万能人、平賀源内 | こはにわ歴史堂のブログ

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朝日放送コヤブ歴史堂のスピンオフ。こはにわの休日の、楽しい歴史のお話です。ゆっくりじっくり読んでください。

第4回の放送は、平賀源内でした。


「平賀源内は、エレキテルを発明していない」


というのが、このときのマル秘ファイルです。

驚いた方も多かったと思います。コヤブさんもゲストの方も、「ああ、平賀源内、エレキテル発明した人でしょ」とふつーにおっしゃっていました。


でも、実際は、長崎で購入したエレキテルを研究し、七年ほどかけて使用できるように修復したのでした。


平賀源内さんは、もともとは高松藩の藩士で、子どものころから秀才として有名で、いろいろなものを工夫しています。

おもしろいもので、第1回でとりあげた水戸黄門、そして第3回でとりあげた伊達政宗は、深~いところで実はつながっているんですよ。


水戸黄門こと、徳川光圀は、もともと兄をさしおいて藩主になった、という話をしたと思います。で、そのことをずっと気にしていた光圀は、水戸藩そのものを、兄、頼重の子である綱条に譲るのです。正確には、兄の子、綱条を養子にしたわけです。

で、自分の子を高松藩の大名にする… これが高松松平藩の初代、頼常です。で、五代目の頼恭が、高松藩士であった平賀源内の才能を見出し、薬草園の運営をまかせたのです。


水戸黄門なくして平賀源内なし、というわけです。


そして第3回で紹介した伊達政宗ですが… 平賀源内は、もともと高松藩の白石家の跡取りだったのですが、その白石家の祖は、もともとは仙台藩、つまり伊達政宗に仕えており、政宗の子が伊予(愛媛県)の宇和島藩主となった際、いっしょに四国に行き、その後、白石家は高松藩に仕官する、という経緯をもっています。


伊達政宗なくして平賀源内なし、というわけです。


水戸光圀、伊達政宗、と、番組で取り上げた「流れ」で、第4回が平賀源内となる… 偶然ですが、なんともおもしろいなぁ、と、わたしは思っていました。

歴史は、びっちりつまった歯車のようで、一見、かけはなれた場所や時間のできごとが、こっちが動いてそっちが動き、それが動いて、次が動く… というように「つながり」をもっているんですよね…


唐突ですが、みなさんは、レオナルド=ダ=ヴィンチ、という人物をご存知でしょうか? 名画『モナリザの微笑み』は有名ですが、彼は「万能の人」といわれていて、科学者で法学者でスポーツマンで…

自分を紹介した手紙(就職先に出す履歴書みたいなもの)に、10の特技を記していて、最後に、「あ、あと少々絵も描けます」と控えめに記していました。


平賀源内も、負けてはいません。科学者で医学の心得もあり、建築の設計もおこない、薬草の研究をし、鉱山を開発して小説を書き、脚本家として名をあげ、おまけにコピーライターもしている… 「あ、あと少々絵も描けます」とばかりに、西洋画の技法を取り入れて油絵も描いています。


「西洋婦人画」


という有名な絵画は、油絵の技法で描かれたもので、司馬江漢に大きな影響を与えています。

発明品としては


 寒暖計 火浣布(燃えない布)


なども有名です。


あ、番組でとりあげた『放屁論』。あれは評論文のように思っている人もいるのですが、「風来山人」というペンネームで、実際にいた屁こき芸人を登場させた「戯作」なんです。その後編では「貧家銭内」という発明家が世の中を批判する、という話になっているのですが、この発明家が平賀源内自身なんですよね。

脚本家自らが出演する現代劇、というようなものです。


平賀源内は、とにかく多くの人々に影響を与えました。
浮世絵の錦絵を始めた鈴木春信も自著の中で「平賀源内さんがいなければ錦絵は生まれなかった」と書いていますし、杉田玄白も平賀源内を精神的な支えとして『解体新書』の出版に尽力しており、『蘭学事始』の中で、わざわざ一章を割いて平賀源内の話をしているくらい…

『解体新書』の挿絵なども、最初は平賀源内さんに依頼したのですが、ここが平賀源内のすごいところで、「若いやつに活躍の場を与えたい」と、弟子の画家、小田野直武を杉田玄白に紹介しているんですよね。


ここまですごい業績をあげていると、「エレキテルを発明した」と「誤解」してしまっても不思議ではありません。


ただ、私は、文学の面でも、すごい画期的なことをしていることを強調したいと思っています。

天才、というのは、一言で言うならば、非常識を次の時代の常識にする力、だと思うんですよね…


モーツァルトってご存知ですか?

数々の名曲を残している… もちろんそういうすごい曲を作った、ということもすごいのですが、それまで、オペラはイタリア語で演ずる、という「常識」をくつがえし、それを初めてドイツ語でやってのけたんです。

当時の音楽界では、衝撃の非常識でしたが、考えてみれば自国語で、自国の話を演ずる、ということがごくごくあたりまえのことではないですか。

音楽の大衆化だけでなく、すでに後の時代のロマン主義まで準備してしまったんですよね…


平賀源内さんも、それと同じような当時の「常識」をくつがえし、その「非常識」を次の「常識」に変えました。実は、お芝居や浄瑠璃というのは、「上方言葉」で演ずるのが常識だったのですが、


「江戸でやるんだから、江戸の言葉でやるのがいいにきまってるじゃねぇか」


と、ばかりに『神霊矢口渡』という歌舞伎・浄瑠璃の脚本を書き、「江戸言葉」で演じさせたのです。


今の非常識を次の時代の常識にする…

何かにとらわれていると、できることではありません。


「なんでもやってやるぜっ」という人は、「なにか一つにとらわれない」人です。

そういう人は、自然と常識にとらわれなくなります。

やりたい、と、思うことをなんでもさせてやる、と天才が育つかもしれませんね。