勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

「馬をやめてからこの数日、悪くはなかった」
「おー、私の袋にしては殊勝なことを言うようになったもんだ」
「腹が膨れて動けない状態で、兵やポリスマンを相手にするのも、ずいぶん慣れたさ」
「そうだろうそうだろう。何事も慣れるものだ」
「真に命の危険を感じることはなかった数日だったといえる。だが、なぜ、おれはいま、雪山の中パンツ一丁でいるのだ?」
「人里を離れた、から?」
「回答になってねえぞクソババア!、家に帰ると同時に服を脱ぐタイプの人間でも、雪山の中で野営地についたら即半裸になるか!」
「服が欲しければ、私から奪え。動かなければこごえて死ぬが、無駄に汗をかいても服を着なければこごえて死ぬぞ」
「生きる選択肢を用意することを要求する!」
「しょうがないなあ。サービスだぞ。ほら」
「これ、は?」
「皮の手袋と、バタフライマスクだ」
ああ、危うく私たちも着けさせられるところをマリネが、姫のみ着けるほうがよりかっこいいのではないか、と機転をきかして回避したあれか。と、火を起こす用意をしながらカムラは思った。
「なにがサービスだこら!」
「さっそく装備しておいてなにを言う」
「くそ、せめて目出し帽なら力が湧いてくるものを」
「バカみたいなかっこでなにを言っているのだお前は」
「ちくしょう、さらばおれ!、死ねえ!」
遅い、と言いながら師匠は、襲いかかってきたマリネの足を払い、倒れさせると腹を踏みつけた。
「弱いなあ。国と戦うには足りないぞ」
「うるせえ。逃げればいい!、逃げながら戦う!」
腹に乗る師匠の足を、体を回転させてマリネは払いのけ、立ち上がった。
「半端な力しかもたないお前になにができる?、なにが逃げながら戦うだ。魔王にしてもお嬢の妹にしても、逃げる相手を追いつめるのが得意なことも察せないか?、フナムシはトッツクポーリから逃げられず、お前らは妹から逃がされたのだぞ。話にならん」
再び襲いきたマリネを、師匠は横に避けた。横に避けながら、腹に一撃を食らわしていたようだ。マリネはそのままの勢いでカムラの前まで歩を進めると、膝をついた。
同時に、師匠が空手を振った。振り終えた手には、ナイフが掴まれていた。
「それだ。お嬢は話がわかる」
「この怪人は」
「せめて変態といってくれ盗賊。そっちのほうが冗談で済むから」
「…私が守ります」
「…ありがとう。盗賊」
そうちいさく言うと、マリネは身を起こし、薪をみた。
「それでは私が火を起こすことにしましょう」
「いや、戦えよ」
カムラはマリネの背中をナイフで斬りつけた。
「うん?、なぜだか背中があったかい」
マリネはすでに寒さにより痛覚を失いはじめていた。
「血?、ナイフ?、…なにしやがるてめえ!、おれを斬るな!、守れよ!、言った言葉に責任をもて!」
「血止め草でも貼っておけバカ!、戦うぞ!」
「はあ、もう嫌になっちゃう」
マリネは袋の中から薬草を取り出し、ペタペタと背中に貼りつけた。
「ふふ、そうだ。お前らが逃げられぬほどの強い敵と戦えば、いくら守りをかためてもいずれ死ぬだけだ。マリネを先頭に立たせれば、お前らはなにもできずに負ける。時にはあえて、お嬢が捨て石にならなければならない」
「女に守られるのは癪だ」
「なにを今更。お前をずっと守ってきてやった女がここにいるじゃないか」
「てめえはどの口でそんなこと言えるんだ!、それにお前は女じゃねえ、人でもねえ、得体の知れない悪魔かなにかだ!」
「ほう、楽しくなってきたな。悪魔がどのように人を嬲るか、おしえてやろう」
