勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

悪い悪い。盗賊なんていう世界にいるとひとつもふたつも品ってやつが落ちていけないねえ。悪気はないんだ。
盗賊は私に頭を下げた。
いえ。
もうわかってると思うが、あたしは武道家と会ったし、あんたのこともきいたよ。そんで武道家のやりたいことを手助けしてやった。以前、武道家とフナムシに助けられたことがあってね。タダ働きさ。
マリネのやりたいこと、とは…。
うーん、
そう言うと盗賊はしばし悩んだ。
そうだねえ、結局なにかをぶっ飛ばしたいんじゃないかい?。武道家だからさ。まあ多少やけっぱちにはなっていたねえ。おっと悪い悪い。こんなことのべつまくなしに言っていたら時間がいくらあっても足りやしない。
…マリネはいまどこにいるんですか?
そればっかりは言えない。確かにあたしはあいつの寝床の世話をした。いる場所を知っているよ。だが、誰にも居場所を教えない、っていう条件がついたからね。言えない。
そんな!
私はとても歯がゆくなった。目の前に待ち望んだマリネの、その居場所を知っている者がいる。手を伸ばせば届くところにマリネはいる。けど、目の前は漆黒の闇に閉ざされ、肝心のマリネの姿は見えない。
ただ、武道家と会いたいというのならひとつ言えることがある。
それは、一体…。
あんたの行動は間違っていないよ。彼は三週間後に王城にいくと言っている。このまま武道家が気変わりしなければ、そこで会えるだろう。ん?、ははっ、現金なやつだねまったく。
私の顔を見て、盗賊はニヤニヤした。私の顔にどんな変化があったのか。私は顔に出さないようにしていたのに。うれしさ?、自身の行動や推測に間違いがなかったことによる優越感?、欺瞞?。行動がむくわれた悦び?。
…何も泣かなくていいだろうに。
みるみるうちに、私の目に涙がたまっていった。そうだ、これは解放だ。苦しみや辛さ、恐怖や不安、そういった私にのしかかっていたものから、いま、きっと一時的なものに過ぎないのだろうけど、確かに私は解放されたのだ。
すみません。
私は涙がこぼれないようにした分だけ流れる鼻水をハンカチでぬぐった。
なあ、あんたは武道家に会ったら何をするんだい?
…謝って、とにかく謝ろうと、謝ろうと思っています。
…へえ。
そのあとのことは考えていません。
…なるほどねえ。
その後、私はマリネについてのことをいくつもきいた。あからさまにはぐらかされた返事もあったけど、三週間後に会えるとわかっていると、はぐらかす盗賊にイラついたりすることはなかった。マリネは元気にしていて、来るべき日に備えて鍛錬している。それだけわかれば私は十分だった。
あとは宿泊先に移動しながら話そう。
歩きながら盗賊は、身分偽造についての説明や、私が名乗る職業とそれら装備の調達、付け焼き刃の鍛錬について、明日からしばらくこの街を出るが三週間以内に帰ってくること、これから行くところは盗賊の隠れ家のひとつでまず安全だということ、街のチンピラに絡まれることがあったら盗賊の使いだと言いい盗賊から渡されたブローチを見せろということ、それが通じないような雑魚に絡まれた場合はさっきの酒場に逃げ込むなり自分で考えろということ、などを事務的に話した。
ここですか?
そういぶかしんだ顔をするんじゃないよ。とって食いやしないし、させないからさ。これでもあたしのお気に入りの寝床なんだ。
盗賊に案内された建物はさびれたラブホ、というよりも明らかに売春宿だった。
中にはいると、盗賊は受付にいた中年の男に話しかけた。話し終わると盗賊は私に、なにか困ったことがあったらこの人にいいな、この人は元剣士で腕もいいから鍛えてもらうのもいいんじゃないか、と、言い、追加で料金をいただくがね、と、つけくわえた。
部屋の中には、いくつか盗賊の私物があった。盗賊は整理しながら、清掃のことやいざという時の逃げ道になる裏口、食事について説明をした。
と、いうこった。はじめは居心地悪いかもしれないが、慣れりゃこんないい場所なかなかないよ。それにここは、あたしの部屋、だからね。石けんひとつとってもいいもん使ってるよ。もちろん好きに使いな。
そういって盗賊は、はじめて女の子らしく笑った。
じゃ、あたしは行くよ。明日からと言ったが出発は今日の夜中なんでね。
なにからなにまで、ありがとうございます。
気にしないこったね。あたしだっていただくもんはしっかりいただいてるんだ。ああそうだ、あたしがこんなこと言うのは柄じゃないが、あんたがこうなっちまったもんはなっちまったんだから仕方ないもんさ、やることは決まってるんだ、信じて突き進みな。
ありがとうございます。
私は頭を下げて盗賊に感謝した。
ああそれから、今さらかもしれないが、そんなかしこまって話さなくていいよ。あたしは気楽に話してくれた方が好きさ。いくらあんたがいくぶん年下だといっても、あたしはそんなこと気にしないからさ。
とし…した、ですか…
…あたしの年齢は、武道家に会ったらききなよ。それじゃ。
盗賊が部屋を出ていくと、どっと疲れが押し寄せてきた。私はベッドに身を預け、仰向けになった。明かりのともっていない安物のシャンデリアを眺めながら、私はここで寝ても平気なのか、盗賊に騙されているんじゃないか、襲われるんじゃないか、などを考えているうちに、不安をよそにどんどんまどろんで行く自分を感じていた。まどろみの中でたまにどこかの部屋の扉が開閉される音を何度かきいた。



