勇者と段々崩壊していく世界 | からだに恥をかく体操〜えんぴつみがき〜

勇者と段々崩壊していく世界

知ってるさ。
盗賊は短くこたえた。
私が、なにを?、と言う前に、
そんなかっこして、ほんとに家でも出てきたのかい?
と、いって、盗賊はきゅっと笑った。笑う彼女の顔はほんとうにかわいく、よく見るとどこか凛とした強さが感じられた。
家は、出てきたも同然です。
ふうん。そっか。
盗賊はそう言うと、手酌で勝手に飲みなよ、と私の前にある空のグラスをあごで指した。私は自分が言ったことが、家を出てきたも同然、という言葉に、家を出てきた、という現実を感じていた。なんともバカらしいことだけど。
安心しなよ、お金はいらないから。
盗賊は酒を飲む気配を見せない私に、少しイラついているかのようだった。しかたなく、私はグラスにワインを注いだ。
家を出た、か。行くあてはあるのかい?
くっ、とのどにワインを流しこむ私をじっと盗賊は見ていた。
いえ、いや、あります。
ははっ、どうやらなさそうだねえ。
盗賊はそう言うと、確かにわかりやすい娘だ、といい、ポッケからタバコを取りだした。やっぱりマリネと一緒の銘柄だった。
以前から同じタバコなんですか?
私の質問に盗賊はまた、ほんとわかりやすい、とこたえ、
違うよ、と、鼻で笑った。
バカにされているからか、はぐらかされている焦りからか、私は盗賊にイライラしてきた。盗賊に、ではないのかもしれない。手の届く先にあるご馳走を掴み取ろうとしない自分に、なのかもしれない。このままではいけない。腹の探り合い、いや、盗賊に様子見を決め込まれては困る。時間も惜しい。ここまできて私は、待つ、を選択するのか。もう待つのはいやだ。進まなければ。掴み取らなければ。私は早く確信に至らなければならない。
あなたはマリネの
私が覚悟を決めて言おうとした言葉を最後まで盗賊はきかなかった。
その前に、
そういって私を制した盗賊は、一度大きく息を吐いた。
その前に?
いいかい?、今さっきあんたが言おうとしたことはあたしとの、交渉、に値するもんだ。気をつけて話しな。
交渉、ですか。
そうさ。
何に、気をつけなければいけないのでしょうか。
あたしの交渉のルールは簡単。嘘をつくな、だけさ。嘘をつくな、ということはわかるかい?。単純にあんたが嘘をつくのもダメだし、たとえあんたが本当のことを言っていたとしても、あたしが嘘だと思えばそれは、あんたが嘘をついた、ことになる。だから、気をつけて話しな。脅すわけじゃあないが、あたしはこう見えて盗賊稼業だ。仕事のルールを踏みにじられた時には、相応のことをやらせてもらうよ。ま、幸いあんたは嘘がヘタだ、本当のことだけを素直に喋りゃいいんだ。
マリネから何度かきいたことがあるような盗賊のルールだった。ひょっとしたらずいぶん前からマリネはこの女と知り合い以上の関係があったのかもしれないと、疑心に満ちる私は思い、苦しくなった。私はこの女を頼るしかないのか。ひょっとしたらマリネの、今の、彼女であり、マリネの浮気相手だったかもしれないこの女に。だけど、
わかったかい?
考える時間もなく盗賊は確認を求め、私は、
わかりました。
と、こたえるしかなかった。
じゃあもう一度いうよ。泊まるところは決まっているのかい?
私は慎重にルールに当てはまる言葉を選んだ。
決まってはいませんが、どこかのホテルに泊まる予定です。
私がそう言うと、
上出来。
と、盗賊はいった。
いつまで家に帰らないんだい?
盗賊の質問に、私は何とこたえてよいか迷った。
わからないってことかい?
はい。
へえ。じゃあ質問をかえよう。そうだねえ。……おっと、
盗賊は話の途中で小柄な体をくるりとひねり、後ろを向いて時計を見た。辺りはもう暗くなっているだろう。
まっすぐになった盗賊は、
じっくり探ってみたいけど、そんな時間はなさそうだ。ずばりきいてやることにする。
と、いって、少し苦笑いを浮かべた。
トッツクポーリにでも行くつもりかい?
私は、はい、とこたえた。
やっぱりねえ。その理由は?
