勇者と段々崩壊していく世界
この季節、ウエノの王都は雪に覆われている。春が来るまでやむことのない雪が家々や見張り塔をパイ生地のように包み込んでしまう。降り積もるがままにしておけばたちまち町の機能は失われてしまうので、町の住人は毎朝、各々の交通を確保するため家の前に積もった雪を町に張り巡らされた用水路まで除雪する日々だ。用水路にはこの地に湧き出る温泉が流れており、冬になっても凍ることはない。また都の大通りなどは温泉や地熱を利用した融雪設備を備えており、雪が積もることはない。
「するってえとなにかい?」
雪かき作業の一休みにと、用水路のわきで数人の男達が雪だまりで簡易な椅子を形作り、そこに腰を落ち着けて井戸端会議をしていた。
「なんだ?」
「前より人は集まんねえってことかい?」
「ああ、そうだよ。前回あれだけ名うての者達があつまって、それでいて全滅しちまうんだから。それをみて、お前だったら招集に参加するというのかい?」
焦げ茶色の厚みのある顔の皮膚をしている男は、そう言うと煙たげにくわえていたタバコを雪でもみ消した。
「いやあ、そりゃ俺なんかは参加する気にもなれねえが、まだまだ名うての者たちだっているだろう。少し前まではそこいらの酒場が修行者や冒険者ばかりだったじゃねえか」
「そんなやつらは、またぞろ様子見を決め込むにきまってる。そして次があるなら、もう無理だと判断するだろうさ。現に今はもう姿をくらましてるじゃねえか」
「そうだけどよお、いてもらわねえと困るじゃねえか」
「確かにいてもらわなきゃ困るんだろうが、いずれにせよ、勇気ある者、の舞台参加は今回が最後さ。残ってる奴に勇気なんてひとっかけもねえ」
びょうびょうと大地を撫で上げるような風が吹き、雪が乱れ踊って舞いあがった。
「風が吹いてきやがった」
男達はそれを合図に除雪作業へともどった。
「城へ行くにはこの道を行けばいいのか?」
雪かきを再開した男達の一人に、厚着をしてモコモコになった服装の上からも、どこか鍛えあげ引き締められた肉体を想像させる男が語りかけた。
「あ、ああ、この先の丁字路を左に行けばあとはわかる」
男は礼を述べると、悪路に慣れた足取りですたすたと歩き去っていった。
「なあ、今の…」
「ああ、勇気ある者、だろうな…」
雪かきの手を止めた男達の間をまたびょうと風が吹き雪が乱れ舞うと、マリネの姿は男達から見えなくなっていた。
ウエノの王城は、いたって普通の造りだ。口の字型の城郭を持ち、レンガ造りの城がその奥に鎮座する。中庭には兵士の訓練にも使われる運動場や、春から秋にかけて一般にも公開される植物園がある。兵士が日毎訓練している武練館と呼ばれる建物も城城郭の中にある。三階建ての武練館は前回集まった勇者達の合同訓練の場にも使われ、参加者に広さの面で不足を感じさせることはなかった。
「招集に応じる者だが」
城までたどり着いたマリネは、城の門番に言った。
門番は、これはこれはようこそお越しくださった、と、慇懃無礼に感じるほど丁寧にマリネを場内に導いた。
マリネは普段の癖で、あまりにあっけなく城内に招きいれた門番に城の警備について不満にも似た質問をした。
兵士はただ、
「私は招集に応じる者がきたら応接室まで通せと命じられています」
と、言うのみだった。応接室の前まで来ると、門番の男は軽く会釈をして来た道を戻って行った。
応接室には、係りの者と思われる三人が机を前にして座っていた。三人のうちふたりは見るからに文官だったが、もうひとり、こちらは明らかに一目で腕っぷしのきくだろうことがわかる壮年の男だった。マリネはその男を、兵士達に訓練を施す教官に違いないと思った。四人のかんたんな自己紹介が行われると、マリネの勘があたっていたことが確認された。
