
どこが名言やねんっ
と、ツッコミが入るような内容だったかもしれません。まさに“迷言”の数々…
その“名言”を述べた人物の一人として、
安倍晴明
をとりあげました。
安倍晴明は、小説にもなりましたし、ドラマや映画にもなりました。
イケメンで、次々と怨霊を退治していく陰陽師、というイメージを持たれている方も多いと思います。
ただ、先に申し上げますと、番組でも少し説明したように、彼の“不思議”な“なぞ”の“神秘”な逸話は、『今昔物語』『宇治拾遺物語』『十訓抄』という、ちょっと「盛り」が入った、「おもしろおかし誇張」の書にももちろん記されているのですが、
『小右記』『御堂関白記』『大鏡』
などの史料にも、キッチリと書かれていることがあるんですね。
ほんまにそんな能力があったんちゃう? と、思うような印象をぬぐえません。
その、「記録」にも残るスーパー陰陽師として活躍は、実は、かなり歳をとってから(当時の年齢からいえば、ほぼ老年世代)のことです。
天徳四年、といいますから、西暦では960年で「天文得業生」になっています。
これ、陰陽寮で、天文博士から天文道を教えてもらえる「学生」のことなんですよ。
このときが40歳。
天文道を40歳で学び始めた、ということです。かなり出世は遅れている、というべきか…
藤原氏以外の貴族の悲哀と現実がよく示されているところだと思います。
50歳をすぎたころに「天文博士」となっていますが、村上天皇から依頼された「星占い」が高く評価されたから、と言われています。
そして色々な「記録」に晴明の易占、陰陽道の術の数々がみられるようになるのは、天元二年あたりで、それは西暦で979年ですから、なんと59歳、ということになります。
テレビやドラマで取り上げられている「逸話」の数々は59歳以上になってからの話ばかりなのです。
『小右記』では、一条天皇の病を祈禱によってたちまち回復させた、という有名な逸話は正暦四年のこと。西暦で993年。74歳ということになります。
『御堂関白記』では、雨乞いによって、長期にわたる旱(ひでり)を終わらせたことがわかりますが、これが寛弘元年。西暦では1004年ですから85歳のときです。
陰陽師、というのは、かなりの下級貴族で、どれだけ出世しても位階は七位が限界だったのですが、従四位、という殿上人にまでのぼりつめました。
さてさて、番組で取り上げた晴明の「名言」は、
そろばん(算木)で爆笑をとってみせましょう。
でした。
実は、天文道では、「計算」がたいへん重要で、晴明はかなり算術が得意だったようで、陰陽寮から、なんと
主計寮
に勤務するようになります。穀物院の別当、という経済官僚(現在で言えば食糧庁長官)となっています。
計算力の高さをかわれてどんどん出世…
そろばんで、笑いがとまらなかったのは、実は安倍晴明だった? という話です。