「カムラ、攻撃の手を休めるな、しかばねはひろってやる」


「勇者殿、あなたには力がある。技はなくとも、力任せに剣をふれば、相手はひとたまりもないだろう」
「はい」
「ひとりで剣をふるっていたのだろう。斬撃のそれがいささか等身大の相手に向けられている癖があるが、それはたいしたことではない。如何せん、隙が多すぎるのだ。それでは剣があたらんし、反撃を受けてしまう。まずは足。足の運びを知ることだ。今のように、崩れた体勢を立て直すために二手をかけて間を開けていたら、反撃できませんぞ」
「はい」
「たとえば」
ギライアは片足を前に出すと、くるりと後ろを向いた。
「と、このように、後ろを向く動き。これをかかってくる相手の目の前で行えば、勇者殿、上段からふりおろす形で向かってきてくだされ。本気でかまいませんぞ」
「はい」
ウルシは言われた通り、向かっていった。
ギライアが片足をウルシの足下に踏み込むと、ウルシの視界から姿が消えた。
「と、こう、一手で相手の後ろを取ることができる。もちろん後ろを振り向く動きをそのままやれば出来るというものではないが、原理は同じです。足の運びと体重移動。以下に無駄な動きをなくし素早く動けるか。武芸の基本です。深く言うと、相手の足の動きや重心を見極めることができれば、相手がどう動こうとしているかわかるものです。強い者のなかには、それを嫌ってゆったりとして余裕がある服を好んで身に着ける者もいます。勇者殿にはまだ早い話であるが」
「はい」
「それでは勇者殿、荒い稽古ではありますが、時間がない。私が木剣をふるので、勇者殿は、私に触れることなく、この円の中から出ることなく、避け続けてくだされ。みかわしの足さえ身につければ、あとはどうとでもなるなるでしょう」
「はい」
「では、いざ」
ギライアは横薙ぎにひのきのぼうをふるった。
ウルシはしゃがんで避けたが、即座に蹴倒された。
「攻防一体の動きをしろとはいいません。避け続ける動きをしなされ。私がその気なら、死んでいますぞ!」
「はい」
私は、死ねない。ウルシは声にすることができない代わりに、心の中でさけんだ。
「距離を取ればいいとおもうな!、灯台下暗し!、相手の視界を考慮するのだ!」
「はい」
私は、自分をゆるせない。死んでもいい。どうせ死ぬのなら、私は、最後に、私を…。


「ああ、まあその三人組かどうかはわからねえが、女二人に男一人の客なら食ってったよ」
「はあ、また…」
ミムラはため息を漏らした。
「その者たちがどちらへ向かったかご存知?」
「ねえちゃん、ここは飯屋だぜ?」
店主が含みを持たせた笑みを浮かべると、ミムラの顔色が変わった。
「酒場にしろ飯処にしろ、どうしてあなたたちは判を押すように同じことを言うのです!、それを言わなければならぬ決まりでもあるのですか!、そんな法がありますか!」
「えっと、まあ」
「金ですか!?、金が目的なのでしょう!?」
「そう、だけども」
「だったらはじめから金をねだればいいのです!、私が今日一日だけで何軒回ってきたと思っているのですか!」
「そんなことはしらねえよお」
「立ち寄ったら何かを食わなければならない決まりがあるのですか!?、店に来る配達人は常連客ですか!?、なんて世知辛い世の中だ!、こんな世界など勝手に滅べばいい!」
「物騒なこというなあ」
「あなたのせいです!、あなたの!」
「ちょっとした冗談じゃねえかよお。悪かったから落ち着きなよ」
「…よろしい。それで、その者らは?」
「しらん」
「は?」
「どこに行ったか知ってるかだろ?、だから、知らない、と」
「貴様は」
「いや、ほんと、しらねえもんよ。客全員と話すわけじゃねえしよお。そこそこ忙しかったし」
