「戦国百花繚乱弁当」発売記念夜話(3) | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

三月十一日、関西地区で、ファミリーマートとコヤブ歴史堂がコラボしたお弁当、

「戦国百花繚乱弁当」

が発売されます。

それを記念して… というか、それにちなんだ歴史のお話しを少々…

「塩鮭」をいただきながら、ちょっし白米を箸にのせ口に運びます。
うむうむ、おいしいぞ。

さてと、次は… 「蓮根のきんぴら」をつまんでみましょうか。

肥後国(現在の熊本県)の大名、加藤清正。
すでにコヤブ歴史堂でもとりあげた戦国時代の武将です。

ところで、みなさんは、

「日本城郭検定」

というのがあるのはご存知ですか?
戦国時代ファン、の中でも、「城が萌えるっ」という人も多いと思います。腕におぼえがあるならば、是非、受けてみてください。

この「城郭検定」の中で、次のような問題が出されました。

○ 熊本城は籠城に備えて様々な工夫をしていたが、事実でないものはどれか。

おお、加藤清正は、城造りの名手と呼ばれ、いろいろな熊本城には、いろいろな工夫がほどこされていたことでも有名です。さてさて、どんな問題なのか、と、見てみますと…

① 堀に蓮根を植えた。
② 井戸が120もあった。
③ 庭に銀杏を植えた。
④ 畳の芯に干瓢を使った。

あれれ?? これ、全部、正解なんじゃないのかな…
と、こはにわは思ってしまいました。

しかも、わたしの記憶では、

畳に「芋茎」を用いて、土塀の中に「干瓢」を入れた。

というのが熊本城の説明であったような気がしたんですよね…

「干瓢じゃなくて、芋茎じゃろ」

と思って④かと思いきやっ 正解は、なんと①。

ええ?? うそ… ちょいちょい待って… ①は有名な話ではないの??

もし、そうだとすると、色々な話がくるってしまいます。

熊本城の外堀に、籠城に備えて蓮根を植える。
それが繁殖する。
その後、熊本藩主になった細川さんが病気になる。
禅僧から、蓮根、体にいいよ、と、すすめられる。
で、まかない方が、蓮根の穴に、みそやら辛子などを練り込んでおいしくした。
「辛子蓮根」の誕生!

という話のベースの部分が揺らいでしまいます。

ただ、細川家の家紋は、「九曜紋」といって、蓮根の断面に似ているので、これを藩の大切な名産にしよう、と、なった、という逸話もあります。

辛子蓮根はそもそも江戸時代に入ってできたものですし、蓮根そのものを珍重したのは申しましたように、細川家の家紋に似ているから…

う~ん… これは、やはり「清正伝説」であって「事実」ではないのか…

これはヤバイ… 「戦国百花繚乱弁当」の「蓮根のきんぴら」は、加藤清正、ではなく、細川忠興にしないとアカンのか…

「日本城郭検定」の解答作成は、あくまでも「記録」として残っている「事実」をもとにつくられているのであり、伝承・言い伝えは、「確認された事実ではない」という立場から①が「事実ではない」、と、されたんだと思います。
変な話ですが、①が事実である、とすると、いったいどの文献に書いてあるんだっ と、ツッコミが入った場合、「ここに書いてある」と示せないものなのですよね。

この点、コヤブ歴史堂でも厳密に取り扱っているところで、「にゃんたのマル秘ファイル」は、現存する「記録」で、「原文」が確認できるもの、という絶対条件があるわけです。
どんなにおもしろい話でも、原文が見つからない場合はボツ、と、なっているんですよ。

ただ、現実の歴史学は、記録にはないが「伝承・口誦」というのを否定的には取り扱いません。「記録があるから事実だ」と断言しすぎるのも危険な判断なんですよね。
記録を改ざんしたり捏造したり、プロパガンダに利用したり… 歴史家はそういうことも見破らないといけません。

井戸を120も掘り、畳の中に芋茎を仕込み、土塀の中に干瓢を練り込んで、庭に銀杏も飢えておく…
「清正さんが熊本城のお堀に蓮根を植えなさったのだ」という伝承があることこそ、加藤清正がいかに籠城に備えた工夫を徹底していたか、を示す証で、この伝承そのものの「史料価値」はかなり高いといえるのです。

だって何にも工夫しなければ、そんな話すら出てきません。

実際、清正の工夫は、太平の江戸時代では活きることはなかったのですが、300年以上たって、その「威力」を見事に発揮します。

1877年、西郷隆盛が不平士族を率いて西南戦争を起こしました。
このとき、西郷軍は、熊本城を包囲し、ここにたてこもる官軍と交戦しました。官軍が駐留する熊本城を落とすことは、この反乱の成否をにぎる重要な戦略だったのです。
ところが、官軍は熊本城に籠城し、長期戦に耐え、西郷軍の作戦を失敗に終わらせました。
じつに西南戦争における西郷隆盛の敗北は、熊本城を落とせなかったことにあったとしても過言ではありません。

西郷は言います。

「われわれは官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ。」

もぐもぐと、「蓮根のきんぴら」をいただきながら、こはにわはそんなことを考えておりました。

(次回に続く)