湖畔人です。

二回目の気づき記事です。

新しい要素、新しいものの考え方、新しいライフスタイル、例えば新しい運動とか、例えば新しい祈り、とか、新しい瞑想内容とか、新しい勉強対象とか、例えば掃除内容とか、何でも良いですが、何か新しい事を身に付けようとすると、習慣化してしまうのが、一番手っ取り早いですよね。

体や意識に染み付かせてしまって、"あ、やんなきゃと"、毎日のルーティンにしてしまえば、それらの新習慣は自分の生活の一部となり、あまり考えずに、あまり心理的&体力的負荷なしに出来るようになって行く訳です。

それ自体は素晴らしいと思うし、どんどんすべきと思いますが、でも一方で、それらの習慣達は、どんどん自分を縛っていくものなので、どんどん増やして行くと、どんどん時間とエネルギーが無くなり、段々とシンドクなっていく事もありますね。その場合は習慣の中身の棚卸が要りますね。本当にそれらの習慣が必要なのかどうか、惰性でやっているだけ、形だけではないのか? それは本当に今の自分にとって有効で、重要で、本当に、今の自分に必要な事なのか?どうか、それらを自分自身に問うてみて、それら習慣の内容を検証して、場合によっては幾つかの習慣を止めてしまう事も大事かと思いますね。

自分がもっとフォーカスして、もっと深くしっかりと身に着けるべきことを見つ出しては、それらにもっと時間と意識を注力できるよう、プライオリティの付け直しが要るかと思いますね。でないと、体がいくつあっても足りませんし、一つ一つの習慣が、浅く形だけのものに成ってしまいがちです。でも形だけになってしまうと、やっている感、気分だけ、となり、中身と実質的な成長なし、となり、時間の無駄遣いになりかねないので、やはり習慣の棚卸が要るかと思うのです。


自分も大胆に、嘗ての習慣を止めたり、逆に足したり、色々やってます。

ざっくり言えば、内なる根源神、その根源神の自分用に個性化した部分、その自分のプロトタイプ、即ち、ハイアーセルフと如何に繋がり、真の自分になるために今の自分にとって必要な事は何か?よく自分と相談し、それらの事柄にフォーカスする事が大事なのかな、と思います。
それがちょっとズレてんな、嘘があるな、自分らしからぬ方向に今行ってんな、と感じたならば、それらの習慣を一旦止めてみるのも手だと思っています。で、仮にしばらく止めてみて、あ、やっぱあれ要るわ、となれば、その時は、また復活させればいいだけの話です。自分自身の内側の話なので、そこは自由に、習慣を壊したり、変形させたり、新たに別の習慣を付けたり、そこは、色々とトライ&エラーを重ねて、自分自身にとっての最適を探る事が大事かな?、と思っています。
時間は無限ではないので、プライオリティをつけて、選別する必要があるかと思うのです。そこは、素の自分とよくよく相談をして、習慣の見直しをする事が大事かな、と、最近よく思いますし、実際、最近、随分と大胆に嘗ての習慣をリストラしています。
そうすると、身の周りが必要な事だらけ、意味がある事だらけになって行き、何かとってもイイ感じなのです。
習慣のリストラ、お勧めします。

では。

湖畔人