勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

「何事にも事情があるものです。大方、私の発言に彼女が気分を害するものが含まれていたのでしょう。兵士殿、もう日が落ちてしまっているのです。他の皆様にはお休みになってもらう準備をさせてあげてください。それから兵士長殿をこちらへ」
兵士以外の人払いが済む段になって、ようやくカムラは、わずかばかりの理性を取り戻した。
「逃げろ」
ひっそりと盗賊カムラは背後のたったひとりにハンドサインで伝えた。
中庭にいるうちなら、マリネはいつでも逃げられた。城門が閉じられたら城壁をかけ登ればいいじゃないか、そんな掟破りを可能にする身体能力をマリネは有している。だがそんな常識の範疇外の能力をもっているのはマリネだけだ。城育ちの盗賊カムラなら、冷静でさえあれば、逃げだすことは可能だろうとの目立てがつくが、もうひとりの女のことを含めて逃げるとなったら、この後に至ってはもはや、相手方から見逃してもらう、ぐらいしかない。段差も乗り越えられず、鍵も開けられない女では、ちゃんとした出口から出るしかない。よしんば城外に出られたとしても、追っ手がきたなら逃げきることは不可能だ。そして現在の状況を考えれば、その女を城内から連れだす役目はカムラからマリネにうつりかわっている。そのことだけでも生なかな難易度ではないのに、カムラが冷静ではないことがマリネを緊縛する事態に拍車をかけている。まして、逃げろ、なんて言われたら、私がその隙を作る、と続いてもおかしくない話で、そんなことをされたら迷惑この植えない。いざとなったらひとりだけでも逃げきることは容易だが、そのマリネの余裕がマリネの思考と動きを鈍くする。千載一遇の脱出機会がくることに賭け、ただでさえ集団としての主導権を軍務長に奪われたマリネは様子を見ることしかできない。
カムラに対する返事は、後ろ手にして掴んでいるカムラの細腕をより強く握ることで返した。逃げるのは今ではない、というマリネの考えが伝わったかどうかわからないが、じれったいように上下しアピールするカムラの変わらぬ手の形を見たマリネは、とりあえず自身の考えが半分ほどは伝わっていると理解すると同時に、カムラがまだまだ平常の精神を取り戻してはいないことを知った。
「兵士長殿」
軍務長がそう呼びかけた男をちらりとみたマリネは、数刻前に剣と拳を交わした男の姿を認めた。
「聞き及んでいるとは思いますが、私は管理者としてこの騒ぎを大きくしたくはないのです。どうか兵士たちを通常の職務に戻していただけませんか。兵士たちとていつまでも時間を浪費していていいわけではありません。私の護衛と事の証人は、兵士長殿おひとりで十分かと」
「しかし軍務長殿、お言葉ですが」
「兵士長殿、あなたの腕前を私はよく知っています」
「…はっ。承知いたしました。場所は移さぬのですか?」
「いえ、密室は好みませんゆえ」
カムラは、マリネが思っているよりも、段々と冷静さを取り戻していた。
この女、妹は、騒ぎを大きくしようとしている。私を暴れ出させるために、ひとつ、またひとつ、と暴れやすい環境を用意している。どの程度まで装備を外せば私の持つ物理非物理双方の武器によってダメージを受けるかを確かめる作業をしている。カムラは妹からにじみ出る思惑を理解してしまったがゆえに、動きを封じられた。飛来するナイフを交わした先ほどの妹の身かわし動作を見るに、妹の単純な意味での戦闘能力は自分のそれを相変わらず上回っていると見立てるべきだった。マリネなら妹を相手にしても勝つのだろうが、それでも簡単にはいかないだろうし、乱戦が始まったらウルシは捨ておかざるをえなくなる。これ以上、連れの女を見捨てる判断をとれば、マリネからの信用が仕事上のものだけになってしまうことは、マリネの行動をみれば明らかだ。力技は使えない。
それをあざ笑うように、妹はひとつ、またひとつと自身の装備を外していく。人払いをし、しかし、大きな声を出せば不特定多数の人間に聞こえる環境を提供している。愚かな姉さんが何をしても蟷螂の斧、無力、妹はそう確信しているとカムラは思わざるをえない。
暴れ出すことはできない。しかしカムラの頭には、このままおとなしくしていたならば、きっと妹はまた私を逃がす、という妄執があった。妹に一泡吹かせるためにわざわざ城に乗り込んで来たのに、過去に負った精神的外傷をまざまざとほじくり返された挙句、傷を負った過程を再現されるなんてことは考えるだけで鳥肌がたつ。