マリネは用意した必要書類を彼らに渡そうとすると、真ん中に座ったひょろりとした男が、先ほどの門番のような、しかし門番ほど不自然ではなく慣れた口ぶりで丁寧な挨拶をした。口ひげをながくのばした男だった。権威が服を着ているかのようなその男のことを、マリネは不快に思った。俺が国に捕まるかして無駄死にしたらきっとこういうやつに笑われながら死ぬのだろう、というようなことを言い知れず思ったのだろう。
なぜ今回招集に応じてくれたのか。
いままで何をしてきたか。
格闘歴はどのくらいか。
そういった事務的な質問を、ふたりの文官が何度も繰り返した。
国のため。
各地で武道の修行及び労働。
20年。
マリネもそういった質問に盗賊とあらかじめ用意していたこたえを言った。
最後に、それでは、と言いながら真ん中に座った男がちらりと教官の方に目をやった。歴戦の武勇を感じさせる男は何も言わず、こくりとうなずいた。どうやらこれで面接は終わりのようで、
「ご苦労様でした。それではあなたは武練館の方へ」
と、端に座った文官が案内をしよう席をたった。
「俺は部隊に参加できるのか?」
マリネは少し迷いつつ、そう言った。マリネは盗賊達ふたりよりも先に城へやってきている。その狙いはいくつかあるが、最大の狙いはマリネの強さを面接官に印象づけ、後続のふたり、特に盗賊が連れているという武に関してシロウト同然だという女を、審査に通しやすくすることにある。後続のふたりはマリネの演じている人物と同門という設定があるからだ。だが、盗賊には不自然な形でしかそれをできないならならしなくていい、とも言われている。
「はい。ああ、しかしあなたの部隊への参加を正式に決めたわけではありません。これから我々の用意した訓練に参加してもらって、適正を判断させていただきます」
マリネはどうやら一次審査をパスしたようだった。
「わかった。しかし、話をしただけで、実際に俺の腕前を確認しなくていいのか?」
その質問には、教官がこたえた。
「君が並の者でないことは、よくわかる」
マリネは教官の方を向いて、目を合わせた。
「君には…」
そう言いかけたきり、教官は少し考え込むと、
「よかろう、少し手合わせをしてみようじゃないか」
と、言った。
マリネにしてみれば教官の申し出は渡りに船だが、マリネとてバカではない。教官が主導権を奪われやきもきする文官達を、なに遊戯のようなものですよ、といなしている間、マリネは教官が言った、君には、に続く言葉を考えていた。君には君より弱い仲間がいるのか、どう考えても盗賊との作戦を、知っている、ことにより思考が限定されたマリネの頭はそう続けさせた。
対峙した教官はマリネより小さかったが、机越しには感じられなかった烈風のような気迫をマリネはひしと感じた。
教官は剣を抜いた。ふくれっ面の文官達も抜き身の剣から発せられる緊張感に息を飲むことしかできなくなった。
「君は寸止めで頼む。私もまだ仕事が残っているんだ」
私は当てる気でいく、教官が述べた言外の意を含め、マリネは承諾した。
「お、大事は困りますぞ教官殿」
対峙するマリネと教官を取り巻くただならぬ緊張感に、ひげの文官がようやくそう言ったが、もはやふたりの耳に届くことはなかった。
合図もなしに、教官は素早い突きを放った。マリネは体を相手に対し横向きにしつつ後退し、それをかわした。マリネにはその突きが必殺のそれではなく牽制の意も含めた様子見のものだとわかった。その証拠に、教官は剣をかわしたマリネをみて、にやりとした。
マリネは教官の剣を、剣の間合いから離れるようにしてかわし続けた。これはむろんマリネの腕前が高いこともあるが、教官にマリネを壁際に追いやりマリネの逃げ場をなくすという思惑がないことにもよっていた。マリネもあえて教官がそうしようとしてこないことを察した。存分にマリネの実力を試してみるつもりなのだろう。だが、教官の一振り一振りには当たれば怪我ではすまないだろう鋭さがあった。そしてもちろん教官は当てる気で剣を振るっていることをマリネは感じていた。
