勇者と段々崩壊していく世界
盗賊を前にだし、武道家が下がる。
「それは見ましたよ。ねえさんが受け、あなたが必殺の一撃を繰り出す。その策がつうじるものかどうか」
マリネには、勝算があった。
相手の不意をついたといえばそれまでだが、自身が放った寝起きの打撃をくらった師匠は、本来の師匠ほど強くない。この女はあの人ほど相手の動きを見極めて動けるわけではない。武の動き自体は自身の方が上。それなら隙を作ることは可能。作戦通りに体が動けば、かならず会心の一撃を当てられる。
「これは奇策じゃねえんだ。口を動かすかおれを気絶させるかしかしなかったが、戦うことに関しちゃ天下一の親から授かった、勝ちの決まった策だ。バレてたってつうじるさ。変える必要はねえ」
「お前を、許せないんだあたしは」
「せっかく治してあげたのに。ねえさんはちっともわかってない」
「黙れ!」
カムラに、おちつけ、とマリネは言い、
「時間がないんだろ?、おれたちにびびってるのか?、かかってこねえなら、こっちからいってもいいんだぜ?」
と、ミムラを挑発した。
「はったりは聞き飽きていますよ」
外で風が吹いた。入りこんだすきま風で、灯りの炎がかすかにゆらめく。
勝負は一瞬で決まる。そして、このなかのうち二名が死ななければ勝負は終わらない。三人の三人のなかのひとりだけ、生き残って欲しい人物の想定が違うのだが。
雲の切れ間から月がでたのだろう、教会のステンドグラスが淡い光を帯びた。灯りのゆらめきが落ち着く。
月の光を浴びて、しびれを切らしたように盗賊が動いた。ふたりの作戦は待ちに徹することを旨としているわけではない。相手に攻撃を出させることを旨としている。
盗賊が一歩踏みだしたとき、既にミムラが落ちていたナイフを拾ったのをマリネは見た。見ることができた。
盗賊もそれを見ただろうが、ためらいはない。かまわず二歩目を踏みだす。
そこにミムラが詰め寄る。
そのとき、武道家は盗賊を殴っていた。強くもやさしく、盗賊を半身分ずらすように。
ミムラのナイフが盗賊と入れ替る形で飛び出してきた武道家の胸に刺さる。武道家はナイフを引かせず、そのままミムラの体に抱きついて固めた。
崩れた体勢からその光景を見た盗賊は、やるせない気持ちになった。しかし、行動は早かった。この場でやるべきことを、盗賊はした。ミムラに向かって地を蹴った。
空気の対流が起こり、炎が大きくゆらめく。
盗賊のナイフが月の光に鈍く光る。
マリネは血がしたたりおちようとするミムラの口に、指を突っ込むと、そのまま押し倒し、ふたりの全体重をミムラの後頭部に乗せた。
押し倒されたミムラの体はもにょもにょと蠢き、もとの体にもどった。
力の抜けたミムラの体は柔らかく、〆られた豚のようにぐてんと横たわり、何度か肺から血とともに空気が抜けた。
「おしまいだ」
マリネはそう言うと、ミムラの傍らに身を翻して、倒れた。
ミムラのナイフは、マリネの心臓に突き刺さっていた。
ああああ、と言葉にならない声をだし、カムラはマリネによろよろと歩みよった。
なぜ、どうして、こんなはずでは、こんな覚悟では。
「師匠は、こうしろって、あのとき、教えてくれた」
弱々しく声をだすマリネの口から血が溢れた。
血止めを、と自分に言い聞かせるよう言ったカムラに、マリネは無駄だと伝えた。みるみるうちにマリネの顔から生気が失われていく。
「あんまりだ!、ちくしょう!、お前はあたしを救いたいんじゃなかったか!、死ぬのはあたしだろ!」
マリネはか細く、
「僕は」
と言ったあと、ちいさくほほ笑んで、
「救われた、と言ってくれ」
と言った。その後カムラがなにを言っても、マリネの返事はなかった。
しくしくとカムラは泣いた。しくしくしくしくと、声をあげるでもなく、カムラはマリネを抱きしめながら泣き続けた。倒れる両者から流れ出た血が、カムラの靴下を赤く染めあげる。それでもカムラはしくしくと泣き続けた。
いつからかカムラの荷物袋が、青く淡く光り出していた。どこかでミムラの冒険の書が燃えたのだろう。冒険の書がいつどのように所持者の死を判断するのかはわからない。だが、ミムラは死んだのだ。
夜が明けるころ、カムラはおもむろに立ちあがり、幽鬼のようにふらふらと歩いて、袋から冒険の書を取りだした。冒険の書はいまだに淡く光っている。
ミムラの死によって上書きされた冒険の書の表紙に、いままでになかった文字が浮かんでいた。
カムラはぽつりとその文字をつぶやいた。
「さとりの書」
冒険の書が放つ光が、一層強くなった。
カムラはまるで冒険の書に吸い込まれていくような感覚になった。
