勇者と段々崩壊していく世界
「お嬢はどうしたい?、私としては」
「お前は空を飛びたいだけだろ!、ややこしくするな!、お前の意見は却下だ!…待てよ、先にこいつだけ飛ばせれば」
「お前、毒見をしないとおもうのか?」
「ならば力尽くで履かせるまでよ!」
「いいだろう。ケツにひのきのぼうをぶっさした全身血まみれの男の死体が送られてくれば、敵もさぞ驚くだろう。早く服を脱げ、手間を省かせろ」
「なんて怖ろしいことを考えやがる」
昼過ぎ、唐突に青白く光りだした冒険の書に浮かんだ地図に導かれし者たちは、雪山の麓にならんだ靴の前で、一名を除いて騒いでいた。しんしんと舞い落ちる雪が付近の村から続く一人分の足跡を隠そうとしている。帰りの足跡はみえない。空を厚く覆った雲の色は変わらないが、逢魔が時も遠くないだ。
「乗る、ことにしましょう。行かなければ」
カムラはじっと、自分あての文を見ながら言った。文は立て看板に掲示されていた。
文には、もちろん呪文がかかっていた。離れ離れになった大事な者と待ち合わせることができる、かつてルイーダと呼ばれていた呪文だ。
すべてを知りたければ日が落ちる前にこの靴を履き、東部にあるハナマリ村まで飛んでこい。
文を要約すると、こうなる。
「私たちは、無視してもいいのだぞ?」
偶然、ミムラもまったく意図になかったが、ハナマリ村は師匠とマリネたちが生活をしていた村だった。師匠に限ればいまも生活をしている。ミムラに強請る気などなく、師匠やマリネも気持ちを隠しているが、脅しの効果はばつぐんだ。
「やはり無視はできません。師匠さんとは、そこでお別れです」
「…そうだな。よし。そうと決まればマリネのケツに靴を刺すか。敵もまさかそんな使い方をするとは思うまい」
ひのきのぼうを手にした師匠は、憂いを断つようににやりとわらった。生活の拠点を知られてもかんたんに家族の危機に繋がる措置はとっていないが、可能性を考慮しないわけにいかない。
「靴は履きもの」
半裸にひん剥かれていたマリネは、産まれたての子鹿のようにぷるぷると震えながら言い返した。
「さてと、冗談はさておき、ちょっと休むか」
「冗談で済ます気ないだろが」
「ああ」
「ちくしょう…ちくしょう」
「いいのですか?」
「ん?、わざわざ歩き疲れた体で向かう必要もないだろう」
「てめえはおれの体力をなんと考えている」
「なにも」
ちくしょう、と言いながらマリネはタバコを取り出して火をつけた。
それを機に各々休憩に入った。行けば修羅場になることは皆わかりきっている。
「靴、多すぎだろ。10足あるぞ」
雪の斜面に腰掛けて、マリネは隣のカムラに話しかけた。
「存分に試せ、ということだろ。靴に罠はない、と」
「大量の靴と、この立て看板。そんなものをかつぎながらここまで歩いてきたと思うと、まぬけだな」
「それはあたしも思った」
ふたりは笑った。
師匠は少し離れたところでお菓子を食べている。
「おれはずっと前に禁煙を決意してな。これが最後の一箱だと」
「ふうん」
「途中でライターのオイルが切れてさ。ライターを買った。そんでタバコはなくなったんだが、今度はライターは残った。せっかく買ったんだから使い切らなきゃもったいないだろ?、だからタバコを買った。ライターが切れると、困ったことにタバコが余った。もったいないから余ったタバコを吸い切るためにライターを買った。ライターを」
「もういいよ」
「いまもその途上だ。しかたないから吸ってんだおれは」
「さっきからなにをいってるんだあんたは。禁煙するならとっととやめろよ」
「なに、生きるのも死ぬのも似たようなもんだと思って。しかたないんだよ。しかたないからおれは生きてる。それならとっとと死ねばいいとも思うが、おれにはまだ使いきってないものがある。だからいまは死ねない。それを使いきったときに、他に使いきらなきゃもったいないって思うものがなけりゃ、死んでいくんだろうな」
「ずいぶんかんたんな生き死にだねえ」
