勇者と段々崩壊していく世界
「私の仕事は机の上でおこなわれます。軍に与えられた予算や備品、そして人員。それらの限りある資源を最も効率よく整理、把握、調整、配置することが私の仕事なのです。紙の上に書かれた無機質な数字や報告に目を通し、事務的に処理していくことしかできません。先ほど私が言った男女混成部隊の設立なども、あくまで想定しうる問題に対するより効率的な事務処理の可能性という観点からの物言いなのです。紙の上では男女の違いなど、書かれている文字の違いでしかありません。記載される記号の違いでしかありません。私の立場からすれば男女の違いなどそういった大変に無機質な違いで、感情を差し挟む余地はありません。ですから、あなたが仰ることに軍務長という立場から何かを答えることはありません。しかし、この招集の管理者のひとりとしての意見を述べるならば、女人だてらに勇気ある者への招集に参じてくれた者を頼もしく思っていますよ」
「ありがたきお言葉、光栄に存じます」
一度堰を切ったカムラの憎しみは止められるわけもなく、このままおとなしくしていればいくつか想定していた脱走パターンのうちのひとつであるマリネの起こす暴動の隙を見てウルシを連れて城から逃げだす道に戻ることも可能だったろうに、やけっぱちな挑発へカムラをいざなう。
「ところで軍務長殿。前回の勇気ある者たちは結局どうなったか把握されているのですか?」
カムラの言葉に周囲の輩たちが少しざわついたが、真っ先に意味のある反応を示したのは、壇上の兵士だった。兵士は再び憤怒の形相を作り、カムラに黙るよう喚き出したが、すぐに軍務長に止められた。
「いいのですよ兵士殿。彼らには知る権利があります。私の責任を以って、私の知る限りのことをお答えいたします」
カムラを見る軍務長は相変わらず微笑んでいた。
マリネはここに至り、臨戦態勢の堅持のみに注力することにした。
「とはいえ、私が知ることは紙の上の話です。あなたの、いや、皆様のご期待に応えられるかどうか」
軍務長はそう言うと、うつむいた。
少しして顔をあげた軍務長は、微笑みを消し、
「私が最後に目にした前回の勇気ある者たちに関する報告書から、勇気ある者として魔王と称する悪と勇敢に戦った彼らの任務成功及び生存を裏付ける数字は書かれていませんでした。今回の招集に至る経緯から皆様がご推察なされるように、全滅したと判断するのが正しいかと。申し訳ありませんが、情けないことに軍務長である私にはこれ以上の仔細を知る道理はないのです。彼らの動静を紙の上の数字で判断するのが私の立場ですから」
と言った。言っていることは随分とドライ且つ中身の無い返事だが、なにぶん冗長なこととその愛らしい容姿と声のおかげで、聞いている者にひどく物悲しい印象を与えた。
「数字ですか。数字といえばやはり前後の数字が合わないとなにかと大変なのでしょうね」
カムラの言葉遣いがややカジュアルになった。茶番を切り上げようとするのを止められないのだろう。
「たとえば、前回の招集時とは違う、私たちへのまるで新兵扱いのような訓練への変更、になった原因などはあなたが目を通した数字の変化に関係があるのでは?」
またしても壇上の兵士が動きだそうとしたが、再び軍務長が、今度は視線だけで止めた。
「訓練ではなく適性検査です。そして皆様の適性を知る為の検査内容を決めたのは私ではありませんし、私の仕事ではありません。また、まだ始まってもいない内容について私から何かを言うことは私の職務権限から大きく外れます」
「数字しか知らなくても逃げた奴の数ぐらい知っているだろう。それとも逃げた奴らのことなんかは死亡扱いで数字を引かれていたのかい?」
「前回の招集は前代未聞といえ、さらに急ごしらえにならざるをえないものでした。我々の想像以上に過酷な任地であった、ことも事実であると、皆様にお伝えいたします。また、勇気ある者、は我が国が強制して集めているわけではありません」
「魔王の言いなりの招集でも?」
「この件につきましては、我が国、我が軍、私への侮辱ならばあまんじて受けさせてもらいます。ですが、あらかじめ言っておきますが、彼らは自ら進んで炭鉱のカナリアになる覚悟を持った、真に勇気ある者たちでした。我が国、いや、この大陸に生きる者にとって、彼らの勇気によりもたらされた情報の数々は安寧の嚆矢となるものです。彼らへの侮辱は控えてもらいます。たとえ彼らの一部にくじけぬ心を持たざる者が居たとしてもです」