教官の剣さばきは、面接官に選ばれただけあり、素晴らしいものだったが、マリネにとってそこまでの脅威ではなかった。攻撃をぶち当ててもいいという状況下ならばとっくに制圧している相手だった。だが今は寸止めで決着をつけなければならない。しかし中途半端な、寸止め、では、教官はその手を止めないだろうことをマリネは悟った。中途半端のものならば、寸止めしたマリネの手を振り払ってでも剣を当てにくる、そういう気概を教官は身にまとっていた。
組みついて制圧したり、剣を奪うことも可能ではあったが、マリネはそうしたくなかった。なんとしても拳による寸止めで、教官の気迫をなくしてやりたくなった。教官の思惑や予想の上をいきたくなった。これは腕前の差による余裕と、マリネの武道家としての誇りが融合して出されたこたえなのだろう。
マリネは振るわれる剣の合間をぬって距離を縮めて行った。正面きって距離を縮めに来るマリネに、教官も意地になって剣を振るう。叩きつけ、なぎつけ、斬りあげる。フェイントも駆使するが、どれも宙をきるに終わった。
はたからみれば、くしくも教官が遊戯のようなもの、と言ったようにふたりはまるでダンスをしているかのように見えるだろう。剣を振るう教官、至近距離から離れずにそれを避け続けるマリネ。美しさすら醸し出すふたりの動きに、いつしか文官達はまるでサーカスの演目をみているかのように目をまるめ、息をのんだ。
教官が袈裟にマリネを斬りつけようとした時、一瞬の隙をついて、マリネはそれまでために溜めた気合を拳に乗せた。拳はうなりをあげるより早く教官の顔の前に到達し、寸止めされた。教官も、袈裟懸けにしようと振り上げた腕はもとより、体の動きの一切を止めた。
事情を知らぬ者からみれば、事前の打ち合わせ通り単なる寸止めにより決着がついたと解釈するだろう。しかし、当事者にしてみると話はまったく違う。教官は、斬りつける気だった。自身の攻撃動作の前にマリネから拳を寸止めされても、お構いなく斬りつける気だった。実力差がありながら組みついてきたり武器を取り上げようとしてこないマリネをみて、教官は自身のつらの前に拳を持ってくることで決着をつけるというマリネの意思を感じ取っていた。だからこそ意地になった。寸止めが成立するのならば、攻撃後の隙をついたもの以外に、ありえない、とさえ思うほど、マリネを斬りつけようとする意思は固かった。
だからこそ、マリネも意地になった。なんとしても攻撃動作の途中で拳の寸止めにより教官の動きを止めてみせたかった。またその必要を感じはじめていた。約束をかわしたどころか、そのことについて口に出したり匂わせたりしたことも、もはやこの先そうする腹づもりもない。だがマリネはこの意地のはりあいに完全な形で勝てば、盗賊達は何事もなく一次審査をパスできると思いきっていた。
はたしてマリネ渾身の拳は剣を振るおうとする教官の動きを止めてみせた。教官の相手に殺されてでも相手を殺生せしめる気概と覚悟は折れた。そのような気概があったことすら忘れてしまっていたかのように。
はたからみる決着以上に教官は、マリネに負けていた。
拳をひいたマリネは教官に礼をのべた。
時間に置いてけぼりを食らったように微動すらしなかった教官は、マリネの仕草に動きを取り戻し、またマリネの言葉に平静を取り戻した。
「またいつか手合わせを願う」
剣をしまいながら教官はそう言うと、ふたりの行為にあてられていた文官に、マリネを案内するよう頼んだ。文官はハッとして、そそくさと業務に戻り、マリネを武練館まで案内した。
マリネより先に武練館にいた参加者は少なかった。盗賊や市井の人々の予想通り、今回は招集に応じる者が少ないのだろう。マリネが城内や応接間で他の参加者を見かけなかったことからも、よくわかった。