「つまらぬ冗談を口にした罪で余生を牢で過ごしたくなければ、知っていることを吐きなさい」
「とんだ重罪だなそりゃ。知っていることっつっても、なんも…ああ、そう言えば」
「なんですか」
「定食を頼んだ男のほうのメシをおまけで大盛りにしてやったら、涙を流して喜んでたな」
「私がそんなことを知りたいと?」
「知ってること言えって言ったじゃねえかよお」
「なんでもとは言っていません!」
「めんどくせえねえちゃんだ。まあでも、山にはいるかもしれねえな」
「…なぜそう言えるのです」
「裏の山の奥に温泉が沸いてるんだ。知る人ぞ知るってなもんで、なかなか人気なんだぜ。山奥っつっても道はあるし、旅慣れたもんならまず遭難なんかしないだろうし」
「観光ガイドを頼んでるんじゃありません」
「ああ、食事を運んだ時、あの客が広げてた地図がちらっと見えたんだ。温泉のあるあたりに丸をつけてたぜ」
「はあ。はじめからそれを言えばいいでしょうに。では失礼」
「おう、今度はなんか食ってけよ」
ミムラは店の扉を思い切り閉めて、店をでた。
歩きながらミムラは思案した。
姉たちは第二隊を狙うつもりだろうか。
だとしたら、第二隊に報せて、討伐に向かわせようか。
それとも第二隊は放っておくか。どこかに留めておびき出すエサにするか。
少し早いが、ウルシをぶつけるか。
はたまた自分が出向くか。ともかく相手の戦力ぐらい知っておかなくては。
そんなことを考えているとミムラは、楽しくてたまらなかった。
姉たちがなにをしようと、この状況をミムラは、勝ちの決まったゲームだと思っている。結末の変わらないゲームを如何に楽しむか。ミムラはその工夫をする。工夫を思案する時間、ミムラはとても楽しい。
「世界を取るか、想い人を取るか」
そんな独り言をついついつぶやいてしまうのは、孤独に生きてきた故だろう。
ねえさん、あなたは知っているのかしら。私を倒せば世界がどうなるか。
私が世界を…。


「ダメだカムラ!、目でみて動こうとするな!、勘で動け!」
「それは、わかって、いる」
「このぐらいじゃまだ喋る余裕がある、か」
師匠は拳足の連打をやめ、距離をとった。
「次は、当てにいく」
言うが早いか、師匠はカムラに一足飛びに接近した。肩で息をしていたカムラはなにも反応できなかった。
「ちっ」
マリネがカムラの後ろから前蹴りをくりだす。師匠は伸びてきた蹴り足をこともなげにひっつかむと、マリネのすねに手刀を放ち、あたる直前でとめた。
「これがお前らの攻撃か?、そうじゃないだろ?」
ふん、と鼻を鳴らして、師匠は足を手離した。
「さて、このぐらいにしておかないとゆっくり湯にもつかれんな。荷物をまとめろ」
カムラはばたりとその場に腰を落とした。しどけない姿、その服の乱れひとつひとつが必殺の拳足にさらされた跡だ。
「大丈夫かカムラ」
「大丈夫なわけがないだろう」
マリネの問いかけに答えたのはカムラではなく、師匠だった。
「当たれば死ぬ、かといって体ごと避ける余裕はなく、捌き続けなければならない。そんな攻撃にさらされ続けて大丈夫なはずがあるまい。お前とは違うんだお前とは」
そう言うと師匠はカムラの目線まで腰を落と、
「お嬢はなかなか筋がいい。多少歳は食っているが、どうだ、私の弟子にならないか?」
と、語りかけた。
「それは、勘弁してください」
師匠の言葉は、カムラにこの日一番の戦慄をもたらした。
「ははっ、それがいい」
師匠はにこりと笑って、カムラの手を取り立ち上がらせた。
「いまの攻撃がどのように間違っていたか、お前たち、特にバカよ、わかっているな?」
「師匠。バカとは、どちらの、ことでしょう」
