こはにわは、学生時代、塾の講師をしておりました。
中学受験のための塾です。
ここで、教えていると、子どもたちの「素朴な」質問、というのにずいぶんと困らされました。
でも、たいへん勉強になったことも確かです。
かつて自分も子どもであったことがあったのに、子どもの視点や気持ちをすっかり忘れて大人になってしまったことがよくわかりました。
いろいろ素朴な質問がありました。その一つが…
「忠臣蔵は、なんで『蔵』なん? 話に『蔵』なんか出てこないやん。」
え… いや、それは…
恥ずかしながら、学生時代の私には即答できませんでした。
「そんなん考えたことないな… なんでや? 上野介がつかまったところが蔵やったからか?」
と、間抜けなことを考えてしまいました。
「忠臣蔵」は、「赤穂事件」をもとにした歌舞伎の脚本です。
『仮名手本忠臣蔵』の通称。
「赤穂事件」は、浅野匠頭が、吉良上野介に殿中で刃傷におよび、とりつぶされたところから始まります。大石内蔵助率いる旧浅野家の家臣たちが、主の敵を討つべく吉良邸を襲撃し、上野介を討った、という事件です。
この処分をめぐって、幕府内はいろいろとモメたこともあり、この事件そのものの詳細を明らかにすることはタブーとなりました。
事件は、民衆の知るところとなり、幕府に対する不満とともに賛美され、それが竹田出雲・並木千柳によって演劇化、脚本化されました。
ですから、なんせうっかり扱いを間違うと幕府批判になる題材。よって登場人物の名前はすべて実在の者とは違う名前に変えられています。
観た人たちが、「はいはい、これ、あの話ね。おもろいぞっ もっとやれっ」となるような仕掛けになっているわけです。
大石内蔵助 → 大星由良助
浅野匠頭 → 塩冶判官
吉良上野介 → 高武蔵守師直
「赤穂事件」を、もう一つの事件、『太平記』二十一巻「塩冶判官讒死の事」と重ね合わせたものなのです。
高師直が、出雲守の塩冶判官の妻に一目ぼれ、『徒然草』で有名な吉田兼好に代筆させてラブレターを書いてもらうのですが、見事にフラれてしまいます。
恨んだ師直は(え… 恨みも何も…)、足利尊氏や足利直義に塩冶判官が謀反を企んでいる、と、ウソをでっち上げ、塩冶判官もその妻も非業の死を遂げる…
という事件を題材にして、「赤穂事件」をあらわしたわけです。
『仮名手本忠臣蔵』の作者は、別に高師直のことを悪人に仕立てるつもりはなかったのですが、「赤穂事件」だけではなく、一般庶民にも『太平記』そのものをよりいっそう普及させ、「上野介、悪いやっちゃな~ ええぞ四十七士!」というだけでなく
「高師直、悪いやっちゃな~」
と、いうことも広めてしまう思わぬ“効果”を生み出してしまいました。
付けて加えて、戦前の教育で「朝敵、足利尊氏」が強調され、「悪の尊氏」、その手下の高師直は「悪の悪」というように、二重に“悪行”が重ねられてしまいました。
前にも申しましたように、こはにわは、自称“歴史人物弁護士”です。
高師直の“冤罪”
とまでは言いませんが、実際以上に歪められた“高師直”像を少し矯正したいと思います。
比喩的に説明しますと…
テレビドラマでは「校長先生が良い人、教頭先生が悪い人」の法則があります。
1970年代以降、学園モノのドラマが流行しますが、どういうわけか校長先生は話のわかるよい人が多く、教頭先生は頭が固い、なんだか悪い人、みたいに演出されています。
サラリーマンのドラマでも、部長はいい人、でも課長や係長はちょと意地悪、小さい人物、というような感じに描かれます。
足利尊氏の執事(後に管領という名称に変わります。実際は微妙に違いますが…)、高師直は、「中間管理職」というか、実際に政治を担当する役職ですから、武士たちを「査定」する立場にある人物でした。
そもそも、領地や手柄の訴訟を被告・原告両方満足いくような裁定は下せません。尊氏が認定したものであっても、
「こんな決定しやがって!」
と、恨みは総大将の尊氏には向かわず、目の前の高師直に恨みは集中します。
高師直そのものも、足利家を盛り立てようと、「汚れ役」を自ら引き受けているようなところもありました。
豊臣政権における石田三成もおそらく、そんな立場にあって、必要以上に大名たちから嫌われていた、と、みたほうが辻褄が合うところもあります。
歴史は、誰かを「悪人」にしたうえで、何かを説明してしまおう、とする“力学”が働きます。
人は、何かに「腑に落ちたい」んですよね…
南北朝時代の“観応の擾乱”、という、かなりややこしい話を、どうやったらうまく説明できるか、というところで、その回転軸となる悪役担当に、高師直がバッチリはまってしまったんですよね…
だいたい人に嫌われる、ということは、それだけ仕事をしている、ということです。
賢者はすべて悪人ではありませんが、悪人は100%賢者です。
初期の室町政権は高師直無しでは回転しませんでした。高師直は「功労者」ですよ。
主人の足利尊氏が「悪人」として扱われていた時代は、高師直はそれを助けた「悪人」で『太平記』と『仮名手本忠臣蔵』によって増幅された「悪行」が重ねられます。
足利尊氏の評価が変わり、実は立派な人だ、と、なったときは、その尊氏の良さを引き立てるために、かえって高師直が尊氏の悪い部分の業績をすべて引き受けたかのように説明されてしまう…
高師直の評価をもっともっと転換しないといけません。
ちょっとちょっと、こはにわ先生っ 今日の話の題名は
「もう一つの二・二六事件」
じゃないですか。いったいどこが二・二六事件なんですよっ!
と、みなさんのお怒りが聞こえそうです。
いやいや、それよりもっ 『忠臣蔵』の「蔵」のことも解決してませんよっ!
と、イライラしているみなさんもおられるかもしれません。
す、すいません。え~と… ではまず『忠臣蔵』のほうから…
もうしましたように「赤穂事件」そのものは当時扱えません。でも、“メッセージ”も込めなくてはなりません。
「塩冶判官」の「塩」は明らかに、赤穂の塩から浅野匠頭を連想できるようになっています。
「高師直」の「高」は明らかに、「高家」(幕府の儀礼担当官)筆頭、吉良上野介を連想できるようになっています。
では、「忠臣蔵」の「蔵」は? 簡単です。
「天下の忠臣、内蔵助」。
モロにこんな題名にしたら幕府に怒られますからな。それにしても、昔の人のシャレは効いております。
さてさて、足利尊氏と、弟、足利直義が争った内部対立が「観応の擾乱」なのですが、打出浜の戦いで、直義が勝利し、その講和条件となったのが
高一族の政界からの引退と、高師直の出家
でした。尊氏は、あっさりとこの講和を受け入れ、高師直を出家させて、身柄を引き渡します。(た、尊氏! 冷たいぞっ)
ところが、その身柄が京都へ護送されている最中、足利直義派によって高師直が「暗殺」されてしまうことになります。
それが
正平六年/観応二年の二月二十六日
というわけです。
ちなみに、高師直と対立していた足利直義ですが、翌年の同じ二月二十六日に病死する…
なんともいえぬ“符合”です。
そして誰もいなくなった…
あ… 足利尊氏一人が残りました。
自分の汚名を全部部下が引き継いで死んでくれ、対立しているライバルも消え…
気が付けば、尊氏にとって一番都合の良いように“決着”していた、というわけです。