「あんた一体なにしたんだい?」
しばらくのちに武練館のひと気のない場所で無事合流を果たしたカムラは驚きをもってマリネに近づいた。カムラはフードを目深に被り、鼻までローブをたくし上げている。冬のウエノにおいて目立つかっこうではない。
「さてな」
「まさかむやみやたらと目立つことしたんじゃないだろうね?」
「自然ななりゆきだったさ」
マリネはことのあらましを簡潔に説明した。盗賊は少し怒って、やりすぎだ、と言った。
「そっちは大丈夫だったか?」
「大丈夫どころか、あんたの名前を出したら一発さ」
「なら、よかったじゃねえか」
そう言いながら、マリネは遠くで自分をみている視線に気がついた。
「あいつが、お前の相棒でいいんだな?」
マリネは首を動かさずに、ちらりとその視線の先をみて、そこにカムラと同じかっこをしている人物をみとめた。
「ああ、そうだね」
マリネが今度は首を動かしてその人物を見てみると、その人物はふっとマリネの視界から逃げるように消えていった。
「へんなやつだな」
「…無用な接触は避けるように言ってあるからねえ。なんてたってこっちは、優等生、でいたいんだ。問題児と仲良しこよしじゃいけないねえ」
「でもすでに俺達が仲間だってことはバレてる、というか吐露しちまってるが」
「はは、気にやむことじゃないよ。あたしにかかりゃ他人の抱く印象なんて自在さ。ここまで入ってこれることが肝心だったんだ。少し拍子抜けはしたが、入っちまえばこっちのもんさね」
盗賊はきゅっと笑って言った。
それからふたりはこれからのことを再度確認し、別れた。
「元気そうだろ?」
カムラは、相棒、に話しかけた。
「ええ、ほんとにいるのね。マリネが…」
「ふふっ。あたりまえじゃないか。あとあまりその名を口にしないようにね、アジロエーヌさん。…あらあら」
カムラにアジロエーヌと呼ばれた相棒の正体はむろんウルシだ。ウルシはカムラより深くフードを被り、ローブをたくし上げていた。誰よりもマリネに正体を知られぬよう深く高く顔を隠しながら、何よりもうれしく待ち望んでいたマリネとの再会を想うと、ウルシは涙を止めることはできなかった。
「するってえとなにかい?」
雪かき作業の一休みにと、用水路のわきで数人の男達が雪だまりで簡易な椅子を形作り、そこに腰を落ち着けて井戸端会議をしていた。
「なんだ?」
「前より人は集まんねえってことかい?」
「ああ、そうだよ。前回あれだけ名うての者達があつまって、それでいて全滅しちまうんだから。それをみて、お前だったら招集に参加するというのかい?」
焦げ茶色の厚みのある顔の皮膚をしている男は、そう言うと煙たげにくわえていたタバコを雪でもみ消した。
「いやあ、そりゃ俺なんかは参加する気にもなれねえが、まだまだ名うての者たちだっているだろう。少し前まではそこいらの酒場が修行者や冒険者ばかりだったじゃねえか」
「そんなやつらは、またぞろ様子見を決め込むにきまってる。そして次があるなら、もう無理だと判断するだろうさ。現に今はもう姿をくらましてるじゃねえか」
「そうだけどよお、いてもらわねえと困るじゃねえか」
「確かにいてもらわなきゃ困るんだろうが、いずれにせよ、勇気ある者、の舞台参加は今回が最後さ。残ってる奴に勇気なんてひとっかけもねえ」
びょうびょうと大地を撫で上げるような風が吹き、雪が乱れ踊って舞いあがった。
「風が吹いてきやがった」
男達はそれを合図に除雪作業へともどった。
「城へ行くにはこの道を行けばいいのか?」
雪かきを再開した男達の一人に、厚着をしてモコモコになった服装の上からも、どこか鍛えあげ引き締められた肉体を想像させる男が語りかけた。
「あ、ああ、この先の丁字路を左に行けばあとはわかる」
男は礼を述べると、悪路に慣れた足取りですたすたと歩き去っていった。
