近藤は迷った。
現在動かすことができる隊士は三十名ほど。
それを二つに分けるのは…
そのとき、新撰組の副隊長、土方歳三が口をはさんだ。
「近藤さん。幕府なんかアテにならないよ。われわれの調査の結果を信じようじゃないか。」
-なるほど。それもそうか。
と思う一方で、実は会津藩、京都所司代だけでなく、一橋、彦根、加賀といった諸藩の援軍も来る手はずになっていたのだ。
丹虎、池田屋、どちらにも新撰組が顔さえ出していれば、諸藩に手柄を奪われることはない…
-それなら隊を二つに分けてもよいか。
土方には近藤の心の迷いが透けて見えていた。
「幕府や藩など信用できねぇって言ってんだよ!」
と、二人だけなら土方は怒鳴るところだが、大勢の隊士がいる手前、言葉をおさえてこう言った。
「じゃあこうしよう、近藤さん。私が二十人を率いて丹虎に行く。近藤さんには精鋭九名を率いてもらって池田屋に向かってもらおう。」
狭い家の中での組み討ちは、一人一人の剣の技量にかかってくる。
剣撃のヘタな者は、かえって足手まといになると考えて、土方は精鋭の隊士のみを近藤に託し、自分は丹虎に向かった。
池田屋を包囲した新撰組は総勢十名。
出口を固めた五名以外は、新撰組の精鋭中の精鋭。
近藤勇・沖田総司・藤堂平助・永倉新八・近藤周平。
一方、志士たち三十名が池田屋に集結したのは夜八時過ぎ。
しかし、約束の時間がきても、幕府はもちろん、諸藩からは一人も援軍は来ない…
「幕府なんかアテにならないよ。」
という土方の言葉が近藤の頭に浮かんだ。
「ちっ おれの負けだ、土方。」
と思うやいなや、近藤は抜刀して五人だけで一気に池田屋に踏み込んだ。
「戦い」は二時間に及ぶ激闘となった。
志士側の即死者は七名。
捕えられた者は二十三名。
これに対して、新撰組は十名中一人だけの犠牲という「大勝利」をおさめた。
激戦の中、志士の一人が命からがら池田屋から脱出。
変を長州藩邸に伝えた。
「なんだと!」
「助けに行くぞ!」
と飛び出そうとした長州藩士を制止したのが対馬藩邸から急ぎもどってきた桂小五郎であった。
「今むかっても犬死である! 諸君っ 自重したまえ!」
「小五郎殿! どいてくだされっ」
「止めてくれるなっ 同志を助けるのだ。」
-ならば。
と、小五郎はすらりと刀を抜いた。
「わたしを倒してから参られよ。おのおの方を一歩も藩邸から出させるわけにはいかぬ。」
一同はその場に立ちすくんだ。
小五郎が剣の達人であることを知らぬ者はおらぬ。
それでいて、ふだん安易に刀を抜かぬ小五郎が抜いたのだ。
その気魄におされた一同は、その場にしゃがみこんだ。
池田屋事件によって多くの尊王攘夷過激派は一掃された。
そして穏健な尊王攘夷派が残り、彼らが後の明治政府を動かす原動力となる。
極端は必ず歴史の鉋(かんな)で削ぎ落とされるのである。
テロを志向する者では歴史を動かしえない、ということを証明したのが、六月五日の池田屋事件であった。
(終わり)