その時の二人 光秀と秀吉
「殿? 今、なんと申されましたか…」
二人は信長の言葉に耳を疑い、思わず顔を見合わせた。
三度は言わぬ。
伽藍諸堂、ことごとく灰にせよ。
出てくる者は女こどもとて容赦はするな。
みな、なで切りに斬り殺してしまえ。
藤吉郎はゴクリとつばを飲み込むと、何かを言おうとして、またその言葉を飲み込むしかなかった。一方、光秀は膝を前に進めて、ふだん冷静な彼にはめずらしく大声を張り上げた。
殿! それはなりませぬ! そもそも比叡山は…
と彼は、長々と比叡山の歴史を語り始めた。
曰く延暦寺は代々の天皇の御霊をまつり、日々国家の安泰を祈禱している天下の仏法の道場である…
藤吉郎は、光秀の博学にはいつも舌を巻くものの、同時にその博学が人を説得するのに何の役にも立たぬことを知っていた。
人を動かすのは理論ではなく、生の感情なのであると…
信長は熱弁を奮う光秀を無表情に見下ろし、こう言った。
あそこにあるのは神でも仏でもない。ただの木と鉄のかたまりである。
なおも「説得」を試みようと立ち上がりかけた光秀の腕をつかみ、藤吉郎は叫んだ。
仰せ、たしかにうけたまわりましたぁ!
と半ば光秀を引きずるようにして藤吉郎は信長の御前を退出したのであった。
素直に信長の命令に従ったように見えた藤吉郎と、最後まで反対をして信長に“焼き打ち”を思い止まらせようとした光秀…
だが、二人のこの後の「対応」はまったく違っていた。
光秀は、信長の命令を100%実行にうつす。
彼の計画は緻密で完璧であった。
焼き打ちが始まり、山から光秀の陣に逃げてきた人々は一網打尽にされ、ことごとく斬り殺されたのである。
一見忠実に信長の命令に従ったかのようにみえた藤吉郎…
作戦実行にあたって、部下の侍大将たちを集めてこう命じた。
横川仰木口には兵を置くことは無用である。
は? 殿、それでは山から降りてきた者がみなそこから逃げてしまいますが…
ええぃ わからんのか。女こどもだけでも逃がしてやるんじゃい!
やや歴史小説風にまとめてしまいました。
光秀と秀吉… その時の二人は、信長の命令に「反対」したことは共通していたが、その命令のどこに「反応」していたかが明確に違っていました。
一方が「伽藍諸堂」であったのに対して、一方が「女こども」だったのです。
「モノ」を思考の対象とすることと「ヒト」を思考の対象とすること…
天下を取り損ねた者と、天下を取ることができた者の差がここにあります。