「なあ、今の…」
「ああ、勇気ある者、だろうな…」
雪かきの手を止めた男達の間をまたびょうと風が吹き雪が乱れ舞うと、マリネの姿は男達から見えなくなっていた。
ウエノの王城は、いたって普通の造りだ。口の字型の城郭を持ち、レンガ造りの城がその奥に鎮座する。中庭には兵士の訓練にも使われる運動場や、春から秋にかけて一般にも公開される植物園がある。兵士が日毎訓練している武練館と呼ばれる建物も城城郭の中にある。三階建ての武練館は前回集まった勇者達の合同訓練の場にも使われ、参加者に広さの面で不足を感じさせることはなかった。
「招集に応じる者だが」
城までたどり着いたマリネは、城の門番に言った。
門番は、これはこれはようこそお越しくださった、と、慇懃無礼に感じるほど丁寧にマリネを場内に導いた。
マリネは普段の癖で、あまりにあっけなく城内に招きいれた門番に城の警備について不満にも似た質問をした。
兵士はただ、
「私は招集に応じる者がきたら応接室まで通せと命じられています」
と、言うのみだった。応接室の前まで来ると、門番の男は軽く会釈をして来た道を戻って行った。
応接室には、係りの者と思われる三人が机を前にして座っていた。三人のうちふたりは見るからに文官だったが、もうひとり、こちらは明らかに一目で腕っぷしのきくだろうことがわかる壮年の男だった。マリネはその男を、兵士達に訓練を施す教官に違いないと思った。四人のかんたんな自己紹介が行われると、マリネの勘があたっていたことが確認された。
マリネは用意した必要書類を彼らに渡そうとすると、真ん中に座ったひょろりとした男が、先ほどの門番のような、しかし門番ほど不自然ではなく慣れた口ぶりで丁寧な挨拶をした。口ひげをながくのばした男だった。権威が服を着ているかのようなその男のことを、マリネは不快に思った。俺が国に捕まるかして無駄死にしたらきっとこういうやつに笑われながら死ぬのだろう、というようなことを言い知れず思ったのだろう。
なぜ今回招集に応じてくれたのか。
いままで何をしてきたか。
格闘歴はどのくらいか。
そういった事務的な質問を、ふたりの文官が何度も繰り返した。
国のため。
各地で武道の修行及び労働。
20年。
マリネもそういった質問に盗賊とあらかじめ用意していたこたえを言った。
最後に、それでは、と言いながら真ん中に座った男がちらりと教官の方に目をやった。歴戦の武勇を感じさせる男は何も言わず、こくりとうなずいた。どうやらこれで面接は終わりのようで、
「ご苦労様でした。それではあなたは武練館の方へ」
と、端に座った文官が案内をしよう席をたった。
「俺は部隊に参加できるのか?」
マリネは少し迷いつつ、そう言った。マリネは盗賊達ふたりよりも先に城へやってきている。その狙いはいくつかあるが、最大の狙いはマリネの強さを面接官に印象づけ、後続のふたり、特に盗賊が連れているという武に関してシロウト同然だという女を、審査に通しやすくすることにある。後続のふたりはマリネの演じている人物と同門という設定があるからだ。だが、盗賊には不自然な形でしかそれをできないならならしなくていい、とも言われている。
「はい。ああ、しかしあなたの部隊への参加を正式に決めたわけではありません。これから我々の用意した訓練に参加してもらって、適正を判断させていただきます」
マリネはどうやら一次審査をパスしたようだった。
「わかった。しかし、話をしただけで、実際に俺の腕前を確認しなくていいのか?」
その質問には、教官がこたえた。
「君が並の者でないことは、よくわかる」
マリネは教官の方を向いて、目を合わせた。
「君には…」
そう言いかけたきり、教官は少し考え込むと、
「よかろう、少し手合わせをしてみようじゃないか」
と、言った。