なんだ?、えらく機嫌の良さそうな顔をしてるな。
へえ、わかるかい?
こっちは閉じこもっているっていうのに。
支度は?
問題ない。もう出るか?
いや、ちょっと休むよ。あんたと違ってあたしは忙しかったんだ。
そうか。おつかれさん。
先に湯でも浴びてきなよ。
休むんじゃないのか。
あたしとやるのに不満でもあるのかい?
…あるわけないだろ。じゃあ浴びてくる。少し休んでろ。といっても、ここまできて寝るなよ?
寝てたら起こしてくれていいよ。今日は機嫌がいいんだ。前の女のことなんて忘れさせてやるよ。
うるせえなあ。寝るなよ。
………欲しいものは奪いとるんだ。盗賊だからねえ。



目が覚めると、朝だった。部屋の中も、私の身にも、何事もなく朝がきていた。それを確認すると、私はほっと息をもらした。
湯を浴びる。盗賊の言っていたように、とても上品な香りのする石けんがそこにあった。遠慮なくつかわせてもらう。
髪が乾かしていると、ドアを一定のリズムでノックする音がきこえた。あらかじめ盗賊にきいていた、受付の人間がするノックの仕方だった。
それでも慎重に、私は覗き窓から外を見た。昨夜、受付にいた中年の男がそこにいた。よく見ると、体躯こそスッとしているが、顔中傷だらけだ。
その姿におののいた私は、ドアチェーンをかけたまま、ドアを少し開けた。
おはようございますウルシ様。朝食をお召し上がりになさいますか?
そう言われて、私はとてもお腹がすいていることに気がついた。
あ、はい。お願いします。
すぐにお召し上がりになさいますか?
えっと、はい。あ、でも、急がなくても結構です、はい。
かしこまりました。では10分ほどお待ちください。
よ、よろしくお願いします。
男の丁寧な応対に、私は面を食らってしまった。
オムレツにトースト、それからコンソメの香りがするスープ。運ばれてきた朝食は、とてもシンプルだった。だけど、運ばれてきた瞬間から、それらは私の嗅覚に美味であることを訴えかけてきた。
コーヒー、紅茶、オレンジジュースの中から飲み物を選べ、と言うので、コーヒーも紅茶も苦手な私はオレンジジュースを選んだ。男は、メニューにご要望があればいつでもおっしゃってください、と言って、部屋を出ていった。毎回コーヒーと紅茶を用意させてしまっては大変だから、しっかりと私の嗜好を伝えなくては。
オムレツもトーストもスープも、どれも本物だった。とてもシンプルだが、今まで食べたことが無いと思えるほど美味しい。オレンジジュースにしたって、普段私が飲むような、安物の味ではなかった。きっと用意されていたコーヒーも紅茶もただものではないのだろう。なおさらちゃんとしっかり伝えておかなくては。
この料理をあの無骨そうな男が作ったのかと思うと、可笑しくなった。同時に、あの人は信頼しても良さそうだ、と考えた。美味い料理を作ってくれたから、それだけで信頼するのか、と自問自答して、また可笑しくなった。ひとりでこんなにニヤニヤするのは久しぶりだ。
食べ終わったら食器は部屋の外に出しておけばいい、と言われていたが、私は受付まで運ぶことにした。男は、少し困った顔をしたように見えたが、ありがとうございます、と言った。
部屋に戻ると、やることがないことに気がついた。しかもまだ朝だ。
一時間ほど間をおいて、私は男に会いに行き、剣の指導をしてもらうことにした。代金はいくらかかるのかきくと、それは盗賊にきいてほしい、と言われた。
そうして連日、私は宿の中庭で剣の稽古に明け暮れた。それしかすることがないのだ。
男は丁寧に、付け焼き刃、の剣法を教えてくれた。剣法、というよりも、演技、に近いものかもしれない。期限を考えれば、そっちのほうが私にとって都合がいいことは明白だった。
ここに厄介になって二週間ほど経った頃の夕刻、盗賊がやってきた。昨晩この街に帰ってきたらしい。
盗賊は私を外に連れ出し、とあるアパートの一室に案内した。盗賊はそこを、隠れ家兼物置のひとつ、といった。盗賊が先に部屋へ入り、私は合図があるまで外で待った。
私が部屋に入ると、ワンルームのがらんどうとした部屋のどこに隠していたのか、盗賊の足下に、剣やらナイフやら帷子やらローブやら、武器や防具が並べられていた。
私の武器は剣に決まっていたが、防具となるとよくわからなかった。
そんな私に盗賊は、ひとつ考えがある、といって、一計を話した。
そこで私ははじめて盗賊も招集に参加することを知った。
なぜ部隊に?、ときいた私に盗賊は、
欲しいものがあるのさ、
と、こたえた。