なんとかこの妹をあっと言わせて、無視のできない存在として認知されなければならない。この女を打ち倒すことが復讐のゴールではない。この女の弄する策も野暮も、全ての考えをひとつひとつ打ち砕いて、手足の出せぬだるまにすることこそが本懐なのだ。だから、カムラはこの場をこのまま妹の思い通りにさせてはいけなかった。だが、何も思いつかない。はじめから大いに出たとこ勝負の作戦だったが、力押しでなら乗り切れるだけの勝算があった。武道家をガンガン行かせて、盗賊である自分がサポートをする。単純ながら単純なだけにハマりさえすれば安全が保証された堅い指向だった。しかし今となっては武道家と盗賊の役割が逆転してしまっている。盗賊のナイフは相手にダメージを負わすことが出来ず、武道家は守るべき者の命を大事にすることしかできない。ジリ貧だ。
「軍務長殿の慈悲に感謝し、申し開きがあるならこの場で申せ」
中庭から兵士や軍務長付きの衛士がいなくなると、兵士長がそう言った。
申せと言われても突破口の見つからないマリネとカムラは歯ぎしりをして押し黙るしかない。
すると、軍務長が、
「この中庭、今では殺風景なものですが、私が子供のころには、立派な庭園があったのですよ。ねえ兵士長殿」
と、言った。
「軍務長殿?」
突然思い出話をしはじめた軍務長に、兵士長は困ったような気の抜けた返事をした。
カムラにだけ通じる挑発なのだから、兵士長の気が抜けるのはしようのないものだ。
「大地からの熱を利用して、冬でも色鮮やかな草木や花々を愛でることができる、とても良い庭園でしたね」
「その通りです」
この場には兵士長しか相槌をうつことが許されている者がいないのだから、兵士長は上官の話に付き合うより他にない。
「あら、兵士長殿はあの頃、兵士たちの訓練に使いたいから庭園をならせと上申していたとの記録があったと思うのですが」
「はっ、その通りであります」
「私も時を経つにつれ理解が深まるのですよ。その中庭は、我が国独自の技法、地熱を利用した、それはそれは庭師に大変な手間と熟練の技術を要求する、先人の知恵と国の繁栄の歴史を象徴するものでした。何かの役に立っていたわけではありませんが、国の予算を圧迫していた記録もありません。ただ失くした今となって、非常事態にある今となって、その象徴というものが如何に必要であったか、よくわかる気がします。たとえば、兵士たちだってどうせ護る自国なら貧相な国より豊かな国の方が良いに決まっています。その豊かさの象徴があの中庭だったのです。我が国の栄光を象徴していたのです。それを証明するように中庭がなくなってから兵士たちの数は増減を繰り返しています。その結果全体の練度と士気が下がってしまったと言わざるをえません。そうですね兵士長殿」
「はっ。恥ずかしながら、当時の私、当時の軍部には、そういった考えにまで及びませんでした。痛恨の極みであります。しかし軍務長、そのような話を誰とも知れぬ輩の前では」
「良いのです兵士長殿。なにも軍の機密まで部外者に話すほど私は愚かではありません。民は、家族、なのですよ」
「はっ、失礼いたしました」
「時に兵士長殿、当時の軍部は中庭を手に入れるためにだいぶ強引な手を使ったようですね」
「軍務長殿、おやめください」
気の抜けることはあっても今まで毅然とした態度を保っていた兵士長が、明らかに狼狽した様相を呈した。カムラははらわたが煮えくりかえるような思いをしながら、じっとふたりのやりとりをにらんでいる。妹は私の精神を弄びながら、暴れ出す機会を与えていることを理解している。
「いいえやめません。私にこの話をとどめさせる権利を、あなたが、有しているとでも?」
兵士長は青くなった顔で、いいえ、とだけ言った。
「当時の軍部は中庭を手に入れるために、なんとも遠大な策を弄したのです。そんなことをしている暇があれば、城の近くの山でも切り開けばいいでしょうに。なぜあんなことを実行したのですか兵士長殿」
「それは…」
「当時は平和でしたから、そうですね、暇つぶし、といったところですか」
「決して、決してそのような…」
「そのような、なんでしょうか」
「…申し訳、ありません」
「謝ることなどないのですよ兵士長殿。大事の前の小事に過ぎません。それとも、あなたたちの計画に私の家族のことも含まれていたのなら話は別ですが」
「軍務長殿!、決して、私どもは決して、あの様なことになるとは、決して」