「難しく考えても考えるだけ無駄なものだろ。他人の意思によってしかたなく死ぬやつの数に比べれば、自分の意思で死ねるやつなんてわずかだ。きっと後者は、何かと何か、もったいなくなるタイミングが合致して、しかたなく生きてることができなくなってしまったんだ。いいも悪いもない。おれはそう思ってる」
「そういやあんたは死にたがりだったね」
「いまもそうさ。でもまだ、こう、気合いを溜めた一撃ってやつをきめてない。いまは死ねない」
「それを決めるとき、あたし死んでるかもしれないだろ」
「それはしかたない」
「いやまあそうなんだけどさ。甘い言葉のひとつでも吐きなよ」
「そういうの、飽きた。執行猶予中だし」
「そ、そうか」
「まあだからなんだと言われたら何もないが、そうだな。死ぬときは死ぬんだから気楽に死ね、ってことだな」
「ああ、やっぱり蛙の子は蛙だねえ」
「うん?」
「いや、なんでもない」
そろそろ行くか。ふたりが何本かタバコを吸い終えた頃、師匠がふたりに声をかけた。
三人はしばし軽口を言い合うと、いっせいに靴を履いた。
ふわりと体が浮き上がり、一息つくまもなく、三人は空に吸い込まれていった。
三人はハナマリの村に着いた。師匠とマリネは、着いた場所が村の広場だとすぐにわかった。
景色が赤い。夕日のせいではないことは明白だ。村が燃えている。
その理由も明白だった。王冠とマントを身につけている痩せた老人が、手から火の玉をだし、三人の目の前で今まさに村を燃やしているからだ。
「ずいぶんエキセントリックなじい様だ」
師匠は冷静だった。よく行く酒場も、知り合いの家も、赤くなっている。だが、師匠は冷静だった。この事態を予想はしていたが、たとえ予想していなかったとしても、取り乱したりしなかっただろう。
「陛下!?、やはり!」
「じゃあ、あいつがタムラか!」
老人は三人を見ると、にたりと笑った。ひどく気味が悪い。老人がバチバチと手に雷を纏う。
「避けろ!」
マリネはカムラを押すように蹴飛ばし、その反動でその場から飛びのいた。カムラも受けた衝撃をうまく初動に利用した。雷の呪文が放たれたあとに動いても、避けられるわけがない。
師匠は動かなかった。老人も手に雷を纏わせたまま動かない。ふたりはにらみ合っている。最初から、ずっと。
マリネたちが飛びのいてから数秒後、雷が、落ちた。雷は手から放たれず、上方から落ちてきたのだ。自然においては当然のことも、非自然のものが自然なことを行うという盲点に、マリネとカムラは陥っていた。
強烈な縦の光が目に焼きつき、雪に落雷の模様がつく。その中かろうじてマリネの目に映ったのは、老人のもとにいる師匠と、師匠が攻撃を繰り出したと思われるその拳を受けとめている老人の姿だった。
師匠は老人の手を振り払うと、距離をとった。
「小娘の言うとおり、強いな姫よ。私が口の動きを見極められるとは」
老人が楽しそうに言った。
「ドレスを着てなくて悪かったな」
マリネは師匠の拳が受けとめられた景色を目にしたことがない。ましてや、師匠は隙をついたはずだ。自身とカムラでは時間稼ぎもできない、マリネはそう判断した。
「特にその素早さ。逃げられたらかなわん。逃げられぬようにせねば」
老人は師匠に手のひらを向けた。
「お前のだいじなものを奪わせてもらおう」
途端に老人を黒いもやが包んだ。
「逃げろ!」
師匠は左右に散ったふたりに言った。
カムラは動いた。マリネは、倒れた。
「くそっ!」
倒れたマリネに駆け寄ると、師匠はマリネが息をしていないことを知った。続いて脈を確かめると、脈動はなかった。
カムラがやってきて、マリネの名を叫ぶ。へんじがない。
師匠はうつむきながら、立ち上がり、カムラに救命措置を施せと言った。
「家族が大事か。お前ほどの強さを持ちながら、至極あたりまえだ。それが、人の」
「こいつになにをした?」
「…呪いだ。近くにいたのが不幸だったな。本来は、いうなれば時限式の呪いだ」