「曲がりなりにも軍の人間だろうに、ずいぶんと甘いんだね」
「彼ら、そして皆様は軍令の下にある人間ではありません。本来であれば我々が守るべきだいじなものです」
「だいじなもの、か。軍務長、もう一度聞くよ。だいじなもの、の数字は知っているのだろう?」
「あなたが何を仰りたいのか、私にはその考えに及びませんが」
そう言うと、軍務長はきゅっとこれまでにないほど顔をほころばせ、
「あなたは私にとって民とは何者であるかわかりますか?」
と続けた。
カムラが軍務長をにらんで黙っていると、軍務長は、
「家族、ですよ」
とつぶやくように言った。
その言葉を聞いたカムラの様子を見たマリネは、計画も何も置き去りにして、カムラのもとに駆け寄った。
「家族の数を忘れることはないでしょう」
カムラのもとに来たマリネは、即座にカムラの利き手をねじりあげた。カムラの腕を覆うローブの端からナイフが土と混ざった雪の上に落ちた。それを見て色めき立った兵士がすぐに剣を抜き放つと、声も出さずにマリネたちに接近してくる。周囲にいた輩のひとりが素早く、マリネに近づいてきた。おそらく、暴漢を制止しているマリネに助力をしようとした者であろうが、マリネとその男とではカムラを制止する目的が違う。マリネにとって男のこの善意は迷惑この上ないものだった。マリネは仕方なくカムラの腕から手を離すと、素早くそして的確に、無防備に近づいていた男のみぞおちに正拳をたたきこんだ。哀れな男は前のめりに崩れ落ち、動かなくなった。と、今度はカムラが動いている。地に落ちたナイフをさすがのすばやさで疲労と、拾った姿勢そのままにアンダースローで妹に向かって投げつけていた。きっとナイフを持ち直す動作と時間さえ我慢がならなかったのだろう。飛んで行ったナイフは正確に軍務長の顔へと飛んでいったが、軍務長はナイフの速度に比べあまりにゆったりとした動きで、何事もなかったかのようにかわした。
「それ以上はおやめなさい」
軍務長の言葉は表情を失ったカムラや突如男に蹴りを見舞ったマリネにあてられたものではなく、ふたり、いやカムラと同じ格好のウルシも含めた三人を無力化せんとする兵士たちに向けたものだった。
「言いましたでしょうに。侮辱は受けさせてもらう、と。包囲までで結構です。私は我が軍の兵士の力を信用していますから」
ウルシは包囲する兵士の言う通り、両手を頭の後ろに組むことしかできない。その背後、背中合わせの距離にはカムラをしっかりと抑えるマリネがいるというのに。
マリネがカムラを制止した理由は、カムラの第一行動指針が何かあったら逃げるということから、何が何でもこの場で怨敵を討つ、に変わってしまったことを察知したからだ。もちろんそんなことをカムラが勝算を加味して取捨選択できるほど冷静ではない。ヒステリックな行為だ。はじめから逃げることを前提に乗り込んできたのだ。逆にいえば、マリネひとりが逃げることで精一杯の状況になるのだ。当初の予定通りマリネひとりであっても全力で逃げることに集中しなければならないのに、相手に向かおうとするカムラがいてはカムラを助けようにも助けられない。それならまだ、表情を失くしたカムラを気絶させて担ぎながら逃げるに賭けた方がマリネにとっては現実的な話だ。ましてや、できるならば逃がさなきゃならない相手がもうひとりいる。これにはカムラの自立が必要不可欠だった。マリネはカムラが凶行を働く前になんとか取り押さえ、穏便ではない状況の中でもできるだけ穏便な道に進み、その間にカムラに冷静さを取り戻してもらって、流れの中で隙をみて逃げるしかなかった。しかし、カムラの手からナイフが投擲されると同時に、もうマリネは場を自らの力で動かすことができなくなった。計画はもとより、こちらの持っているカードをちらつかせることによる挑発も、産まれたての赤子が産声をあげるより早い段階で水泡に帰した。カムラは暴れようとして暴れたのではない。暴れさせられたのだ。こうなっては主導権もクソもない。俎上の鯉とはこのことだ。マリネはこれから敗北の決まった戦いに身をおかなければならない。マリネが動けない間にも、騒ぎを聞きつけた城の者が次々とやってきている。それでもマリネが他人の身を案じ、自分の身を最優先させる事態だと判断していないということは、自分ひとりを逃がすだけならこの状況でもまだ可能だと無意識下でマリネの危機察知能力が断じていることの証左であり、武道家マリネの剛勇を物語っている。