「どうでしょうか。結局のところ愚かな姉のしたことと納得はしているのですが、当時、大臣補佐をしていた私の父と軍部の間に良好な関係が築かれていたとは言い難いものがあったのも事実ですから」
「お願いです軍務長殿。おやめください。今はこの者たちの沙汰を。私への叱責、私への私刑ならば、いつでも、なんなりと受け入れる所存です。ですから今は」
兵士長の懇願を聞きながら、軍務長はニヤリと笑みを作った。今までに見せたことのないほどとても美しく、とてもおぞましい顔だった。
「ぐ、軍務長殿、お願いいたします」
「いいえ兵士長」
非情にも女は首を横に振ると、カムラに向かって指をさした。
「兵士長、そこな女人に見覚えはありませんか?、顔を隠したまま面接を受けたわけではないでしょうに」
カムラはぐっと奥歯を噛みしめ、冷や汗を流した。
事情を知る者にとってのカムラは、すべて妹の手引きとはいえ、両親及び庭師見習いの青年を手にかけた重罪人だ。よほど事情を知る者以外には獄死したとされているに違いないとカムラは考えている。盗賊として警察に追われることはあっても、脱獄犯として追われたことはこれまで全くなかったからだ。
カムラは自分の存在自体が、妹に対する武器のひとつだと考えていた。だがどうやら、妹にとってそんなものなどどうとでもなる些細なことのひとつに過ぎないらしい。
いくらこの場に兵士長しかカムラが生きている事情を知らざる者はいないといっても、城内からことの成り行きを覗き見る目がなくなっているわけではない。仮にカムラが自分の存在を声高に叫んだとして、そんな世迷言を皆が信じるとは思ってはいないが、妹が証言しようとしているならば話は別なはずだ。
実のところカムラにしてみれば、自分の存在が白日の下に晒されようと大きなダメージはない。しかし平常心を乱されたカムラは必死に、どうするか、を考えていた。
要するにカムラは、またしても妹に先手を打たれ、妹の思うままになるしかなくなっていた。
「教え子の顔を忘れたのですか?、忘れようにも忘れられない印象を残した教え子のひとりだと思うのですが」
「まさか、そんな」
驚きの声を漏らしながらも何か思い当たる節があるのか、兵士長はのどを鳴らして唾を飲み込んだ。
「巷では、盗賊、などと名乗っているようですね。ねえさん」
カムラのぐるぐると回る思考が答えを出せぬまま、種明かしは軍務長によってあっさりと行われた。
「聞いてくださいな、ねえさん。あれからわかったことがあるのですよ。ねえさんが恋をしたあの青年、あの人はここにいる兵士長たちが画策した中庭をめぐるくだらない権力闘争、と呼ぶに値もしない暇つぶしの為の飼い犬だったのです」
へらへらと今にも笑い出しそうに顔をにやつかせ、至極楽しげに軍務長は語り出した。
「当時父さんは軍の縮小を、縮小というよりも予算の効率化を考えていたようです。父さんは決して軍のことをないがしろにし、実質的な弱体化による予算の縮小を狙っていたわけではありません。むしろ軍の強化に力を入れてました」
「…が…な」
「そのためには限りある予算の効率化、出納の透明化が必要なことだったのです。軍部との軋轢を生まぬよう、軍の規模と人員を維持、変わらぬ予算、を約束し、より強固な軍にするために小さな変化を軍に求めたのです。そう、軍務局の設立です」
軍務長はそう言うと、くるりと体を回してカムラたちに背を向けた。
「兵士長、父は、あなたたちが行っていたお小遣い稼ぎの継続も認めていた、いえ、むしろ小さな横領なら片棒を担いでも良いと、そのようなことを約束したようですね」
「…前…な」
「それほどまでに慎重を期して、あなたたちに気を使ったことが、まさか裏目に出るとは父も思わなかったでしょう。いくら父が次の大臣を約束された立場にあって、武官が真っ向から私たちのやってきたことに文句があるのかとぶつけることが難しい相手になっていたとはいえ、あなたたちのしたことはあまりに子供染みています」
「申し訳、ありません」
振り向きなおった軍務長は、やはりにやにやとした顔をして、カムラに向かって話しかけた。
「ねえさん、あとはわかりますね?、全く、困っちまいますよ。彼らは父さんの提案に納得したのです。安堵もしたのです。だけど、あまりに父さんが優しかったせいで」
「…るな」
「彼らはつけあがっちまいましてね。嫌がらせを始めたのですよ。そりゃ自分のやってきた仕事に口を出されるのですからストレスもたまることでしょう、父さんもいっそのこと大鉈を振るい、それこそちゃんとした権力闘争を繰り広げればよかったのかもしれません」