「ふむ。自覚がないのは恐ろしい。お嬢よ。どうだ?」
「はい。身を以て知りました」
カムラはうなだれた。
「ふむ。こちらはわかっているな。なに、気にするな。やったことがないからわからんが、私とて迷うだろうさ」
「ありがとうございます」
「ところで師匠、私はいつまで半裸で?」
「聞いてどうする」
「はっ、とっとと温泉にむかいましょう。早く行きましょう。そうだ、一足先に私が向かい、湯を掃除しておくことにしましょう!、うんそれがいい。では、ごゆっくり」
「阿呆。犬は主人のあとについて来るものだ。早くむかいたいならとっとと荷をまとめろ」
「ちくしょう。馬と犬ではどちらが上なのだ」
「そこかい?」
「カムラはどう思うっていうんだ」
「考えたくもない」
一行は荷をまとめると、さっさとその場をあとにした。
「あれは」
道中、半裸のマリネがあるものを発見した。
「師匠、あれを!」
「聞いてどうする」
「ちくしょう。気づいていながら無視していたとは。神からのギフトが悪魔によって受け取り拒否ときやがった」
道端に落ちていたものはぼろぼろの靴だった。
無事温泉の湧く地までたどり着くと、そそくさと傍の山小屋の中に入ろうとしたマリネの首根っこを掴み、師匠は湯の清掃を命じた。
「では、師匠が?」
「感謝しろ。お嬢のためだ」
「ありがとうございます。お気をつけて」
「そうだな。まあ大丈夫だろうよ」
ぎゃあぎゃあといつものように騒ぎながら、ふたりがひそひそとかわした会話は、カムラの耳に届くことはなかった。
師匠とカムラが山小屋にはいると、師匠は袋の中身をなにやらまとめだしながら、
「ただ待つのもあれだ。ちょっと夕飯のおかずをとってくる。うさぎの足跡をみたんだ。先に入ってていいぞ」
と、カムラに言い残して師匠は山小屋を出ていった。
入れ替わるように、マリネが山小屋に入ってきた。
「きれいなもんだった。師匠は?」
「うさぎを狩ってくるらしい。気を遣わせたかねえ」
「どうかな。あの人は狩りが好きなんだ」
「じゃあ、はいるか」
「ああ。そうしよう。生きてるのが不思議なぐらい寒い」
「本当に寒くなると、あっつくなるときいているが」
「凍死の薄着、か。おれにはパンツぐらいしか脱ぐものがねえ」
「いつまで仮面をつけてんだい?」
「顔から取れねえんだ。呪われているに違いない」
「凍ってひっついてるだけだろ。さあ行くか」
「おい、サイフと服ぐらい持っていけ」
「…そうだね。盗賊らしくない」
「さて、さっきから探していたが、どうやらおれの服はここにない」
「ああ、袋の中身をいじってるなと思ったら」
「笑えよカムラ。おれを笑え」
「あなたはよく、生きてこれましたね」
「憐れむな!、くそ、心配したおれがバカだった」
「なんだい、心配してくれてたのかい?」
「…まあ、な」
「裸じゃ外はさむいのだろう?」
「しょうがねえな」



「お前が盗賊の妹ってことか」
「…気づかれているかもしれないとは思いましたが」
「だったら逃げりゃよかった。私に勝てるか?」
「それはわかりませんが、まさか私が後ろを取られるまで気がつかないと思いませんでした」
「狩りは得意だ」
「それは私もおなじこと。なにか質問がおありで?」
「よく言う。いつでも逃げられると?」
「彼から聞いていませんか?、私は倒せません」
「堅いだけなら倒せると思うけどなあ」
立ち並ぶ枯れ木が凍りつくあたりに、より冷たい殺気が吹いた。どちらが先に発したものか、当人たちもわからない。
「試し」
「たとえば」
ミムラの言葉を遮り、師匠が正拳突きを打った。空気を震わせるほどの一撃だったが、ミムラは微動だにしない。
「それがなにか?」