「そうじゃねえよ。こいつになにをしたか聞いている」
「戦いの場で、涙を流すか。弱くなってくれるなよ。お前の力を奪うことはしない。それでは意味が」
「私の息子になにをしたか聞いてんだよ」
顔をあげた師匠の目から涙がこぼれ落ちた。
「…殺した。カムラのしている行為は、無駄だ。通常の機能停止ではない」
その言葉にカムラの動きがピクリと止まったが、すぐにまた動きだした。
「それで?、他に何か言いたいことがあるのだろ?、早く言え。どうせすぐに私は何も聞こえなくなるし、お前は死ぬ」
「ほう。ならば、お前に与えられたものから話そう。私は強いお前と戦いたい。いいか、私を倒せば、お前の子供たちにかけた呪いは解ける。本来は時限式だと言ったな。今、ふたりは無事だ。何も感じていまい。私を倒せねば死ぬがな。いつまでに、は言わん。あまり時間はない、と言おう」
「…お前を倒したらマリネ、こいつは?」
「呪いは解けるだろう。しかし、呪いが解けても死んだ者は生き返らない」
「お嬢!、そのまま続けてろ!」
「…確かに私を瞬く間に殺すことができれば、蘇生は間に合うかもしれない。それを含めて無駄だと言った」
師匠が地を蹴る。
老人が青い炎を飛ばす。
炎を手で振りはらう。
接近戦になる。両者の拳足が交差した。
老人の足が師匠の腹に、師匠の拳が老人の顔に。またその逆。二名の実力は、互角、だった。
老人が距離をとる。息つく暇もなく、師匠を炎や氷、爆発の力を秘めた閃光が襲う。
距離が離れると師匠は最短距離を突っ走る。その分、襲いくる呪文を手や足で振りはらってはいるが、振りはらうということは、確実に被弾している。戦闘開始から大した時間、一分も経っていないが、師匠の四肢にはありありと色濃く、ダメージの程がうかがえる痕がついていく。接近戦になる。攻防が繰り返され、また距離が離れる。呪文が襲ってくる。嵐の中を突っ切る。傷が増える。
接近戦は互角であろうとも、呪文の有無が、互角の実力を持つ両者の絶望的な差だ。
この戦況を見ているのはカムラだけではなかった。
「ギライア、説明を」
「はっ。御指示の通り、私は勇者を襲い、打ち倒し、傷つけ、嬲り、強姦し、私が考えつく痛みをすべて与えました」
「その結果が、これですか」
ミムラが見つめる先に、半裸の女がいた。言うまでもなく、勇者ウルシだ。ウルシはぼんやりと空を眺めたり、雪をいじったり、時折派手に光る遠くの戦いを見やっては花火を見る子供のようにはしゃいだりしている。その目は、ぼんやりとする全体の様子とは違い、キラキラと楽しそうに輝いている。
「これでは白痴ではないですか」
「申し訳ございません」
「いえ、ただの感想。責めているのではありません」
「はっ」
「思考を停止している。絶望から身を守っている。…足りない。これでは、勝てない。しかし過程とみれば」
ミムラが独り言をぶつぶつとつぶやいていると、ウルシが突然駆け出した。
「あっ、こら!」
飛びついて制止しようとしたギライアを、ウルシは木立に投げ捨て、そのまま駆けていった。
「大丈夫ですかギライア」
「はい。力と技は、あの通り。捕まえて参ります」
「いえ、良いでしょう。放っておきなさい」
「しかし」
「あなたがいまへたに傷つくと困る。それに」
ミムラはウルシが向かう先を見た。
「あの人は最期まで、弟子思いだった、のかもしれません。いや、あの人の創造主と同種の力を育てる本能に我知らず導かれた、のか。ここにきて勇者の魔力が膨らんでいる。理由はわかりませんが絶望を抱いているようです。…ねえさんのせいかしら?」
いまのウルシの心は獣のそれに近い。蹂躙され尽くし、自ら心の形を崩してショックから身を、そして心の核となっていただいじなものを守った。だいじなものは、ウルシの生きる標。マリネに謝ること。
「お前は!」
猛烈なすばやさで近づいてきたウルシに気がついたカムラだったが、どうしようもない。マリネの動かない胸を押す手を止めることはできない。