「申し訳ない、申し訳、ありません」
「彼らは、父さんに様々な提案をしました。まともなものはひとつもありません。彼らは単に探っていたのです。父さんが一番嫌がることをです。それが中庭につながる経緯です。父さんは庭園が象徴として如何に機能しているかをわかっていたのです。単純に父さんは庭園が好きでしたしね、そうですよね、ねえさん」
「お前が、父さんを」
「彼らは庭園をつぶすことに決めました。己らの矮小なストレスのはけ口としてです。このことに無い知恵を絞るという行為自体も、浮気相手との逢引の仕方をたくらむことのように、楽しかったのではないですか、兵士長殿」
「申し訳ない…」
「父はすべてしっていたのですよ。あなたたちのいたずらも、その中身も」
「はい、補佐官殿は、わかって、いました」
「ということは、あなたたちはその後に及んでまた父に甘えたのですか。全く、困っちまいますよ。ねえ、ねえさん」
「お前が父さんを語るな」
「ねえさん、それは私のセリフではなくて?」
「離せよ、手を、離せ!」
そのカムラの言葉に、マリネは握っていた手を離したが、同時に素早く片手でカムラの腰を抱き、もう片方の手で口を塞いだ。
兵士長はこの状況の変化に動きもしない。
カムラが我を忘れた以上、受け身になるしかない。この状況で我を忘れるなと言えたものではないが。
マリネは静かに、決断した。もがもがと滑稽に動くカムラの耳元でマリネは、
「お前だけが助かればいい。だから機会を待て」
と、つぶやいた。
カムラの動きがとまった。マリネはカムラの口から手を離した。
「ねえさん、今から言うことは事実ですが、また気を悪くしちゃいやですよ」
「…言ってみろ」
カムラに冷静さが戻った。もう真実だが事実ではない言葉を喚いては妹にやり返される心配はないだろう。父さんを殺したのはお前だ、と、カムラが口に出したなら、妹はきっと待ってましたとばかりにカムラをおちょくり堕とすだろうとマリネは思っていた。そうなったら、カムラがもとに戻るのは難しいだろう。分水嶺を通り過ぎ、マリネは背後の女を見捨て、カムラと逃げる道に入った。
「父さんは、すべてのくだらない企みを看破していました。彼らは庭師を追い出そうとかんがえたのです。あの庭師のおじさんをです。かといって熟練の技法を受け継ぐ大事な人ですから、おいそれとは追い出せません。そこでこちらの意のままに動く後継者を作り、追い出しやすい環境を整えようとしたのです。そう、あの青年ですよ。なんとも時間のかかることを、全く。たまったものじゃありません。その青年は働きすぎました。父さんは」
見捨てる女がウルシだと、マリネは知らない。マリネがそのことを知っていたら?、カムラの頭にこのタイミングでそのようなくだらない考えがよぎった。
「ふっ」
「うん?」
カムラがこのタイミングでなんてことが頭の中をよぎるんだと自分の考えに対して鼻で笑うと、はじめて妹の調子が狂うのを感じた。ここしかない、カムラは動いた。何があっても全力で逃げることだけ考えればいいのだから。
「すると、なにか?。私があの男に恋をしたせいで、父さんはあの男を追い出すことができず、バカの企みに乗っからざるをえなかったと?」
「あの優しい父さんが、ねえさんたちの付き合いに猛烈に反対していたでしょう?」
「あー、なるほど、ふふふ、ふふ、はは」
「あら、狂っちまったのかしら」
「ふふふ、妹よ、安心してくれ」
「ねえさん?」
「心配するな。もとから狂ってるんだ。じゃなきゃ親を刺せるわけがないじゃないか!」
軍務長の目が大きく開かれた。妹との再会以降、はじめてカムラが打った先手だった。
「兵士長、笛を吹き鳴らしなさい」
「は?」
「早く兵を集めて重罪人を取り押さえろと言っているのです」
「武道家!」
「おう!」
「ガンガン行きな!」
「その言葉を待ってたんだ」
一足飛びで懐に飛び込んでくるマリネを見た兵士長は、応戦を諦め、笛を吹くことを優先した。甲高い笛の音が城内に響き渡ると同時に、兵士長は地に伏した。
マリネはすぐに踵を返すと、軍務長と対峙した。
「素晴らしい強さですね。私の知る限り、2番目に強い男です」
「あ?」
その時、マリネは後方で金属と金属とがぶつかる音を聞いた。
舌打ちをならすと、マリネは横に大きく飛び、視界を変えた。
女が倒れていた。その横に立っていたのは篝火に照らされ赤くきらめくナイフを持ったカムラだった。