「ご・ぐ・ま・い・き!」
2月22日の放送の「足利義満」の回で、にゃんたのマル秘ファイルとして『後愚昧記』が紹介されたときに、思わずコヤブさんが声をあげました。
おもしろい名前ですもんね。「ごぐまいき」。
でも、おもろい名前ですが、これは東京大学の史料編纂所に収められている一級史料なんです。
『後・愚昧記』がある以上、『愚昧記』があります。こちらは三条公房が書いた日記。
その公忠の七代後くらいの子孫が、三条公忠が書いたのが『後愚昧記』になります。
内大臣という要職にあったときの、1361年から22年間の日記で、南北朝時代から室町時代初期までの貴族社会の様子が読み取れるもの。
番組で紹介したのは永和四年六月七日のもの。
「雨下り晩におよんで晴れ。今日祇園神御輿これを迎う。」
という記録から始まります。番組で紹介した部分の原文は
「大樹、座敷、四条洞院、を構えて之を見物す。件の座敷は賀州守護富樫経営す。大樹の命によってなりと云々。大和猿楽の児童去る比より大樹これを寵愛す。同席伝器かくの如し…」
です。
実はこれ、大学入試でもたいへんよく出る部分。
「大樹」は誰で、「大和猿楽の児童」は誰か、ということが出題されます。
大樹は、おもに征夷大将軍あるいはそれに相当する官位をもらったものに対する呼称で、ここでは足利義満のこと。
そして「大和猿楽の児童」が能の大成者、世阿弥なのです。
世阿弥は、関白二条良基から「よくもまぁ、こんなイケメン少年が生まれたなぁ」と感動させたぐらいの美男子でした。
同席などゆるされるはずのない身分の者を同席させている…
と、公忠は、まゆをひそめていた… ということです。
義満は世阿弥の“芸”を保護しましたが、以後、「芸人を保護するのが、セレブの証」みたいな風潮が生まれ、芸能界はスポンサーを得る、ということが江戸時代まで続いた、と、いえなくもありません。
尊氏も田楽が大好きで、興行を主催していましたし、孫の義満も能をこよなく愛しました。
そしてその子の義持も猿楽を好む…
足利一族は、日本最初の芸能スポンサーであったかも知れませんね~