戦国時代の記述の大部分は、実は江戸時代に編集されたものです。
太平の世になると、かえって戦国時代への郷愁から、さまざまな軍記物、講談などが書かれたり演じられたり、また、軍学なるものが生まれたりして、その中で、色々な武将の戦い、生き様が描かれるようになりました。
すべてフィクションとは言いませんが、誇張があることは確かで、後に浸透する儒学や、武士道という道徳も加味され、取り上げられた武将のエピソードによっては、ヒストリーではなく、ファンタジーと言ってよいものも生まれてしまいました。
儒学者や軍学者によっては自らの思想を、戦国武将に語らせたりしているようなものもあります。
機会があれば、そういう話もしていきたいと思っています。(詳しくは拙著『日本人の8割が知らなかったほんとうの日本史』をお読みください。)
さて、今回は、戦国時代の戦闘などでいったい何人の人が犠牲になっていたか、という話です。
結論から申し上げますと、よく言われるほどの死者は出ていない、ということです。
アメリカ合衆国を二分した南北戦争は、60万人が犠牲となりました。パリコミューン事件でも20万人が死んでいます。
では、日本の明治を始める戊辰戦争の犠牲者はどれくらいだったか?
約1200人
です。
え? これって少なすぎないか?
日本の内乱は、人があまり死なないんですよね。
現在の日本の人口は1億2600万人。
江戸時代は、3000万人。
鎌倉時代から室町時代は1200万人。
現在の人口の10分の1ほどで、武士の人口は7%くらい…
80万人ほどが日本の総兵力の時代、そんなにたくさんの兵力を一時に動員するのはなかなか難しいんですよね。
島国の日本では、言語も民族も同一で、宗教も多様で欧米のような信仰上の深刻な対立はありません。将官級はともかく足軽レベルですと、負けそうになると逃亡しますし、殺すよりも捕らえて人質にし、身代金と交換する、という方法も多くみられました。
あんまり人が死なないんですよね、日本は…
長篠の戦いでも、武田側は1万人犠牲が出たと、軍記物や講談では語られますが、当時の一級史料ですと、『多聞院日記』で1000人、『兼見卿記』でも数千騎であったと記されています。
武将は責任をとって切腹、自刃、というケースが多いのですがそれ以外は基本的に逃げるか裏切るか、主を都合よく変えるか、というのが普通でした。
主君に忠義を重んじることを説く儒学が強調されたということは、逆に言えば、江戸時代以前は主君への忠義がなかった、という証拠でもありますよね。
このことは、将棋とチェスを比較すればよくわかります。
チェスは、見たとおり、白黒はっきりしています。
取った駒は死駒で、復活はありません。
しかし将棋は、相手の駒を自分の駒として使えますよね。
チェスは絶滅戦ですが、将棋は基本的に死駒がありません。皆、生きています。
西洋は敵を倒す戦争ですが、日本は敵を味方にする戦争をします。
お家は断絶させても、家臣や末端の兵士を絶滅させることはまずありません。
戦国時代、という表現だと、しょっちゅう戦争して人を殺していたかのようなイメージですが、戦争していない時期のほうが長いのです。
戦争よりも交渉のほうがはるかに多く、いかにうまく、敵に味方している勢力をこちらの味方にするかが大切でした。
その交渉が失敗したとき、どちらに味方するのが得なのかを知らしめる最後の手段が戦さだったのです。
その点、『戦争論』で有名なクラウセヴィッツの説く
「戦争とは外交の延長である。」
ということを最も巧みに実践していたのが日本の戦国時代といえそうです。