馬子よ! 兵たちにすぐにワラの軍靴をはかせよ! 反問は許さぬ。ただちにそうせよ。
は、ははぁ ただちに
威に打たれる、とは、このようなことを言うのであろう。14歳の少年とは思えぬ毅然とした態度を前にして、馬子はその場にひざまづいていた。
(かなわぬ… この人はいつもこうだ)
馬子は四年前を思い出していた。石川の宅に仏殿を建てようとした時、当時わずか10歳の厩戸皇子に
大臣どのは仏法のなんたるかをご存じないようだ
と群臣の前でたしなめられ、寺院を建てるにあたっての心構えを諭されたのである…
あの時も、威に打たれ、こうして同じようにひざまづいてしまった…
皇子さまは、われらとは常に違うものを見ておられる…
どれくらいの時刻がたったか。
谷間の道を進み、この山を越えると物部の勢力範囲に入る、というまさにその時、物部軍が攻撃をしかけてきた。
戦いに慣れた物部軍の戦術に、倍以上の蘇我軍がたちまち混乱状態に陥ってしまったのである。
皇子さま! ここはひとまず退却を!
と、馬子が厩戸皇子をふりかえると、皇子はヌリデの木を切り取ってつくった四天王の像を頭上にかかげ、天を仰いでいた。
今、もし我らを勝たせてくださいますなら、四天王のために寺を建てましょう!
剣の護法童子よ! わが頭上にあれ!!
突然、雷が閃き、豪雨となった。馬子は雷の光の中に、毘沙門天の剣の輝きを見た気がしたのである…
い、いや… た、たしかに見えた…
たちまち辺りはぬかるみ、川のように雨水があふれた。雨の備えをしていなかった物部軍はぬかるみに足をとられ、雨の備えをしていた蘇我軍は危機を出して、この後、逆転に成功するのである。
一方が雨の備えをして、一方が雨の備えをせず…
力が互角な場合は、些細なことで勝敗が決せられる。
完全に均衡な天秤は、砂粒ひとつでも一方に傾くのだ。
(終わり)