勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

「軍務長殿!」
いたたまれなくなったマリネは、女の話をさえぎって声をかけた。強引に話を変えようという算段だ。カムラの手も、震えこそなくなったが、いけ、のままだ。
「ああ、申し訳ありません。そうでした。今は軽装化における資源活用の見直しを考えている場合ではないのでしたね」
他の志願者たちはこの長い独り言の間、なにをしていたかといえば、聞き惚れていたというほどではないが、真面目を装って聞いていた。中には背筋をこれ見よがしにピンとはるようにする者もいた。もちろん楽しんでそのようなことをやっている。若く美しい軍務長の登場以前の兵士の態度をから推察するに、予定通りことが進んでいたならばどうせろくなことにはならないことを皆わかっていた。彼らは、誰かと兵士が喧嘩をはじめ、野郎の汚い罵り声を耳にするよりも、見目麗しい女の声を聞いていた方が幾分有意義な時間の使い方だと結論付けたに違いない。また、こういった突発的な事態に対処できていない兵士たちの顔色などを観察するのも一興だったに違いない。
「では、あなたの仰りたかったことを、ぜひ教えてください。この場合、誇り高き我が軍とすれば考えにくいことですが、風紀の乱れ、男女のもつれから部隊が壊滅するというあってはならぬ事態を避けるためには、あらかじめ人の幅広い趣向を知識として有し、諸問題に対する対策や兵士への慰労を施し士気を高めることが、戦場に足を運ぶことのない私がすることのできる唯一の武器なのです。どうぞ忌憚なき言葉で、あなたの持つ見識をご教授願います」
軍務長の喋る言葉は別に大して中身のあるものではないし、中身がないくせに長ったらしくややもすれば単にうざったい文言なのだが、やはりそこいらには見ない可憐な女が凛と、そしてどこか楽しげに物を喋るのと、ガマガエルを生きたまますり潰した液を煮詰めたものを朝一番の排便の前に2リットル飲み干さねばならぬ宿命を帯びているのだろうなと容易に想像がつく面の、自称中の下本音では中の上だとのたまいがちな醜女が長舌をふるうのとでは、全く違う印象を帯び、全く違う現象を聴衆に引き起こす。もっと声を聞いていたいと望むか、竹林に行って足下からタケノコが生えてきて体を10メートルの高さまで持ち上げてくるまで眉一つ動かすことを禁じる刑に処したい衝動にかられるか、だ。
輩たちにはそれぞれ軍務長の長い話をおとなしく聞いている狙いはあるが、大半は決しておとなしい人物ではないこの聴衆をおとなしくせしめているのは、ひとえに軍務長の容姿が、声が、不快ではなく心地よいものだからだ。強制ではなく、上役の言葉を遮る術を持たない兵士たちからすれば半ば強制なのだが、自然と聴衆の聞く耳を揃えさせるほどの魅力がある容姿と声という才能とずば抜けた才覚、両者を併せ持つ者などまず生まれ出ずることのないことは人の歴史が証明しているが、ここに幼くして、実の父母と城仕えの庭師見習いを謀殺し、姉にその罪を被せ実質的に謀殺し、なおかつその姉をよりあざ笑いたいが為に牢獄から解き放ち生かしながら城内に於いて自身の立場を確立し続ける、という「イワンのばか」の主人公イワンすら籠絡させてしまうような、悪魔たちの王だと形容しても過分ではない黒い心、そしてそれら才能をこの国に於いて最大限発揮できる血脈をも併せ持つのだからたまったものではない。
彼女の持つ才能のどれかひとつとっても使い方によっては世を狂わしかねないほど扱いに注意を払うべきもので、そんなものが三つも四つもひとりのところにあるのだから、混ぜるな危険どころの騒ぎではない。しかしその才能をもって城内をコントロールし、そして国民を、世界をも、コントロールしはじめていることに気がついているのは、この妹により生かされてしまった姉のカムラとマリネだけだ。
マリネが数秒のあいだ返事に困っていると、
「この場にて口に出すのがはばかられる内容であるのならば、後ほど私ひとりにこっそりと教えてくださってもよろしいのですよ?」
と軍務長がにこりと微笑みながら言った。
見方によっては下品な誘い文句ととれ、輩たちはさておき慌てん坊の衛士などいようものならあたふたと動揺しようものだが、この場にいる者たちは、ひとりを除いて、これを素直な乙女の純粋な知識欲からくる言葉だと解した。この女の裏を知るマリネでさえ、表面上はそう受けとった。過去この女に恋する人を奪われたカムラだけが動揺した。
「それは願ってもないことです」
一応、マリネは枕詞に対して続く言葉を返した。マリネがカムラから過去を詳細に教えられていればこのような返事をかえさなかったことだろうが、カムラの動揺はマリネの何気ない一言でより深まった。また、マリネの言葉に動揺したのはカムラだけではないことを忘れてはならない。
「ですが軍務長殿、」
マリネが続けようとしたところで、
「軍務長殿」
軍務長とは違う女の声が自身の言葉を遮り広場にこだましたのを聞いて、今度はマリネが動揺した。ふたりの計画にはない行動だった。マリネにとって見ればあまりにカムラらしくも盗賊らしくもない、稚拙な行動だった。これはまだほとんど始まってもいない計画の放棄を意味する行為だ。
「先ほどあなたの仰った話に関連する質問をしたいのですがよろしいでしょうか」
声のした方を向いた軍務長の顔が一瞬、今までの微笑みとはまるで違う、あたかも周囲の景色に擬態した捕食者が目の前を通る獲物が捕食可能範囲まで近づくのをじっと待っている時の眼をしたのを、マリネは見逃さなかった。その一瞬の、殺意とも好奇とも快楽とも無心とも云えないただただ真剣な眼は、どこまで勘付かれたかはわからないが、この女にカムラの存在がバレたことは確かだ、とマリネが確信するのに十分な情報量を持っていた。