光が消えると、カムラは知った。呪文のすべてを。そして、妹の一部を。
「こんなの茶番だよ。こんなの勝ちのきまったゲームじゃないか」
カムラはまたぽつりとつぶやいた。枯れたと思った涙がまた目に溢れてきた。
妹が世界を救うために呪いの冠に奪われた最初のものは、家族と悲しみ。悲しみをなくした妹が、どのようにして呪いから姉を遠ざけていたか。法の目をかいくぐる詐欺師のようにしてどのように呪いを騙したのか。カムラは知った。
自身が呪われた者となった以上、ミムラが生きている限り呪いの力はカムラを諦めず、また新たに生きている姉を糧に呪いを利用せざるを得なかったミムラは、最終的に自身の死をもって、カムラがタムラだったものに奪われてしまうことを避けるしかなかった。ミムラが最後に呪いによって与えられたものは、一部の記憶を冒険の書に移すこと。姉への伝言だった。
師と弟子により呪いを欺きつつ、呪いの施術者と対象者は消えた。カムラに力を残して消えた。
カムラは、妹を許せない。いままで思いつづけてきた感情をいきなり逆さまに変えることは難しい。ゲームに夢中になっている子を案じて唐突にゲームのリセットボタンを押す親の行為なんかは、子からしてみれば憎しむより他はない。親と子、逆の立場になればわかるというものだが、逆の立場になるためには子の成長や経験が必要だ。あなたのため、と言われても、その場で、ありがとうとなるものではない。
だが同時にカムラは、大人なのだ。妹の行いに理解や納得をするだけの知識や経験がある。この相反する行き場のない感情をカムラはひたすらにつらいと感じた。
マリネの横に座り、カムラは蘇生の呪文を唱えた。回復の呪文を唱えた。
マリネの傷が塞がり、顔の血色が良くなってゆく。すこしして、マリネは目を開けた。
「どうなっている?」
目覚めたマリネにカムラはバカと言って、抱きしめた。
マリネはわけがわからず、こっそりと刺された傷を確かめようとしたが、こんなときに乳をまさぐろうとしていると勘違いされたら嫌だなと思って、やめた。
しばらくして、落ちつきを取り戻したカムラは事情を説明した。事情の説明というよりも、感情を独白したといった方がいいかもしれない。
「妹はこのまま?」
合間にマリネが訊いた質問に、
「無理なんだ。ミムラの一部がさとりの書として生きているから。それに生き返るとまた呪いが復活して、奪いそこなったあたしが奪われる」
とカムラが答えたとき、悲しげな表情になっていたことを本人は知らない。
「呪い、か。じゃあ殺されるためにわざわざ師匠の姿になったってことか?」
「わからない。勇者の覚醒もあったし、ミムラにかけられた呪いはあたしを奪おうとするだろうし、殺される気を保てたのか、殺そうとしたのか、殺される状況を作ったのか、わからない」
「そうか。じゃあ本気でおれたちを殺しにきてたことにしてくれよ。そうじゃねえとあの野郎を負かした気になれん」
「負かした?」
「師匠だよ師匠。一度あの野郎を負かしてやりたかった」
「あんた、親だと言っていたよ?」
「うるせえ」
「それに、よくて相討ちだろうねえ」
「いいやそれはちがう。戦って生きてりゃおれの勝ちだ。これでおれは免許皆伝だ」
「それでいいならいいけど」
大まかに事の成り行きを理解したマリネは、下がったカムラのテンションを無理矢理にでもあげようと、明るく話しをした。とはいえ、師匠が死んでから一日も経っていないことを考えると、明るく話してはいるがマリネもそのことを明るく話しでもしないと自分をなくしてしまうのだろう。それに、すぐにふたりは大きな選択をしなければならない。
「さてと」
あぐらをかいて座っていたマリネが立ちあがった。
「大丈夫か?」
「大丈夫どころか、快調だ。そろそろ行こう」
「どこに?」
「仮初めの魔王のとこ」
「ダメだ!」
カムラは、ミムラの計画を隠しきれなかった。ミムラがふたりに世界を救うためになにをして欲しいか、を。マリネも、その協力内容に自身の死が必要とされることを薄々勘付かないほどバカではない。
「カムラ、おれはお前を救いたいんだ」
「だったらやめてくれ!、このままでいい!」
「それはちがう。お前を救うには、お前の妹も救わなければならないんだよ。お前のなかにある妹から託された願いを、お前が死ぬまで気に病んで生きていかなけりゃならないなんて救われねえ。たとえ明日には世界が崩壊したとしてもだ」
「こんなもの願いじゃない。呪いだ。あたしを呪っているんだ!」
「それが呪いなら、やっぱりもとを断たなけりゃならんだろ。おれはお前を救いたい」