マリネにしてみれば教官の申し出は渡りに船だが、マリネとてバカではない。教官が主導権を奪われやきもきする文官達を、なに遊戯のようなものですよ、といなしている間、マリネは教官が言った、君には、に続く言葉を考えていた。君には君より弱い仲間がいるのか、どう考えても盗賊との作戦を、知っている、ことにより思考が限定されたマリネの頭はそう続けさせた。
対峙した教官はマリネより小さかったが、机越しには感じられなかった烈風のような気迫をマリネはひしと感じた。
教官は剣を抜いた。ふくれっ面の文官達も抜き身の剣から発せられる緊張感に息を飲むことしかできなくなった。
「君は寸止めで頼む。私もまだ仕事が残っているんだ」
私は当てる気でいく、教官が述べた言外の意を含め、マリネは承諾した。
「お、大事は困りますぞ教官殿」
対峙するマリネと教官を取り巻くただならぬ緊張感に、ひげの文官がようやくそう言ったが、もはやふたりの耳に届くことはなかった。
合図もなしに、教官は素早い突きを放った。マリネは体を相手に対し横向きにしつつ後退し、それをかわした。マリネにはその突きが必殺のそれではなく牽制の意も含めた様子見のものだとわかった。その証拠に、教官は剣をかわしたマリネをみて、にやりとした。
マリネは教官の剣を、剣の間合いから離れるようにしてかわし続けた。これはむろんマリネの腕前が高いこともあるが、教官にマリネを壁際に追いやりマリネの逃げ場をなくすという思惑がないことにもよっていた。マリネもあえて教官がそうしようとしてこないことを察した。存分にマリネの実力を試してみるつもりなのだろう。だが、教官の一振り一振りには当たれば怪我ではすまないだろう鋭さがあった。そしてもちろん教官は当てる気で剣を振るっていることをマリネは感じていた。
教官の剣さばきは、面接官に選ばれただけあり、素晴らしいものだったが、マリネにとってそこまでの脅威ではなかった。攻撃をぶち当ててもいいという状況下ならばとっくに制圧している相手だった。だが今は寸止めで決着をつけなければならない。しかし中途半端な、寸止め、では、教官はその手を止めないだろうことをマリネは悟った。中途半端のものならば、寸止めしたマリネの手を振り払ってでも剣を当てにくる、そういう気概を教官は身にまとっていた。
組みついて制圧したり、剣を奪うことも可能ではあったが、マリネはそうしたくなかった。なんとしても拳による寸止めで、教官の気迫をなくしてやりたくなった。教官の思惑や予想の上をいきたくなった。これは腕前の差による余裕と、マリネの武道家としての誇りが融合して出されたこたえなのだろう。
マリネは振るわれる剣の合間をぬって距離を縮めて行った。正面きって距離を縮めに来るマリネに、教官も意地になって剣を振るう。叩きつけ、なぎつけ、斬りあげる。フェイントも駆使するが、どれも宙をきるに終わった。
はたからみれば、くしくも教官が遊戯のようなもの、と言ったようにふたりはまるでダンスをしているかのように見えるだろう。剣を振るう教官、至近距離から離れずにそれを避け続けるマリネ。美しさすら醸し出すふたりの動きに、いつしか文官達はまるでサーカスの演目をみているかのように目をまるめ、息をのんだ。
教官が袈裟にマリネを斬りつけようとした時、一瞬の隙をついて、マリネはそれまでために溜めた気合を拳に乗せた。拳はうなりをあげるより早く教官の顔の前に到達し、寸止めされた。教官も、袈裟懸けにしようと振り上げた腕はもとより、体の動きの一切を止めた。
事情を知らぬ者からみれば、事前の打ち合わせ通り単なる寸止めにより決着がついたと解釈するだろう。しかし、当事者にしてみると話はまったく違う。教官は、斬りつける気だった。自身の攻撃動作の前にマリネから拳を寸止めされても、お構いなく斬りつける気だった。実力差がありながら組みついてきたり武器を取り上げようとしてこないマリネをみて、教官は自身のつらの前に拳を持ってくることで決着をつけるというマリネの意思を感じ取っていた。だからこそ意地になった。寸止めが成立するのならば、攻撃後の隙をついたもの以外に、ありえない、とさえ思うほど、マリネを斬りつけようとする意思は固かった。