「歓迎いたします。どうぞ続けてください」
軍務長の態度に、先ほどまでと変わったところはみられなかった。変わらずに好奇心と理知が美によって彩られている。
マリネ達の計画を大まかに述べれば、この招集の責任者である軍務長に冒険の書などの秘密を以って挑発し、十二分にこの女の興味を引きつけてから命がけで逃走を図るのはマリネの役目だった。カムラはできるだけ城にのこり、挑発によってこの女がどう動くか監視し、あわよくばこの女が隠しているもの、すなわち今回の魔王出現に関する秘密を見つける、もしくはこの女の弱みになるものを見つけることが役目だった。大事なものを隠している隠し金庫の所有者に、お前が大事にしているものは頂戴した、とハッタリをかますような古典的な盗賊のやり口がこの女に通用すると思うほどカムラは愚かではない。当然のこととして計画通りマリネが暴れたら、その後に警戒が強まる。城内の探索はもちろん、軍務長への尾行などできるはずはない。素性もすぐに割れるだろう。従って計画では多少流動する可能性があるものの同日に、ふたり、は城から脱走する予定だった。
なぜこんなでたらめな計画を、プロの盗賊と慎重な武道家のふたりが実行に移したのか。ふたりが冒険の書に関する秘密の一端にふれ、ふたりを取り巻く事態が大きく動いたことによりそれまでの考えを崩して一からやり直し十にするには単に時間がなかったという面もあるものの、この女を相手にするには下手に策を弄するよりも、発作的な通り魔のような真意のはっきりしない無計画さの方が短期的に混乱をもたらすのではないかとの考えを持つに至ったからだ。そしてなにより、マリネは国を相手に暴れたかったし、カムラは妹を困らせたかった。そしてなによりふたりは逃げ足に自信があった。
この作戦は謂わばカムラが妹へ送る果たし状だった。買わざるをえない喧嘩を売って、逃げた先に追っ手が来たなら返り討ちにする。策を使われたならぶち破る。こちらも相手を脅かす手段がある。無視することのできない存在の確認された薬も効かない獅子身中の虫になり、その身を、望みを、食ってやる。這いつくばるお前に高笑いで応えてやる。
「では、軍務長殿は女人がこの招集に応じることをどのようにお考えかお聞かせください」
カムラはここに来て、じっとしていることができなくなってしまった。カムラが生きていくために鍛えあげざるをえなかった、仲間内では盗賊の鼻とも呼ばれる五感を頼りに空気の流れなどのわずかな変化を見逃さず何らかの変異や異物をいち早く発見するテクニックが、立ち列ぶ招集者たちの中で誰よりも早く怨敵である妹の接近を知覚した時にはなんとかこらえることができて、それでもマリネにサインを送る手に力が入ってしまったが、ほっとしていたというのにこの体たらくだ。杜撰とはいえ様々な可能性のあった計画をおしゃかにしてしまったことも、それによって隣にいるウルシがとてつもなく厄介な存在になったことも、妹が自分の存在に気づいたことも、またその妹と言葉を交わしているという行為も、カムラの体を奪っていく。もはやなにを口に出して喋っているのかすら他人事のように、平静をなくしたカムラの心と体は一致していなかった。じっとしていられないから動いた。が、なにをしてるのか、なにをしていいのかわからない。ただなぜかは知らないが、口からでる言葉や態度は他人からみれば至極冷静なもので、こうなるとマリネに至ってはわけがわからない。
カムラに何か考えがあって妹と言葉を交わすに至ったのか発作的なものなのか。自分はカムラを無視すればいいのか、それともこのやりとりに何らかの形で介入すればいいのか。カムラとの距離感はどうするか、カムラに視線を向けるか、あの女に向けておくか。マリネは容易に動けなくなった。
マリネの行動を縛る原因はカムラではない。カムラの隣にいる女のせいだ。カムラが暴走し、自棄になっても、それでもカムラには逃げ足がある。カムラをサポートしつつこの場から逃げおおせることは、当初の予定とさほど難易度に違いはない。
しかし、隣の女をサポートしつつ逃げることは武道家であるマリネの領分ではない。マリネはカムラの隣にいる女がたたかいの素人だということぐらいしか知らないし、当初の予定では盗賊カムラがどのようにその女を城から連れ出すかも、盗賊の腕を信用する形で、聞いてはいない。いざとなればその程度のことしか知らない他人の一人や二人どうなろうとわが身とカムラの安全を優先することぐらい平気でするのがマリネという武道家の精神ではあるが、それはあくまで最後までとっておくべき選択肢だという良識もちゃんと持ち合わせている。だからこそ下手に動けない。カムラにしてみても、実際は隣の女すなわちウルシを苦しめようとして連れてきているからいざという時にウルシがどうなろうと刑罰のささいな変更に過ぎないのだが、そのことをマリネに気取られてはいけないし、マリネに隣の女がウルシであることを知られるのはもっとまずい。
二者二様の煩悶を抱えながら短くも長い思考のエアポケットに入ったマリネとカムラ
をよそに、その原因たる当事者のひとりウルシは、なにも知らないことをいいことに、カムラから言われていたことを守り、じっとしたまま当初の作戦における自分の役目を全うしていた。そうすることしかできない、のも事実だが、望みが叶うまで言われたことをやり続ける覚悟がある、ともいえる。ことここに至って、行動を自分で選択する権利もないとも思っている。愚かな私はまた間違った行動をする、とマリネを視界にとらえてから特に強く意識していた。盗賊を信じる。もはやウルシにはその一点にしかすがるものがない。