私は、マリネがトッツクポーリにいる気がするから、とこたえた。
へえ、
とだけ盗賊はいって、何かを考えているようだ。
少しして、盗賊は、
勇者部隊に参加するつもりか?、
と、いった。
私は、はい、とこたえた。
盗賊はそれをきくと、三週間後の招集についての展望を語った。
曰く、今回は前回と違い、駆けつける人間もそう多くはならないだろう。だから最初に提出する書類さえ、造って、しまえば、中身が戦いのシロウトでも正式に部隊の一員として認められる可能性は高い。国にしてみれば次のことも考えて、できるだけ多くの人間を送り出したいと考えるに違いない、
ということだった。最後に盗賊は、まあ参加しようとする者が少し考えりゃ誰でもそう思うだろうけど、と加えた。私はそんなことを少しも考えていなかった。
あんたはもう…きくだけヤボだね。
そう言うと盗賊は、カバンから紙とペンを取りだして何か書きはじめた。
そのワインとぶどうジュースはタダだが、こっちはちゃんとお金をもらうよ。
書きながら盗賊はひとり言のようにつぶやいた。
私はまた、はい、とこたえた。
情報と身分偽造と、それからおまけに三週間気軽に、しかもいろいろと安全に泊まれるところもつけてやろう。どれも、在庫、で済むからね。特別に安くしとくよ。
盗賊は書きおわると、私に紙を差し出した。紙には、武道家についての情報等の値段が書かれていた。私は情報や身分偽造の相場は知らないが、食費さえも含まれる宿泊代は格安といえた。トータルでみても、充分に手持ちの金で払える金額だった。
どこかのホテルに泊まると言ったけど、もし家族やら誰かがあんたを探すことになったら見つからない自信はあるのかい?。家出捜索にゃ本腰を入れてないといっても警察が動けば、ある程度以上ちゃんとしたホテルにいたらまず見つかるよ。動くのが警察だけならまだしも、っと、まあそれはいい。かといってちゃんとしてないとこに泊まったら今日の二の舞になりかねないねえ。
盗賊はニヤリと笑う。私はぴくりと体をふるわせた。
ははっ、さっきのは気にしないこったね。ああやって人をからかう人間もここらにゃ少なくない。
私が気にしたのはさっきの出来事ではなく、盗賊が言った、動くのが警察だけならまだしも、の部分だ。家出の捜索に警察以外の誰が、話の筋からみるに警察以上の能力を持った誰が、私の行動理由を知らない者から見れば単なる家出人の私を捜すというのか。なぜそんなことを盗賊は言ったのか。盗賊は知っているからに違いない。私が知っていることを。私がマリネからきかされた国の秘密のことを。
これでお願いします。
私は盗賊の示したとおりにすることにした。
いま払えるかい?。
私はカバンから金の入った銀行名が刻印された袋を取り出した。
言っておくけど、これはあたしのこだわりみたいなもんでさ、金があたしに渡った時点で、やっぱり違うところに泊まりたいとか、他のやつに偽造を頼むとか、そういったキャンセルはさせないよ。といっても、安心しな。その代わり誰よりも確実な仕事をさせてもらう。
わかりました。
私は代金を支払った。盗賊はすぐさま勘定にはいり、
武道家についてききたいことがあるなら言いな、
と、いった。
あなたはマリネとつきあっているのですか?
最初にそれかい?、別にいいけどさ、もっと知ってためになることをきいた方がいいと思うんだけどねえ。
盗賊はあごを引いて、声こそ出さないが顔をくしゃりと崩した。確かに盗賊の言うとおりだと思い、私は一瞬恥ずかしくなったが、すぐにこれも大事なことだと考えるに至った。
どうなのですか?
ああ、悪い。つきあっていないよ。ふふっ。
ふたりはどういった関係なのですか?
そりゃ仕事を依頼してきたやつとそれを受けたやつって関係さ。ふふっ。もっとはっきりいいなよ。
…肉体関係はあるのですか?
…仮に、あたしとあいつがやっているとしても、それをちょっと前まであいつの恋人だったあんたがどうしようもないぐらい気に食わない気持ちになったとしても、だ。あんたは三週間、あたしの指定した場所で宿泊してもらうし、あたしの助けでトッツクポーリにいけるかもしれないんだ。恋人の情婦に助けられる、その覚悟があってきいているのかい?。いまなら質問を撤回できるよ。
盗賊は私を下からにらみつけるようにじっと見すえながら言った。
…いま、覚悟を持ちました。
想像するだけでいやだ。もしそうだとしたら、これ以上ないぐらい屈辱だ。耐えられるか、わからない。自分に折り合いをつけられるか、わからない。覚悟なんかないかもしれない。でもそれ以上に知りたい。
いいね。ぞくぞくするよ。その感じ。
盗賊はニンマリとして、胸を数回さすった。
それで、どうなのですか?
ないよ。やってない。あたしは客や同業者と寝ないことにしているんだ。あんたと違ってねえ。
言い終わって、あはははは、と、高い声に比してどこか湿った笑い声をあげる盗賊を、私はただ見ていることしかできなかった。