だからこそ、マリネも意地になった。なんとしても攻撃動作の途中で拳の寸止めにより教官の動きを止めてみせたかった。またその必要を感じはじめていた。約束をかわしたどころか、そのことについて口に出したり匂わせたりしたことも、もはやこの先そうする腹づもりもない。だがマリネはこの意地のはりあいに完全な形で勝てば、盗賊達は何事もなく一次審査をパスできると思いきっていた。
はたしてマリネ渾身の拳は剣を振るおうとする教官の動きを止めてみせた。教官の相手に殺されてでも相手を殺生せしめる気概と覚悟は折れた。そのような気概があったことすら忘れてしまっていたかのように。
はたからみる決着以上に教官は、マリネに負けていた。
拳をひいたマリネは教官に礼をのべた。
時間に置いてけぼりを食らったように微動すらしなかった教官は、マリネの仕草に動きを取り戻し、またマリネの言葉に平静を取り戻した。
「またいつか手合わせを願う」
剣をしまいながら教官はそう言うと、ふたりの行為にあてられていた文官に、マリネを案内するよう頼んだ。文官はハッとして、そそくさと業務に戻り、マリネを武練館まで案内した。
マリネより先に武練館にいた参加者は少なかった。盗賊や市井の人々の予想通り、今回は招集に応じる者が少ないのだろう。マリネが城内や応接間で他の参加者を見かけなかったことからも、よくわかった。
「あんた一体なにしたんだい?」
しばらくのちに武練館のひと気のない場所で無事合流を果たしたカムラは驚きをもってマリネに近づいた。カムラはフードを目深に被り、鼻までローブをたくし上げている。冬のウエノにおいて目立つかっこうではない。
「さてな」
「まさかむやみやたらと目立つことしたんじゃないだろうね?」
「自然ななりゆきだったさ」
マリネはことのあらましを簡潔に説明した。盗賊は少し怒って、やりすぎだ、と言った。
「そっちは大丈夫だったか?」
「大丈夫どころか、あんたの名前を出したら一発さ」
「なら、よかったじゃねえか」
そう言いながら、マリネは遠くで自分をみている視線に気がついた。
「あいつが、お前の相棒でいいんだな?」
マリネは首を動かさずに、ちらりとその視線の先をみて、そこにカムラと同じかっこをしている人物をみとめた。
「ああ、そうだね」
マリネが今度は首を動かしてその人物を見てみると、その人物はふっとマリネの視界から逃げるように消えていった。
「へんなやつだな」
「…無用な接触は避けるように言ってあるからねえ。なんてたってこっちは、優等生、でいたいんだ。問題児と仲良しこよしじゃいけないねえ」
「でもすでに俺達が仲間だってことはバレてる、というか吐露しちまってるが」
「はは、気にやむことじゃないよ。あたしにかかりゃ他人の抱く印象なんて自在さ。ここまで入ってこれることが肝心だったんだ。少し拍子抜けはしたが、入っちまえばこっちのもんさね」
盗賊はきゅっと笑って言った。
それからふたりはこれからのことを再度確認し、別れた。
「元気そうだろ?」
カムラは、相棒、に話しかけた。
「ええ、ほんとにいるのね。マリネが…」
「ふふっ。あたりまえじゃないか。あとあまりその名を口にしないようにね、アジロエーヌさん。…あらあら」
カムラにアジロエーヌと呼ばれた相棒の正体はむろんウルシだ。ウルシはカムラより深くフードを被り、ローブをたくし上げていた。誰よりもマリネに正体を知られぬよう深く高く顔を隠しながら、何よりもうれしく待ち望んでいたマリネとの再会を想うと、ウルシは涙を止めることはできなかった。