「仮初めの魔王と戦ったら勝っても負けても死ぬんだぞ!」
「もう二回死んだしなあ。ついでに世界も救えるんだろ?」
「世界なんてどうでもいい!」
「お前が生きる世界をおれが守る」
「こんなに居心地のいい世界を知ったあとに、またひとりになれっていうのか」
「それにさ、おれはいまや免許皆伝の師範格だ。弟弟子も守らなきゃならない。どっちみち、魔王に抗うぞおれは」
師の仇をとる。親の願いを叶える。そう言われるとカムラに言葉がない。
「カムラ、いまのおれなんて人生のおまけを生きているみたいなものだ。別におれが死ぬって決まったわけじゃないんだ。やってみなけりゃわからねえもんだ。気楽にいこうぜ」
長い沈黙のあと、
「わかった」
とカムラは言って、ふたりは口づけを交わした。
「よし、腹は決めさせてもらった。師匠さんの敵討ちだちくしょう!、ギッタギタにしてやる。移動の呪文を唱えるぞ!」
「まて、威勢がよくなったのはいいが、建物の外に」
カムラは移動の呪文を唱えた。
飛び上がったふたりは、教会の天井に勢いよく頭をぶつけて、落ちた。もんどりうって身悶えるふたりは、
「…首の骨が折れるかと思ったよ」
「思ったよじゃねえよ!、すげえ痛えよ!、下手したら死んでたぞ!、なんてまぬけな最期になるとこだったんだ!」
「死ななかったんだからいいだろ」
「よくねえよ!」
などと頭を抱えながら言い合って、そのうち目と目が合うと笑いあった。
「こっちだ」
トッツクポーリに着くと、カムラが道案内をしはじめた。どうやら着いたところは街の中心にある広場らしい。
しかしふたりの行く手に魔物が立ちふさがる。
なんだかよくわからないピエロみたいな奴、腕の形をした氷のかたまり、斧を持った機械、宙に浮くカマキリ、緑色の肌をした人型、帽子をかぶったモグラ、岩石でできた大きな人形、ピンク色の象等々。
以前の盗賊と武道家なら、手間どっただろうが、なんせいまや盗賊は呪文が使える。
「どうせ誰もいねえんだ。ぶっ放せカムラ」
「屁をこく感覚で言うな。二度と言うな」
盗賊は手からほとばしる閃光を出し、あたり一面をなぎ払った。魔物は一掃された。
「…なあ、少なくないか?」
マリネが疑問を口にする。着いたとほぼ同時にどこからともなく現れた魔物たちが、いま倒してからというもの一匹も姿が見えない。
「ああ。早く進もう」
仮初めの魔王は街の中心から少し奥まった場所にある議事堂の地下スペースにいる。タムラはそのさらにずっと下の地下、というよりももはや別世界にいる。
「どうやら先客がいたようだな」
ふたりが進むにつれ、夥しい量の魔物の死体が見えてきた。どの死体も原形をとどめていないと思われるほど粉砕している。
「のんきに言ってる場合じゃないよ。この数このやり方、間違いなく勇者、ウルシだ。まずいね」
「あちこちに散らばってる体液がみずみずしい。たぶんそんなに遅れてきたわけじゃない。おれの後ろにこい」
もし暴走しているウルシが仮初めの魔王を倒したら、ウルシが次の仮初めの魔王になる。そうなったら世界は救えない。ミムラの知識では、タムラはその身を凍れる時の秘宝と呼ばれる禁呪で固め、その身の守りはミムラが使っていた鋼鉄の呪文のさらに上をいくという。そのタムラにダメージを与えられるのは、ウルシだけだ。同種のものが発する凍てつく波動のみ、凍れる時の秘宝を無効化することができる。波動の発する衝撃の波が、凍れる時の秘宝を解除する際の発音なのだ。だから決して、ウルシに仮初めの魔王を倒させてはいけない。
だが、仮初めの魔王の命がタムラに続く道に繋がっている。仮初めの魔王が倒されると、瞬時にタムラから魔力が送られて、仮初めの魔王を倒した相手を次の仮初めの魔王にする。タムラと次代の仮初めの魔王が魔力によりつながっている間、そこに魔力の渦ができるらしい。その渦の近くで移動呪文をつかうと、タムラの魔力に引き寄せられ、さかのぼるようにしてタムラのいる場所までいけるという。
「なあカムラ」
「なに」
「おれの姿を見たら、あいつまたいまとは違った感じになるんじゃないか?」
「もうお前が誰だかも、誰であっても生きてるか死んでるかぐらいの違いぐらいしかないだろう。いまのあいつの頭の中にあるのは、ただの衝動なんだよ。絶望により引き出された破壊の衝動のかたまりだ」
「そうか。気が楽でいいな」
議事堂の階段を駆け下りる。周りの壁に傷のついてない場所が見当たらない。
階段の途中で、のこぎりで弦をひくようなまがまがしい音と衝撃がふたりを襲った。
足を急がせる。