「髪はまだしも服すら動かぬとなると、やはり堅いあいだはろくに動けぬようだな。口をきくので精いっぱいといったところか。肺が動いていないのに喋るとは不思議なものだ」
「…そうですね」
「動かないなら、このまま連続して突いていたらどうなる?」
「徒労に終わるかと」
「私が本気で突きを出せば、大地が震えるぞ」
「効かぬと言っています」
「大地がふるえれば、いずれ雪崩がおきよう。この辺りの雪なら確実に起こる。私は雪崩に飲み込まれても脱出できるが、お前はどうだ?、春の訪れを雪に埋れて待つことになるのかな?」
「あなたたちお得意のはったりは聞き飽きました」
「試してみるか?」
ふたりを取り巻く緊張が一気に高まった。
糸を切ったのはミムラだった。
「負けましたよ、今回は」
ミムラの敗北宣言を師匠は鼻で笑うと、
「逃がしてやるから、どう逃げるかを見せてくれ」
と言った。
「いいでしょう」
言い終わるやいなや、師匠の目の前に氷の塊が出現した。氷は次第につららのように尖りだした。一方面だけではない。鳥のトサカのようにいくつも尖り、師匠の体全体を捉えている。
「疾いですよ。その矢は」
「んー」
氷が射出されるのと、ミムラが振り向いたのは同時だった。ミムラが見たのは、いままで見ていた景色とあまり変わらなかった。
「いい動きをする」
後ろから聞こえてきた声に反応し、ミムラは前方に飛びながら、身を返した。
「やはりいい。弟子に欲しいくらいだ」
師匠は何事もなかったかのようにただ立っていた。
「おそろしいすばやさですね」
「一歩前に進んだだけだ。すばやさじゃない」
「本気で私を逃がすと?」
「ああ、私が倒したら本末転倒だ」
「ねえさんが私に勝てると思いますか?」
ミムラは右手の手のひらを空に向けた。手のひらの上に、ゴム毬程度の火の玉がうまれ、すぐに人を飲み込んでもまだ余るほど大きくなった。
「んー」
ミムラがあげていた手を師匠に向けると、火の大玉は矢のように一直線に飛んできた。
師匠は、大玉に回し蹴りを食らわした。大玉は直角に進路を変え、枯れ木にあたると火柱をあげた。
「あいつらが倒すのは厳しいかなあ。めちゃくちゃ熱かったぞ。想像していた以上にとんでもないやつだ」
「皮肉にしか聞こえませんね」
「本音だ」
そう言うと、師匠は横に大きく動いた。
「…よく、かわしましたね。見える類の攻撃ではないはずですが」
「幹がサングラスかけてるとこをみるに、食らったら目を塞がれるんだろうなあ」
「様子を探りに来てよかった。バケモノだあなたは」
「いいや、私は姫で、未来の王だ」
「ふざけたことを」
「私も様子を見に来てよかった。なめていたよ」
「それでは、そろそろ失礼するとします」
「ほう。ああ、靴はちゃんと持ち帰れよ。どうせろくなもんじゃないのだろう?」
「ご心配なく。いまはただの靴ですよ」
ミムラの体がふわりと浮きあがった。
「おいお前、はじめてお前をうらやましいと思ったぞ。空を飛んでみたかったんだ」
「…先ほどの靴を履けば飛べましたのに」
「なんだと!?、そういうことは先に言え!」
「ふふ、では失礼」
ミムラはあっという間に空へ吸い込まれて行った。
「ちっ」
あれが移動術で、好きな場所に行けるというなら…。
ふたりが危ない。
目にも留まらぬ韋駄天を飛ばし、地を蹴り木を蹴り、前を塞ぐ枝を切り払い、最短距離でふたりを目指した。




「なあカムラ」
「ん?」
「守ってくれるか?」
「ああ、守りたい」
「師匠の言ってた意味わかるか?」
「わかる」
「いいのか?」
「どっちの意味で?」
「余裕あるなお前」
湯に浸かりながら向かい合い、ぷかりぷかりとゆっくりふたりはまぐわっていた。
