「モルディブに行ってきた」


これは先日僕の生徒の小学校2年生の子の話。


「夏休みはどこへ行った?」との問いの答えに僕は興味が湧いた。


同じ小学2年生の甥がいるが、彼は福島の海岸沿いで過ごした。


僕も一緒に行ったので同じ夏休みの想い出を共有したのだが、


ご両親の経済状況、生活環境、価値観、仕事、教育方針、人生などで


この同い年の二人の小学生は違う夏休みを味わった。


いったい何が違うのだろう?と単純に疑問に思った。




両親の経験や趣味が色濃く反映されて「夏休みはどこに行こうか?」となる。


「自分の人生を歩む」という命題を考えるまでに至らない年代での経験。


その子供の経験が後の人生においてどのような影響を与えていくのか?


親として責任をかみ締めなければならない。


福島とモルディブでは想い出が違う。


気温、湿度はもちろんのこと、


土地の匂い、現地人の目の色、昆虫、海の色、空の色、習慣、思考回路。


これはただ日本か外国かでの違い、想い出になる場所の違いであって


想い出の体感度、印象度はその子供個人に委ねられている。


どこであろうと個人がどう感じることが出来るかで違いが出てくるし、


お金のあるなしや、場所がどこかなんて関係ない。


様は親として大人として出来ることは、


どんな経験を愛すべき子供にさせてあげるかだ。




親としてそれが理解できているかいないかで子供の人生が変わってくると思う。


だからこそ判断はいつも慎重にしなくてはならないし、


より良状況を与える為の努力を親として大人として怠ってはならない。


これは僕が先生として、肝に銘じる命題である。


小学校2年生のこの二人は夏休みを通して、


どれだけ心に残る良い経験が出来たか。


これがその後に生きてくる本当の価値になっていくと思う。


その繰り返しで自己の形成がなされていくのだと思う。


与えるということはとても責任感と使命感が重要だと改めて感じた。




二人の小学生を比較して難しく書き綴ってみたが、


悲しいかな「モルディブの彼」に単なる嫉妬していることも事実。


僕はモリディブに行ったことが無い。


死ぬまでに一度は行ってみたいと思っている土地である。


三つ子の魂百まで。


何事も早い段階での経験は結果としてその人個人の自己を早熟させる。


だから良い経験は早いほうが良い。


それはミュージシャンとして人生経験として感じたことだ。


しかし僕の人生の主題に大器晩成というのがある。


成功はずっと後でいい。


沢山の自分で体感した経験を活かし、最終的に成功したい。


もちろん経験は早いに越したことは無いが、


長い年月で培った経験は嘘偽りが無い本物の美しさ


「自分らしさ」が得られるのではないかと思う。


これは僕の中での真実。




僕が経験してないこと事をこの小2の生徒は既に味わっている。


今まで見たことも無い色の海や空を見ている。


環境の違いといってしまえばそれまでだが単純に悔しい。


でも本当にそれを生かすも殺すもその人自身。その子供自身。


本当に物事の本質を理解すれば、経験に早い遅いは関係ないと信じたい。


これは自分自身に言い聞かせたい本質である。


だからこそ自分で切り開き、自分で経験し見聞を広げて、


自分に関わる人々に何事も与えて行きたい。


そして最終的に幸せになりたい。


二人の小学2年生もこのことを理解する時が来るのだろうか?




最後にその彼は「モルジブ」と言わない。




それがまた悔しい。