ウルシがなにを考えたかはわからない。寝そべり倒れたマリネの横に立つと、マリネだけをただ見ている。口を開けているので、何かを叫んでいるのかもしれない。声になることはない叫びを。
「そろそろ頃合いのようです。ギライア、この腕輪をつけなさい」
「承知いたしました」
「あの女を襲えばあなたは殺される」
「もとより覚悟のうえ」
「必ずあの女の近くで殺されるのですよ?」
「かならずや!」
師匠は老人との戦闘で優勢にたっていた。
相手から食らったダメージ量はあきらかに師匠のほうが上だった。だが、攻防を繰り返すなか、弱っていくのは老人のほうだった。
老人の本体は、強烈な呪いのかかった冠だ。そして呪いの冠は、老人を操る呪文の上に自身を強化保護する呪文を重ねがけできない。呪いであるがゆえに、宿主の意思を奪うことはできても、自身を強化できない。自分の呪いを自分で解くことにつながる行為だからだ。ましてや師匠に放つ呪文により多大な魔力を損耗し、魔力こそが命である呪いの冠は、ただでさえ力を失っていることもあり、急激に衰えてきていた。萎びた老人の体には限界があり、魔力にも限界がある。要は両者の体力の差が、師匠を優勢にたたせている。呪文の有無が、勝敗を決める絶望的な差だった。
老人はもう師匠から距離をとることができない。師匠を突きはなすだけの力がない。端からこうなることを、呪いの冠は知っていた。雷の呪文を避けられた時、自身最速、最高の威力を誇る呪文を避けられた時に、雌雄は決していた。全力で戦いたい。それだけが呪いの冠の希求だった。
師匠は止まらぬ涙を力に変え、手足を動かす。一秒でも早く、相手を殺す。腹を突き破るような拳を打ち込み、くの字になった老人の側頭部に音より疾く脚を叩きつける。
もはや苦しまぎれに繰り出される老人の拳を、手刀で叩き折り、顔面に飛び膝蹴りを食らわす。すくんだ相手の足を払うと、馬乗りになって、泣きながら、顔面を殴り続けた。師匠もボロボロだ。衣服はしどけなく、呪文を払い続けた四肢に本来の力は伝わらない。老人から食らった打撃により、目は腫れ、歯は折れ、あばらはきしみ、満足に呼吸もできない。
「こんなに早く倒されるとは」
殴られながら、老人は言った。操られた肉体ならではだ。
師匠は意に介さず、殴りつづける。
「それでも何分かかった?、とても長く感じたが、あれから五分といったところだろうか」
冠にはめられた鏡に、大きなヒビが入った。
師匠はあざとく、何をすればこの老人を倒せるか理解した。
「無駄」
師匠は冠を打ち砕いた。鏡は割れ崩れ、冠はひしゃげた。
老人は動かなくなった。何も喋らなくなった。
すぐに師匠は、ふたりのもとに駆けつけようとした。
誰かがふたりに近づいたことは、感知していた。
師匠が走りだすと、剣を持った男が道をふさいだ。
同時に、師匠は男の奥でカムラが誰かに斬りつけられ、倒れるのを見た。
後ろから声がした。
「あなたは彼を倒さずにはいられない」
ミムラの言う通り、師匠は上段に構えて襲いきた男の心臓目がけ、突きを放った。師匠の拳は男の肉体を貫いた。瞬殺しておいてなんだが、師匠の体も心も、他の選択をする余裕がなかった。
その瞬間、ギライアの体が光った。
「犠牲の腕輪」
ぽつりとミムラがつぶやくと、ギライアと師匠を中心にして、冬の厚い雲を突き抜けるような光の柱が立ちのぼり、ふたりを隠した。
光が消えると、ギライアの姿は消えていて、師匠が倒れていた。
ミムラは師匠に近づいた。
「よかった。信じていました。あなたなら、死なぬと」
うつろな目をした師匠にミムラはそう言うと、取り出したナイフで、とどめをさした。
それを合図にしてか、マリネに覆い被さるウルシの体から、嘆き悲しむ叫び声の代わりか、周囲を轟かすいてつく波動が放たれた。
「男の死、か?」
ミムラの体がもにょもにょと蠢き、ミムラはその姿を変えていく。
マリネ一行は、全滅した。