鏡の話 前編 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

1990年代の半ばくらい(1994年くらいでしたでしょうか)、京都府竹野郡(当時)の大田南5号墳から銅鏡が出土しました。

この銅鏡に記されていた年号が

「青龍三年」

これは、中国の魏の年号です。西暦で言うと、235年。
それまでに出土した銅鏡の最古は「赤鳥元年」のもので、それは西暦では238年のものでした。
最古の鏡の出土で、大きくマスコミもとりあげました。

3世紀の日本、というと、邪馬台国の卑弥呼の時代に該当します。
『魏書』烏丸鮮卑東夷倭人条(通称、魏志倭人伝)によると、卑弥呼が239年(景初三年)に魏に使いを贈り、魏の皇帝から下賜された品々が翌年に持ち帰られた、ということになっています。

そのリストには「銅鏡100枚」と記されていました。

さらに4年後の「正始四年」にも使いが送られていて、ひょっとしたら卑弥呼はもっとたくさんの鏡を所有していたかもしれない、ということになりました。

卑弥呼の鏡は、一般に「三角縁神獣鏡」と言われるものなのですが、神仙思想による「西王母」「東王父」などま神獣が浮き彫りにされ、鏡の縁部の断面が三角形に突出していることから、このような名前がついています。
話の流れで誤解される方もいるかもですが、「青龍三年」と刻まれた鏡は、三角縁神獣鏡ではありませんので、念のため。

魏の年号が刻まれた最古の鏡の発見、ということで、中学入試でも高校入試でも、大学入試でも、しばらく、

卑弥呼・邪馬台国・鏡

の、出題がよくみられました。

さて、この間、学校の同僚の先生と、新聞の記事を読んでいたときのことです。
驚きの「発見」にやや興奮して話をしました。

「すごいものが発見されましたよね!」
「そうですよね~ これでさらにまた考え方が変わりますよね。」
「でも、これ、けっこう昔から言われていたことなんですよ。」
「え? そうなんですか? 新しい発見なんでしょ?」
「そうなんじゃないかな、と、言われてたのが、実際に作ってみたらそうだった、ということなんですよ。」
「それは知らなかった… こんな簡単なことで作れるんですね。」
「いやいや、簡単じゃないですよ。3Dプリンターで作ったんですから。」
「え?? あれ??」
「ん??」

二人は同じ新聞を見ていたのですが、同じ一面の違う記事をみていました。
同僚の先生は

STAP細胞の記事

わたしは

卑弥呼の鏡が「魔鏡」だった。

という記事を読んでいたのです。二人で顔を見合わせて笑ってしまいました。

「魔鏡」の記事と「STAP細胞」の記事が、同じ日の発表だったことの珍事です。

ちょっと改めて、古代の銅鏡の話をしてみたいと思います。

(次回に続く)