「あんたは、それでいいのかい?」
「あの戦法を使うときまったわけじゃないだろ」
「あんたねえ」
「わかったよ!、わかった。怖いんだおれは。お前を殺してしまう。おれが弱いからだ」
「あたしの方が弱いし怖いさ。だから守る。あたしがそう決めた。そりゃ状況が状況だし、師匠さんからも言われてるし、そうしなきゃいけないって必要に迫られてる。だけど、私が決めたんだよ。状況なんて関係ない。私が守りたい。強がりじゃないさ」
「そうか」
「そう」
「さすが三十路なだけあって、いたい、閉じた傷口を開きにかからないでください」
「はあ」
「おれも、なにかお前のために動きたい。守るのはお前にまかせる」
「いいねえ」
「おれは、お前を」
「うん」
「そうだ。おれはお前を、救いたい。救いたくてたまらない。だから、安心しておれを守って死ね」
「ひどいねえ…ありが」
「息を切らして来てみればなにをイチャイチャイチャイチャ」
カムラが声のした方、上方を見上げると、師匠がいた。言葉の通り、息を荒げている。マリネは背後に目もくれようとしない。
「心配してましたよ師匠」
「これが、人を心配している者が行う行為か?」
「心配?」
カムラは山小屋でのマリネの言葉を思い出した。
「師匠、あなたが、自ら、気を遣ってくれたんだ。気配を消して近づくのはどうだろうか。合図ぐらいするのがマナーではないだろうか。ガキじゃあるまいに」
「離れろとは言ってないだろうが。続けてろ」
「そういうことじゃねえ!」
マリネが抜いて、師匠の方にふりむくと、待っていたのは師匠のつま先だった。マリネはカムラの小ぶりな胸に後頭部を預けざるをえなくなった。
「悪いな。確かに悪いと思う。だが、無性にムカついた。私は悪くない」
「どっちだ!」
「師匠さん、心配とは?」
マリネは嫌な予感がし、カムラから離れようとしたが、すでに首を抱き込まれていた。
「いまさっきお前の妹と戦ってきた」
「なるほど。マリネ、あんた流れであたしを心配したね?、というか心配してなかったね?」
「カムラさん、私たちは少なくとも稽古の時から見られていたのです。その気配の消しようから相応の実力者だと判断していました。師匠が途中から私に愛ある制裁を加えなくなったのはそのためです。愛ある制裁とは、半殺しのことです。私の脚も無事でした。正直に言いまして、当時の私はカムラさんの心情まで気を遣うことができていませんでした。その件につきましては、誠に申し訳ありませんでした。しかし、かような儀により、本件には十分、情状酌量の余地がある、と私は訴えます」
「お嬢、確かにこいつの言う通りだ。だが、とりあえず極刑をもって判決とするがいい」
「証人兼弁護人がなぜ被告の極刑を仰ぐのかね!?、あまりに不当だ!、裁判長!、私は正当な権利をもって、判決の延期を要求します!」
「はあ、もういいよ」
「我、無罪を勝ち得たり!」
「…執行猶予付きの有罪だバカ。そんなことより、師匠さん。妹と戦ったのですか?」
「ああ、そのことは風呂に浸かりながらでも話そう。ところでお前ら、このサイフと服はなんだ?」
「師匠、なんだと言われてもサイフと服ですが」
「服はわかるが、なぜサイフを?、なぜ荷物をあの山小屋に?、お嬢の服、これ着替えだよな?、あれは別に脱衣所というわけではないだろう?、まさかあそこで着替えてここまで来たのか?、晴れているのに?、なぜだ?、荷物を置いておくのは百歩譲ったとして、今必要なのは冬山装備じゃないのか?、平和ボケしたか?」
確かに脱衣所だと勘違いしていた、とふたりは気恥ずかしくなった。同時に、師匠が静かに怒り続けていたことを知った。