第一話で取り上げたのは水戸黄門、徳川光圀。
この人に関しては、「歴史好き」の方と、「時代劇ファン」の方とで、ちょっとイメージが変わります。
歴史好きな方ならば、
水戸黄門は諸国漫遊はしていない。
もちろん世直し旅もしていない。
副将軍という地位もない。
という最近の歴史学的な評価というのをよくご存知です。
むろん時代劇ファンの中には、水戸黄門のシリーズをご覧になって、
「この印籠が目に入らぬかぁ~」
「ははぁ~」
と、悪人がひれ伏すあのシーンに痛快な思いをされた方も多かったと思います。
もともと実は、水戸家を継承するはずのない立場にあったのですが、兄にかわって後を継ぐ…
そんなもんだから、ついつい若い頃は「遊んでいた」。
でも、おもしろいもんで、そういう人は、世間の様子もよく知っていて、「型」にとらわれない何かができる、というのもまた確か。
そしてまた、「おれって… ほんとうならこんなことになっていなかったのに…」とどこかコンプレックスというか負い目というか、そんなところを背負っている…
そういうときって、人は二つに分かれますよね。
一つは「だから自分はたいしたことがない。」と卑下しつつ精進する。
もう一つは「いや、おれは代わりのにせものじゃないっ ほんものであらねばっ」と背伸びをして、無理にそれらしいく振舞おうとする。
新撰組の武士たちも、出身が下層の武士だったりしたものだから「より武士であらねばっ」と、ホンモノの武士以上にホンモノであろうとして「局中法度」のように厳しい掟をつくってしまう。
後醍醐天皇も、おれは中継ぎじゃないっ ホンモノの天皇だっ と思い込みすぎて改革をあせる…
後鳥羽上皇も、三種の神器が欠けて(剣が壇ノ浦の戦いで失われていた)即位した天皇だ、と、言われ続けてそんなことはないっ と、力みすぎて幕府にケンカを売ってしまう…
水戸光圀も、どこかそんなところがあったせいか、大名かくあるべし、と強く思うところがあったようですし、また、兄の子どもこそ正当な跡継ぎだと思って自分の子ではなく兄の子を水戸家の相続人としています…
水戸光圀さんの「どこか筋を通そうとする」ところ、「義」を重んじて中国の儒学など学問にうちこもうとするところ、本来はどうあったのか、という日本史に向き合おうとしたところなどは、水戸光圀さんのこういう出自に関する背景が影響していたような気がします。
ところで、どうして水戸光圀さんは諸国漫遊して世直し旅に出かけた、ということになってしまったのでしょうか。
それは、実は、幕末の将軍家の跡継ぎ争いに原因があったようです。
え?! 幕末?? 将軍争い???
実は、徳川慶福を将軍にするか、一橋慶喜にするか、大きくもめたことがあったんです。慶福を推すのが井伊直弼。慶喜を推すのが、慶喜の父でもあった水戸藩主の徳川斉昭。
慶喜さんは、水戸家出身で、一橋家の養子に出ていた人でした。
このとき、一橋家をひいきにしていた江戸の町人や、町火消(慶喜は町火消の親方衆と親交があったようです)たちが、水戸家をもちあげる話を吹聴したようで、それが「東海道中膝栗毛」のやじさんときたさんの旅の話と合成され、かくさんすけさんを連れて諸国をまわり、水戸光圀さんが「世直し」をする、というストーリーとなったようなのです。
水戸家に「世直し」をしてもらいたい、という庶民の「声」が、過去の偉人をリメイクして現代(当時)によみがえらせたのでしょうね。
ちなみに時代劇では、「世直し」として当時の徳川綱吉の政策(生類憐みの令)に反対する水戸光圀さんも描かれていますが、そもそも綱吉さんを将軍にすることに賛成した一人は水戸光圀さんでもありました。
不仲だった、というのも、庶民の敵綱吉と、庶民の味方黄門さま、という「図式」から生まれたことなのかもしれません。
そして、この二人、コヤブ歴史堂では第一回にとりあげられました。
綱吉さんの話は、また次回、ということで。